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【奈良・海龍王寺】隅寺の お堂の中に 五重塔|60歳からの御朱印めぐり〔098/541〕
海龍王寺は聖武天皇の后・光明皇后ゆかりの寺院。西金堂の中に日本一小さい五重塔が立っています。「応龍」の御朱印をいただきました。
【奈良・法華寺】光明子 菩薩にかわり 垢落とす|60歳からの御朱印めぐり〔097/541〕
法華寺は聖武天皇の后である光明皇后が創建した寺院。総国分寺の東大寺に対して、総国分尼寺だったところです。ご本尊十一面観音菩薩の御朱印をいただきました。
11/4(月)第76回 正倉院展へ行ってきた。今や奈良の秋の風物詩コロナ禍になった頃からか、混雑を避けるため事前に予約しチケット購入しないといけなくなったので、ぷらっと奈良に来て、おー、やってるー観てく??みたいなことは出来なくなったが、大抵の人は、今年は何が出てくるんだろう・・・とわくわく心待ちにしている人が多いから、事前予約になっても、それこそ混みこみでお宝の前まで行けない!!みたいな以前の感じより...
藤原豊成は、大宰員外帥に左遷されると、抗議の意を込めて、「病気」と称して、難波の自身の別荘に籠ったことから、豊成の大宰府行きは、無期限延期状態となり、別荘に…
小野東人達は、一転して、謀反を自白した。 内容は、橘奈良麻呂、大伴古麻呂、安宿王、黄文王らが一味して、兵を発し、藤原仲麻呂の邸を襲って殺して、皇太子を退ける…
同年3月、前述の通り、孝謙天皇が、皇太子の道祖王を廃すると、翌月、群臣を集めて、次の皇太子について、意見させた。 藤原豊成、藤原永手は、塩焼王を推挙して、文…
当時の太政官は、藤原仲麻呂の上位に外伯父の橘諸兄及び、実の兄、藤原豊成が、左右の大臣として、並んでいた。 藤原仲麻呂は、兄の豊成を中傷するための機会を窺って…
729年(天平元年)、藤原光明子は、皇后に立てられると、家政機関として、皇后宮職が、設置された。 749年(天平勝宝元年)、孝謙天皇の即位後、光明皇后は、皇…
前述の通り、橘諸兄の父、敏達天皇の曽孫、または、別説では、五世孫の美努王とされる。 諸兄の母は、県犬養三千代、即ち、橘美千代である。橘美千代は、美努王との間…
730年(天平二年)9月に大納言の多治比池守、天平3年(731年)7月に大伴旅人が、死去して、高齢の中納言の阿倍広庭を除くと、知太政官事の舎人親王の下にて、…
729年(神亀六年)2月、左京の人で、従七位下の漆部造君足及び、中臣宮処連東人が、長屋王の謀反を密告した。 朝廷は、その夜の内、使者を派遣して、不破関・鈴鹿…
藤原武智麻呂は、太政官の席次で、弟の房前の上位となり、藤原氏の中心的存在となる。 一方、前述の通り、同年10月、元明上皇は、死の床にて、右大臣・長屋王と共に…
日本の全ての土地・人民を、天皇(公)の所有・支配とする、「公地公民制」は、財産の私的所有を禁止し、「国家」による、挙動所有とする、現代の「共産主義」であると…
『まんが日本史』で大仏様の造り方が説明されていました。ヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感想奈良の大仏様の作り方 (『まんが日本史』より、奈良の大仏…
#488 TVアニメ『まんが日本史07「大仏開眼-仏教文化と奈良時代」』
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の奈良の大仏建立と仏教による政治の展開を描いたヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感…
光明皇后がモデル⁈法華寺、癒しの国宝・十一面観音立像! 不退寺から当初の目的地・法華寺へ 年に一度のお楽しみ、正倉院展・秋の奈良旅に行って来ました。 正倉院展の様子はこちら:今年も来ました!正倉院展の宝物に心ときめく日! 今回の奈良旅は娘も
#4048 朝霧のたなびく田居に鳴く雁を留め得むかも我がやどの萩
令和5年11月6日(月) 【旧 九月二三日 先勝】・霜降・楓蔦黄(もみじつたきばむ)朝霧のたなびく田居に鳴く雁を留め得むかも我がやどの萩 ~光明皇后(701-760) 『万葉集』 巻19-4224朝霧がたなびいている田で鳴いている雁を留めておくことはできないでしょうか、我が家の萩
瀧浪貞子さんの著書『光明皇后』は、光明子の人生を肉親との死別を軸にまとめた歴史書です。正倉院宝物献納や奈良時代の政界の重鎮として有名な光明子ですが、家族とりわけ一人娘の阿倍内親王との関係は複雑な様相です。
大蔵山 杉本寺(すぎもとでら→神奈川県鎌倉市二階堂)は、奈良時代中期の734(天平6)年に光明皇后(→聖武天皇の后)の発願により藤原房前(ふささき→藤原氏北家の祖)が開基、僧の行基(→東大寺の廬舎那大仏造立に貢献)が開山したと伝わる天台宗寺院で、鎌倉最古の寺として知られています。本尊は三体の十一面観音像で、それぞれ734(天平6)年に行基が、851(仁寿元)年に円仁(→慈覚大師)が、986(寛和2)年に源信(→『往生要集』を著した恵心僧...
江戸川柳でたどる偉人伝(古代・奈良時代)久米仙人・柿本人麻呂・光明皇后・阿倍仲麻呂・吉備真備・中将姫・浦島太郎
「川柳」は「俳句」と違って、堅苦しくなく、肩の凝らないもので、ウィットや風刺に富んでいて面白いものです。今では、「サラリーマン川柳」や「シルバー川柳」など「〇〇川柳」というのが大はやりで、テレビ番組でも紹介されており、書籍も出ています。そこ
威徳山 月光院 影向寺(ようごうじ→神奈川県川崎市宮前区野川)は、奈良時代中期の740(天平12)年に聖武天皇の勅命により創建された関東屈指の古刹で、往時は金堂・三重塔・12の塔頭(たっちゅう→メインの寺の中にあるサブの寺)と多くの末寺を擁し「関東の正倉院」と呼ばれた大寺院だったと記録されます。本尊は薬師如来両脇侍像(→薬師如来坐像・日光菩薩立像・月光菩薩立像)です。江戸時代前期の1710(宝永7)年に編纂された『影向寺縁...
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