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#353 北条氏政・氏直も動く from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
北条氏、43,000の大軍で旧武田領の分捕り合戦に参戦!!8月6日の大河ドラマ『どうする家康』ではあっさり終わる家康の甲斐と信濃ゲット”天正壬午の乱”を家康家…
#364 天正壬午の乱 北条家との戦い~『松平家忠日記を読む』から見る
8月6日の大河ドラマ『どうする家康』ではあっさり終わる家康の甲斐と信濃ゲットの”天正壬午の乱”の北条家との戦いを『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (角…
#420 第37回「さらば三河家臣団」感想~大河ドラマ『どうする家康』
怪物化が加速する秀吉に小田原合戦とその後の関東国替え&江戸入りの大河ドラマ『どうする家康』の第37回「さらば三河家臣団」(10月8日放映)について鶴松を亡くし…
#462 小田原攻め その2~『松平家忠日記を読む』から見る
大河ドラマ『どうする家康』ではあっさり終わる小田原城包囲について『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (角川ソフィア文庫)』ではどのようになっているのか小…
#459 小田原攻め その1~『松平家忠日記を読む』から見る
大河ドラマ『どうする家康』ではあっさり終わる北条攻めについて『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (角川ソフィア文庫)』ではどのようになっているのか小田原…
#432 小田原合戦&関東国替え from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
10月1日放映の大河ドラマ『どうする家康』第37回の小田原合戦から関東国替えについて大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫)』…
#439 秀吉と北条家の関係悪化~『松平家忠日記を読む』から見る
大河ドラマ『どうする家康』においては初めから北条攻めを考えていて実行した秀吉という設定ですが、『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (角川ソフィア文庫)』…
どうする家康 第37話「さらば三河家臣団」 ~小田原城落城と家康の関東移封~
九州を平定した豊臣秀吉にとって、残る大敵は相模国小田原城主の北条氏のみとなりました。北条は関東一円に300石近い領地を支配する大大名で、徳川家康とも同盟...
小田原駅から数分のところに北条氏政・氏照の墓所があります。北条氏政後北条氏の4代目。父は北条氏康。1554年相甲駿三国同盟の成立とともに,武田晴信(武田信玄)の娘を正室として迎えた。1559年に氏康の後を継いで北条氏の勢力拡大に努めたが,豊臣秀吉による小田原征伐で数ヵ月の籠城の末に降伏して切腹,北条氏による関東支配を終結させる最期になった。北条氏の領国は相模・伊豆・武蔵・下総・上総・上野から常陸・下野・駿...
帰りは、行きと違うルートで、銅門から退城しました。銅門(あかがねもん)銅門は、江戸時代の小田原城二の丸の表門で、明治3年(1870)の小田原廃城後、明治5年(1872)に解体されるまで、江戸時代を通してそびえていました。往時は、大手筋にあたる馬出門土橋(現在のめがね橋)から城内に入り、銅門を通って二の丸御殿や本丸、天守へと進むようになっていました。銅門の名前は、大扉などに使われた飾り金具に、銅が用いられたことに由...
相模の小田原城を拠点とする北条氏は、北条早雲以来5代に亘り、関東に勢力を奮っていました。徳川家康は、次女の督姫を北条氏直に嫁がせており、同盟関係にあったことから、秀吉への仲介役を担当しました。天正16年(1588年)5月21付の北条氏政・氏直父子宛ての起請文では、「関白殿下への謁見を拒否する場合、娘・督姫を離別させる」という内容で秀吉への恭順を促すと、氏政の弟で、家康の旧友の北条氏規(うじのり)を上洛させました...
