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#川崎市宮前区
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【川崎宮前】老人ホームで92歳入居者女性を殺害 認知症の81歳男逮捕「力の弱い女性を殺せば出られると思った」
川崎市宮前区の住宅型有料老人ホームで11月2日未明、入居する81歳の男が同じ施設の入居者で92歳の女性を殺害した疑いで逮捕。男は認知症を患っていて「力の弱い女性を殺せばここを出られると思った」と話しており、警察が詳しい経緯を調べている。
2024/11/03 06:13
川崎市宮前区
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昼食前の最後のゆるキャラ撮影(その9)
初めての方はその1から読んでくださいその2はこちら その3はこちら その4はこちらその5はこちら その6はこちら その7はこちら前回の記事はこちら 上小阿仁村のゆるキャラであるこあぴょん。 兎の着ぐるみを着た熊のキャラクター。 兎部分が雨を保護してくれるという訳
2023/09/10 10:41
【神奈川県】川崎市宮前区福祉事務所
宮前区役所保護課(宮前福祉事務所) 地図 住所 〒216-8570川崎市宮前区宮前平2-20-5 電話番号 044-856-3241 管轄エリア 川崎市宮前区全域 ホームページ 川崎市宮前区役所のホームページ 宮前区
2023/07/22 09:52
正福寺(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
医王山 法徳院 正福寺(しょうふくじ→神奈川県川崎市宮前区土橋6丁目)は、創建年代等の詳細は不明ですが、宮前区が刊行した『宮前区歴史ガイドまち歩き』によると、江戸時代中期に僧の了廓(りょうかく)が開山した天台宗寺院といい、当時は第六天社(→現在の和田八幡宮)とともに土橋太田という小字にあったようですが、江戸時代後期の天保年間(→1830年~1844年)に火災で伽藍を焼失し、現在地に移転・再建されたといいます。江戸時代に...
2023/06/30 06:47
土橋神社(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
土橋神社(つちはしじんじゃ→神奈川県川崎市宮前区土橋1丁目)は、創建年代等の詳細は不明ですが、神奈川県神社庁によると江戸時代前期の寛文(→1661年~1673年)以前の創建といい、往時は「神明社」あるいは「神明宮」と称していたようです。明治時代後期の1907(明治40)年に国の一村一社政策を受け、土橋村内の神明社他10社を合併して土橋神社と改称したと記されます。現在の社殿は1973(昭和48)年4月に、奥殿は1995(平成7)年にそれぞ...
2023/06/28 08:56
小台稲荷神社・八幡神社(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
小台稲荷神社・八幡神社(→神奈川県川崎市宮前区宮前平2丁目)は、創建年代の詳細は不明ですが、江戸時代中期には徳川将軍家の旗本川勝主税(かわかつちから)の所領に創建され、村民が祭祀を司ったと記される八幡社です。明治時代末期の1910(明治43)年に国の一村一社政策および神社統合令を受け馬絹神社(→神奈川県川崎市宮前区馬絹5丁目)に合祀されましたが、そこから小台八幡神社として分祀され今に至るといいます。〖八幡神社の祭神...
2023/06/27 08:36
泉福寺(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました➁
平栄山 泉福寺(→神奈川県川崎市宮前区馬絹2丁目)は義天法印によって創建された天台宗寺院で、創建は江戸時代前期と推察されます。江戸時代には浮岳山 昌楽院 深大寺(→東京都調布市深大寺元町5丁目)の末寺として幕藩体制の一翼を担うとともに、女体権現社(→現在の馬絹神社)の別当寺として祭祀を司りました。泉福寺には川崎市重要歴史記念物に指定される「板面着色・絵馬・泉福寺薬師会図」と「板面着色・絵馬・泉福寺境内相撲図」が...
2023/06/26 06:04
西蔵寺(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
聚海山 正観院 西蔵寺(→神奈川県川崎市宮前区野川)は、奈良時代に聖武天皇の勅命により行基(→東大寺の廬舎那大仏造立に貢献した高僧)が創建したと伝わる威徳山 月光院 影向寺(ようごうじ→神奈川県川崎市宮前区野川)の塔頭十二坊の1つと伝わる天台宗寺院です。創建時の本尊の正観世音菩薩は「余り木観音」と呼ばれ、慈覚大師(→円仁)が、行基が彫った薬師如来と阿弥陀如来の余った木で製作したと記されます。ただ、行基(668年~749年...
2023/06/25 07:28
和田八幡宮(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
和田八幡宮(→神奈川県川崎市宮前区野川)は鎌倉幕府の有力御家人で相模三浦氏の支流・和田氏の氏神が祀られたのが起源となる神社です。創建年代の詳細は不明ですが、地元の伝承として「池の主」と呼ばれていた白蛇(→龍神のこと)が、住みかの池を埋められて逃げてきた場所が和田八幡宮であったといい、境内には白蛇池が残されています。この地は鎌倉時代前期は和田氏の所領であったので、伝承は1213(建暦3)年5月の和田合戦で和田一族...
2023/06/24 06:37
有馬伏見稲荷(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
有馬伏見稲荷(→神奈川県川崎市宮前区東有馬5丁目)は、県営有馬団地の南西、たぬき公園内に保存されている有馬古墳(→宮前区№16遺跡)の墳丘上に祀られている伏見稲荷です。創建年代の詳細は不明ですが、『新編武蔵風土記稿』の内容から江戸時代後期には創建され、塚の由来が伝わらないほど古くからあったことが窺えます。馬絹古墳は、1989(平成元)年度の川崎市教育委員会による発掘調査により、南北径26.5ⅿ、東西径25.5ⅿ、高さ4.2ⅿの...
2023/06/23 06:30
長善寺(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
有馬山 長善寺(→神奈川県川崎市宮前区東有馬5丁目)は創建年代の詳細は不明ですが、安土桃山時代の1591(天正19)年7月13日に死去した転蓮社真誉安立という住職の時に浄土宗か浄土真宗大谷派(東本願寺)に改宗したと記されます。江戸時代には徳川将軍家旗本の遠山政之助の所領にあり、真宗本廟(いわゆる東本願寺→京都府京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町)の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。現在は本山をもたない単立寺院のよう...
2023/06/22 06:24
有馬御嶽神社(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
有馬御嶽神社(ありまみたけじんじゃ→神奈川県川崎市宮前区東有馬3丁目)は、東西約900ⅿに延びる半月状の権六谷戸の南端に建つ神社です。昭和時代中期までは有馬川沿いにあったといいます。御嶽講は農業・商業など民間信仰に根ざしたもので、奥多摩の御嶽山に参拝し、盗難除けの武蔵国御嶽神社(→東京都青梅市御岳山)の大口真神の札(→オオカミの護符)を持ち帰りました。【有馬御嶽神社の社殿】【有馬御嶽神社の境内】...
2023/06/21 06:27
有馬八幡大神(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
有馬八幡大神(→神奈川県川崎市宮前区東有馬3丁目)は有馬療養温泉旅館の敷地内にある小祠で、神仏習合の頃は不動明王像を神体として祀っていたと伝わります。これらは有馬西明寺のもと境内にあり、有馬西明寺は平安時代前期の858(天安2)年に慈覚大師(→円仁)によって関東屈指の古刹である威徳山 月光院 影向寺(ようごうじ→神奈川県川崎市宮前区野川)の末寺となり、室町時代中期の文安年間(→1444年~1449年)に金剛院と合併して現在の...
2023/06/20 09:18
下有馬不動尊(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
下有馬不動尊(→神奈川県川崎市宮前区有馬3丁目)は、創建年代の詳細は不明ですが。不動堂下にある滝と滝つぼは水垢離(みずこり→冷水を浴びて心身を清浄する行事)として使われたという伝承をもち、鎌倉時代には後背の森あたりに移転前の龍宿山 金剛院 西明寺(→神奈川県川崎市中原区武蔵御殿1丁目)があったと伝わります。下有馬不動尊は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』橘樹郡有馬村の条に「不動堂」...
2023/06/19 06:58
有馬新井谷戸天満宮(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
有馬新井谷戸天満宮(→神奈川県川崎市宮前区有馬4丁目)は創建年代等の詳細は不明ですが、江戸時代に有馬村新井谷戸(→現在の有馬3丁目)に住む30数戸の氏子が近くの天満宮(→不明)から分祀したと伝わる天満宮です。現在地には明治時代後期の1900(明治33)年に移転されたと記されます。境内には「川崎天神」「川崎天満宮」と書かれた2つの社標が建っており、往時を偲ばせます。〖主祭神〗・菅原道真(すがわらのみちざね)新井谷戸天満宮...