小田原駅からも小田原城から徒歩で20分ほどのところにある北条稲荷。その名の通り、北条氏ゆかりの神社です。北条3代・北条氏康が亡くなったのは、小田原城内で死んだ老狐の霊が家臣に乗り移り、身辺に不幸を起こしたからだろうと考えた氏康の子・北条4代・北条氏政が城内に老狐の霊を祀って供養をしたのが北条稲荷の起こりと伝えられています。 (諸説あり)北条氏康Wikipediaによると「夏に氏康が高楼で涼んでいると狐が鳴き、こ...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 59.徳川家康・四十七
蟄居中の北条氏直は、富田一白と津田盛月を通し、徳川家康に対して、赦免の執り成し依頼を行っている。 翌年の1591年(天正十九年)2月、早々に徳川家康を通して…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 58.徳川家康・四十六
しかし、北条氏政が、講和条件を拒否したために、豊臣秀吉が、黒田官兵衛孝高に命じ、交渉に当たらせた。 6月16日、北条氏政の重臣であった、松田憲秀の長子の笠原…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 57.徳川家康・四十五
浅野長政は、5月20日時点で、豊臣秀吉の命に従って、急ぎ軍を返すと、武蔵国方面に侵攻しており、寿能城及び、岩付城を攻めた。 5月21日時点にて、浅野長政は、…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 55.徳川家康・四十四
松井田城主で、北条氏累代の重臣、大道寺政繁は、北方軍を碓氷峠で、迎え撃ったが、与良が、真田勢の先方の真田信幸隊に打ち取られた。 主力は、真田軍と激戦になった…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 55.徳川家康・四十参
北条軍は、伊豆の南端の下田城を防衛線として、水軍を集結させていたため、西伊豆の諸城砦には、少数の陸戦部隊しか、配置していなかった。 同年の3月1日、豊臣秀吉…
乙女アタックで強キャラ成功してエピソードボーナス! ノブナガで昇格コタロウ+ウジマサで強チェリーという神引き! 戦国乙女4
今回も期待値稼働!イベントをやっているホールへ!まずは傷物語の有利区間内ボーナス2回の台を0ゲームから!有利区間移行後3回目のATは降臨ノ儀に25%でいくので、ここを狙っていきます!打ち始め、天国ではなかったようで100ゲームでczに入らず…その後もいくらレア役を引いてもczに当たらない…200、300ゲームもczに入らず、通常Bが確定400ゲームでczに当選したものの、スルー500ゲームのcz期待度75%のところすらもスルーこれはもう天井だなー700ゲームを超えると降臨ノ儀期待度が50%に跳ね上がるので、ここで勝負するしかないなーと思いきや600ゲームを超えたところで強ベルを引き、そこで入っ..
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 54.徳川家康・四十弐
11月24日、豊臣秀吉は、北条氏との手切れ書を北条氏及び、諸大名に配布した。 同日の豊臣秀吉から、徳川家康への書状では、来春の出陣決定と陣触れを出したことを…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 53.徳川家康・四十壱
豊臣秀吉は、北条氏政、徳川家康から事情聴取を行い、沼田領内の三分の二を北条氏政、三分の一を真田氏とする、譲歩に近い裁定を行った。 豊臣秀吉は、北条氏の当主の…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 52.徳川家康・四十
1586年(天正十四年)11月1日、徳川家康は、京へ上ると、11月5日、朝廷に正三位に叙される。 この時、多くの徳川家康の家臣が、叙任されている。 徳川家康…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 42.徳川家康・三十
しかし、依田信蕃の許に集結するのに反対する、勢力は、北条氏政の信濃佐久郡の岩尾城主の大井氏の許に集まった。 11月、依田信蕃は、信濃国の前山城を攻めて、前山…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 41.徳川家康・二十九
6月11日、北条氏政は、本能寺の変で、織田信長が、横死したことを知ると、6月12日、軍事動員を行った。 6月中旬、秩父往還を守備していた、浄居寺城の大村忠堯…
どうする家康 第30回「新たなる覇者」 その1 ~天正壬午の乱~
清須会議、柴田勝家とお市の方の結婚、天正壬午の乱、賤ヶ岳の戦い、越前北ノ庄城の戦いと、超足早に描かれましたね。これまでの戦国ものの大河作品であれば、3、...
里見義頼は、里見義弘の弟、または、庶長子の二説があり、生まれが、不明確である。 前述の通り、里見義弘は、正室の足利義明の娘との間に子供が、生まれなかったため…
立正山 光妙寺(→神奈川県藤沢市藤沢4丁目)は、江戸時代中期の1756(宝暦6)年に僧の日暁が創建した日蓮宗寺院で、もとは駿河国富士郡にあった妙境山 円恵寺(えんねじ→静岡県富士宮市大久保字内久禰)の外境仏堂「光妙庵」として建立されました。円恵寺は、戦国時代の1565(永禄8)年3月18日に真言宗寺院として創建された草庵が始まりで、1581(天正9)年4月に安居山 東漸寺(→静岡県富士宮市安居山)の8代住職日教によって日蓮宗寺院に改宗...