2023/06/18 06:31
有馬神明神社(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
有馬神明神社(→神奈川県川崎市宮前区有馬5丁目)は、創建年代等の詳細は不明ですが、江戸時代後期の1845(弘化2)年12月の再建とあり、同年12月の「有馬村明細帳」によれば、当時村内には神明社2社と杉山社の計3社があったといい、これらが明治時代後期の1910(明治43)年に国の一村一社政策を受けて合祀し、有馬神明神社になったと記されます。もとの神明社2社は、江戸時代には旗本の遠山政之助(とおやままさのすけ)と曾根主税(そねち...
2023/06/17 06:16
福王寺(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
寿栄山 福王寺(→神奈川県川崎市宮前区有馬5丁目)は、境内に残る南北朝時代から室町時代にかけての石碑の存在から、中世にあった葬地に、1602(慶長7)年に死去した僧の雪□が鎌倉円覚寺の塔頭福王寺(→廃寺)の名跡を移す形で創建した臨済宗円覚寺派寺院です。有馬地区は、鎌倉時代には北条得宗家(→北条氏の家督)の所領があり、地域には北条氏ゆかりの寺院(跡地含む)が散見します。福王寺は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された...
2023/06/16 06:30
【川崎暴走】21歳専門学生を書類送検 国道で時速174キロ 同乗者の知人「動画が炎上し困っている」と県警に相談し特定
川崎市内の国道246号で法定速度を114キロ上回る時速174キロで車を運転したとして、神奈川県警宮前署は東京都国立市の専門学生の男性(21)を道交法違反(速度超過)容疑で書類送検。同乗者の知人が「動画が炎上し困っている」などと県警に相談し専門学生の特定につながったという。SNSで拡散された動画では、メーターに「時速183キロ」と表示。
2023/06/02 08:02
川崎市宮前区で中学受験におすすめ進学塾5選 公立中進学をおすすめしない3つの理由とは?
小学4年生の娘を中学受験も視野に進学塾に入塾させました 川崎市宮前区で小学生の娘を進学塾に通わせています。 僕は8年前に
2023/05/28 10:17
アド街ック天国選定!川崎鷺沼の子連れ親子おすすめスポット5選
2023年2月の4週土曜日にアド街ック天国で川崎鷺沼が紹介されました 2023年2月4週目の土曜日に、テレビ東京のアド街
2023/04/11 10:45
宮前区で子連れで楽しめる一番利用しやすい無料テニスコートはどこ?実際に4か所を利用して比較してみた
川崎市宮前区で無料のテニスコートに小学校の子ども2人を連れて4箇所すべて利用しました 2023年1月と2月に川崎市内在住
2023/02/07 18:46
関西人の僕が転勤で川崎市宮前区を選んだ理由5選|再開発予定の鷺沼周辺がおすすめできる7つのポイントとは?
川崎市宮前区に娘2人を連れて家族で引っ越しました 2016年1月に僕は転勤で大阪から神奈川県川崎市宮前区に家族で引っ越し
2023/02/03 17:05
秋月院(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
長沢山 秋月院(→神奈川県川崎市宮前区菅生2丁目)は、戦国時代に小田原北条氏の家臣・大木頼母之助(おおきたのものすけ)の子・主馬之助(しゅめのすけ)が、地震で圧死した両親を高野山(→和歌山県伊都郡高野町)に埋葬した後、出家してこの地に庵を創建したところから始まります。1590(天正18)年に小田原北条氏が滅亡すると、北条氏旧臣の片山図書(→法名秋月月心)が夫婦で平村に隠居し、彼らが死去すると遺骸は大木主馬之助が創建した...
2023/01/25 07:05
盛源寺(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
清水山 盛源寺(→神奈川県川崎市多摩区長沢1丁目)は、戦国時代末期に夏蒐山 修廣寺(→神奈川県川崎市麻生区片平2丁目)の3代住職・玄頓が開山した曹洞宗寺院です。玄頓は1591(天正19)年に死去しているので創建はそれ以前であることが分かります。江戸時代には本山・末寺の制により修廣寺の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。本堂へ向かう参道の右手には川崎市の重要郷土資料に指定されている「寛文十年霜月」(江戸時代前期→1670...
2023/01/24 09:35
菅生神社(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
菅生神社(すがおじんじゃ→神奈川県川崎市宮前区菅生2丁目)は、鎌倉時代前期の1233(貞永2)年に、下菅生郷(しもすがおごう)蔵敷(ぞうしき)の鎮守として白幡八幡大神(→神奈川県川崎市宮前区平4丁目)の祭神を勧請して創建された神社です。1233(貞永2)年は鎌倉幕府3代執権北条泰時(やすとき)が、最初の武家法である御成敗式目を制定した翌年にあたり、創建当時は若宮八幡大神と称されました。時代が下り江戸時代になると神職の小泉信濃...
2023/01/23 10:26
長安寺(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
法林山 長安寺(→神奈川県川崎市多摩区菅生4丁目)は、京都にある渋谷山仏光寺(→京都府京都市下京区新開町)の末寺に属する浄土真宗仏光派寺院です。創建年代の詳細は不詳ですが、戦国時代に小田原北条氏の家臣・間宮長安が無住となっていた寺を開基したと伝わります。間宮長安は、江戸時代中期の1774(安永3)年に前野良沢とともに最初の翻訳解剖書である『解体新書』を著した杉田玄白の先祖にあたります。開基の頃は浄土真宗大谷派に...
2023/01/22 09:36
五所塚・権現台遺跡(神奈川県宮前区)を訪問しました
五所塚・権現台遺跡(→神奈川県川崎市宮前区五所塚1丁目)は、五所塚第1公園内に南北に並ぶ直径4ⅿ・高さ2ⅿ前後の5つの塚を中心とした遺跡群です。外観が古墳に似ているところから、江戸時代に編纂された地誌には墳墓と記されています。しかし、川崎市教育委員会の調査により、中世や近世になって尾根筋に築かれた平尾十三塚(→東京都稲城市平尾2丁目と神奈川県川崎市麻生区五カ田の境)と同様な「境信仰」の塚であったと考えられていま...
2023/01/21 08:39
神木天満宮(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
神木天満宮(しぼくてんまんぐう→神奈川県川崎市宮前区神木本町3丁目)は、創建年代等は不詳ですが江戸時代には赤城社と呼ばれ、天台宗寺院の神木山 等覚院 長徳寺(→神奈川県川崎市宮前区神木本町1丁目)が別当寺として祭祀を司っていました。神仏習合の頃に五所権現社と呼ばれていた長尾神社(→神奈川県川崎市多摩区長尾3丁目)と隔年で例祭を実施していたと記されます。1868(明治元)年に明治政府の神仏分離令により等覚院との別当関係...
2023/01/18 07:17
等覚院(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
神木山 等覚院 長徳寺(→神奈川県川崎市宮前区神木本町1丁目)は、開山開基の詳細は不詳ですが、安土桃山時代初期の1573(元亀4)年に中興された天台宗寺院で、地元では等覚院の名で親しまれています。江戸時代には本山・末寺の制により浮岳山 昌楽院 深大寺(→東京都調布市深大寺元町5丁目)の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。現在の本堂は、将軍継嗣問題と通商条約締結に揺れた幕末期の安政年間(→1854年~1860年)に再建され、山...
2023/01/17 08:05
東泉寺(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
泰平山 東泉寺(→神奈川県川崎市宮前区平1丁目)は、戦国時代に僧の最初安慶が開山、この地を治めた小田原北条氏の家臣・葛山氏夫妻(→戒名は一翁全閑居士・清室体寒大姉)が菩提寺として開基した曹洞宗寺院です。最初安慶は1584(天正12)年9月27日に死去しているので、創建はそれ以前であることが分かります。北条氏の諸役賦課台帳である「小田原衆所領役帳」によると戦国時代の稲毛領平村は、「葛山殿」が11貫350文で知行していたと記...
2023/01/16 06:18
白幡八幡大神(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
白幡八幡大神(しらはたはちまんだいじん→神奈川県川崎市宮前区平4丁目)は、源頼朝にまつわる創建の縁起を持ちますが、その始まりについては2つの異なる説が見られます。1つは、鎌倉時代初期の1189(文治5)年7月に源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡(ふじわらのやすひら)を討伐した際に建てたという『新編武蔵風土記稿』の説で、もう1つは、平安時代中期の1061(康平4)年にこの地に創建された社(やしろ)が鎌倉時代初期の1192(建久3)年に源頼...