妙厳山 本覚寺(→神奈川県鎌倉市小町1丁目)は、室町時代中期の1436(永享8)年に鎌倉公方足利持氏が開基、僧の日出が開山した日蓮宗寺院です。2代住職の日朝(→のち身延山久遠寺の11代住職)の時代に、日蓮宗総本山の身延山久遠寺(→山梨県南巨摩郡身延町身延)より日蓮の骨を分けたので、「東身延」(ひがしみのぶ)とも呼ばれています。本覚寺が建つ場所は鎌倉幕府(→頼朝期の大蔵幕府)の裏鬼門にあたり、頼朝が鎮守のため夷堂(えびすどう)...
相も変わらずランチパック。 マーマレード味が売っていなかったので、仕方なくハム&チーズ味を買って来た(1点シール)。これも初めて食べたような気がするけど、けっこう美味しかった。 ハート型のビスケット(2点)。バレンタイン商品だと思う。独りで食べるつもりだけど。 1枚割れちゃったよ(不吉な…)。 ↓去年の桜型ビスケットは3点貰えたんだよなぁ。 ↓ハロウィンのビスケット。 小田原城のつづき。 天然記念物 小田原城跡のビャクシン。 ビャクシンを媒体として病原菌が梨に寄生するとは知らなかった…。 ↓桃?(梅?)も綺麗だったよ。 伊勢宗瑞(北条早雲)。 ↓「センゴク」の宗瑞さん。 このチケットの半券は、…
泰平山 東泉寺(→神奈川県川崎市宮前区平1丁目)は、戦国時代に僧の最初安慶が開山、この地を治めた小田原北条氏の家臣・葛山氏夫妻(→戒名は一翁全閑居士・清室体寒大姉)が菩提寺として開基した曹洞宗寺院です。最初安慶は1584(天正12)年9月27日に死去しているので、創建はそれ以前であることが分かります。北条氏の諸役賦課台帳である「小田原衆所領役帳」によると戦国時代の稲毛領平村は、「葛山殿」が11貫350文で知行していたと記...
5時間ぐらいは眠れたので、昨日に比べたら体調もかなりマシだったよ。 かまぼこバイキングのお店、えれんなごっそ。数えきれないほど訪れている。 前回は胆石発作の後で食べる量を控えていたけど、今回はとりあえず限界まで挑戦してみた。 ↓9つの仕切り皿の中の、上段向かって左に乗ってるまだら模様のしんじょみたいなのがブリンブリンで物凄く美味しい。 ほんと美味しい。 ↓柿の形の練り物は、秋のご贈答セット(歳時記 紅葉狩りという商品)の内の1つだと思う。 鶏団子の和風スープ…だったかな。 この季節はおでんもあるよ。 着席して渡されたチケットをキッチンスタジオという厨房のところまで持って行くと交換してくれる、特…
大学仲間と 久しぶりのこだま号、小田原で降りて根府川へ。駅から海の眺めが、素晴らしい、けど無人の駅。 駅前はシニアばっかり、バスで目的地の江の浦測候所に。 グループ毎に入場、変化に富んだ館内をあち
平等山 星谷院 善教寺(→神奈川県横浜市港北区新羽町)は、戦国時代前期の1492(明応9)年に死去した僧の慈海が池辺村星谷(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)に開基した瑠璃光山の山号を称した天台宗寺院が寺の起こりと伝わります。その後現在地に移転し、江戸時代前期の1612(慶長17)年に浄土真宗に改宗して西本願寺派に属しました。浄土真宗改宗時に山号と院号を平等山星谷院に改めたようです。寺の縁起には、戦国時代には小田原北条氏4代...
今回のお城は【相模国】の 小田原城 の紹介です。 この小田原城においては歴史も深くその起源は室町時代からだそうです。 しかしながら現代の天守(※再建)が建つ立派な城郭は天下泰平となった徳川の時
【ネコまんま】は由緒正しいサムライめし コロナと戦う免疫力を食べる【芳飯】とは?
<足利義政、織田信長の湯漬け 北条氏政、春日局の芳飯 そして令和の我々は?> 最近、ちゃんと満足に食べてますか? コロナ禍生活で食事についての情報は、店の中で密にならなようにとかいう、窮屈なもの。飲食店の経営が苦しくなってるとかいう、気分的にマイナスにならざるを得ないもの。あるいはウーバーだ出前館だっていう、生きるために頑張ってます系のニュースがほとんどですね。 家族で暮らしている人たちは、もともとの自炊生活でキチンとした食生活を普通に確保していたというのがほとんどだと思います。 コロナ禍の今はなにかと不自由な部分もあるんでしょうけれど、それでもしっかり家族全員の栄養、健康の維持に努めています…