2023/01/15 06:13
"いい風呂"の日は温泉でのんびり。
"いい風呂"の日は温泉でのんびり。実際には1日遅れとなってしまいましたが、川崎・宮前平にある温泉で一風呂。今年5月21日と11月5日の記事でも掲載した温泉です。【2022年5月21日配信記事】【2022年11月5日配信記事】東急田園都市線・宮前平駅北口からみずほ銀行宮前平支
2022/11/28 21:35
泉福寺(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
平栄山 泉福寺(→神奈川県川崎市宮前区馬絹2丁目)は、生没年不詳の僧・義天法印によって創建された天台宗寺院です。境内の文化財などから江戸時代前期に創建されたと考えられます。江戸時代には本山・末寺の制により浮岳山 昌楽院 深大寺(→東京都調布市深大寺元町5丁目)の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。また、馬絹(まぎぬ)神社(→神奈川県川崎市宮前区馬絹5丁目)の前身である女体権現社の別当寺として祭祀を司りました。泉...
2022/11/22 09:03
馬絹白山神社(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
馬絹白山神社(→神奈川県川崎市宮前区馬絹5丁目)は、明治時代後期の1910(明治43)年に八幡神社・三嶋神社・熊野神社とともに神明神社(→のちの馬絹神社)に合祀された白山神社から分祀して建てられた神社です。境内社の矢中稲荷明神は、馬絹神社の氏子組織である「馬絹神社奉賛会」の矢中講の有志が創建したと石碑に書かれています。この地域は、昭和時代前期の1934(昭和9)年の資料では「橘樹郡宮前(みささき)村矢中」と書かれており、...
2022/11/20 06:15
馬絹神社(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
馬絹神社(まぎぬじんじゃ→神奈川県川崎市宮前区馬絹5丁目)は、江戸時代前期の元禄年間(→1688年~1704年)以前に創建された旧馬絹村の総鎮守で、神仏習合当時は女体権現社といい、本山・末寺の制により平栄山 泉福寺(→神奈川県川崎市宮前区馬絹2丁目)が別当寺として祭祀を司っていました。女体権現社は1868(明治元)年の神仏分離令により女体神社と改称し、1910(明治43)年3月には国の一村一社政策により近隣の八幡神社・三嶋神社・熊...
2022/11/19 11:06
馬絹古墳公園(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
馬絹(まぎぬ)古墳公園(→神奈川県川崎市宮前区馬絹5丁目)は、矢上川の沖積台地を望む標高43ⅿの台地の南縁にある円墳で、飛鳥時代の7世紀(→601年~700年)後半頃に築造されたと考えられています。現在は神奈川県の史跡公園として保存され、公園内にはパネルが設置されています。昭和時代後期の1971(昭和46)年に川崎市教育委員会による発掘調査が行われ、その結果、墳丘径約33ⅿ、墳丘高約6ⅿの円墳であることと、墳丘の周りには幅3.5ⅿ、...
2022/11/18 09:30
影向寺(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
威徳山 月光院 影向寺(ようごうじ→神奈川県川崎市宮前区野川)は、奈良時代中期の740(天平12)年に聖武天皇の勅命により創建された関東屈指の古刹で、往時は金堂・三重塔・12の塔頭(たっちゅう→メインの寺の中にあるサブの寺)と多くの末寺を擁し「関東の正倉院」と呼ばれた大寺院だったと記録されます。本尊は薬師如来両脇侍像(→薬師如来坐像・日光菩薩立像・月光菩薩立像)です。江戸時代前期の1710(宝永7)年に編纂された『影向寺縁...
2022/11/09 09:14
野川神明社(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
野川神明社(→神奈川県川崎市宮前区野川)は、創建年代などは不詳ですが、江戸時代には韋駄天社(いだてんしゃ)と称しており、江戸時代には天台宗寺院の聚海山 正観院 西蔵寺(→神奈川県川崎市宮前区野川)が別当寺として祭祀を司っていました。明治時代後期の1908(明治41)年に国の一村一社政策を受けて近くの子神社(ねのじんじゃ)・神明宮・第六天社が合祀され、神明社(野川神明社)となりました。〖祭神〗・天照大神(あまてらすおおみ...
2022/11/08 08:06