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戦国時代に存在感を示した真田氏と難攻不落の上田城を訪ねる「上田城跡」(長野県上田市)
「上田城」は真田昌幸にによって戦国時代に築城された平城である。真田氏はNHK大河ドラマでも登場した武家で、信州の小国にあって甲斐の武田信玄の家臣となり、武田家滅亡後は自立、織田信長、徳川家康や北条氏、上杉氏、豊臣氏とも関係性を持ちながら戦国時代を生きた一
徳川が攻めあぐねた上田城、その堅城の秘密を紐解く【長野・上田市】
真田昌幸が築いた上田城は、徳川の大軍を2度も退けた堅城として知られます。千曲川に面した断崖絶壁を見上げると、真田昌幸の築城名人ぶりを感じます。だったことを知らされます。現在も江戸時代の遺構が多く残っている上田城跡公園を、城の歴史をふり返りながら探訪します。
「わが武田信玄公の家臣、 真田昌幸殿が築城した・・・ 上田城を視察に来たでござる。」 「どれどれ・・・」 (ここはまだ城外でござる💦。) …
【第2回】戦国武将たちの姓名判断ランキング・ベスト10!《下の巻》第1と10位を発表!〜名前で天下統一するのは誰だ!?〜【名前勝負】
第2回戦国武将の姓名判断ランキング《下の巻》はいよいよ第1位を発表!エントリーは、毛利元就、島津義弘、直江兼続、竹中半兵衛、真田幸村、斎藤道三などクセの強い有名武将ばかり。果たして名前で天下統一果たしたのは誰だったのでしょうか?
【第2回】戦国武将たちの姓名判断ランキング・ベスト10!《中の巻》第5〜2位を発表!〜名前で天下統一するのは誰だ!?〜【名前勝負】
第2回戦国武将の姓名判断ランキング《中の巻》エントリーは、毛利元就、島津義弘、直江兼続、竹中半兵衛、真田幸村、斎藤道三などクセの強い有名武将ばかり。果たして名前で天下統一するのは誰だったのでしょうか? 名前ナンバーワンに輝くのはどの武将だったのでしょうか?
【第2回】戦国武将たちの姓名判断ランキング・ベスト10!〜名前で天下統一するのは誰だ!?〜《上の巻》第9〜6位を発表!【名前で勝負】
第2回戦国武将の姓名判断ランキング《上の巻》エントリーは、毛利元就、島津義弘、直江兼続、竹中半兵衛、真田幸村、斎藤道三などクセの強い有名武将ばかり。果たして名前で天下統一するのは誰だったのでしょうか? 名前ナンバーワンに輝くのはどの武将だったのでしょうか?
#539 レビュー 主家、武田家滅亡!信州をいかに泳ぐか『真田幸村(上)』
『大河ドラマ「どうする家康」 - NHK』で戦闘あっさりの大坂の陣で、激しく戦い華々しく散る真田信繁(幸村)を味わいたくて読みました。 武田家滅亡寸前から始ま…
#542 レビュー 天正壬午の乱での生き残りの幸村の恋『真田幸村(下)』
『大河ドラマ「どうする家康」 - NHK』で戦闘あっさりの大坂の陣で、激しく戦い華々しく散る真田信繁(幸村)を味わいたくて読んだ下巻天正壬午の乱で真田はどう生…
「その1」のつづきです。 徳川家康がこの世を去ったのは、大坂夏の陣から1年足らずの元和2年(1616年)4月17日。同年1月、鷹狩に出た先で倒れ、その後...
#353 北条氏政・氏直も動く from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
北条氏、43,000の大軍で旧武田領の分捕り合戦に参戦!!8月6日の大河ドラマ『どうする家康』ではあっさり終わる家康の甲斐と信濃ゲット”天正壬午の乱”を家康家…
#359 北条との和睦 from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
家康が甲斐と信濃をゲットした”天正壬午の乱”の収束について8月6日の大河ドラマ『どうする家康』ではあっさり終わる家康家臣の奮戦ぶりを大久保彦左衛門忠教(忠世の…
#364 天正壬午の乱 北条家との戦い~『松平家忠日記を読む』から見る
8月6日の大河ドラマ『どうする家康』ではあっさり終わる家康の甲斐と信濃ゲットの”天正壬午の乱”の北条家との戦いを『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (角…
#373 第33回「裏切り者」感想~大河ドラマ『どうする家康』
小牧・長久手の戦い終わって、あの石川数正出奔事件を描く2023.08.27の大河ドラマ『どうする家康』の第33回「裏切り者」について秀吉との交渉役で一人徳川家…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 90.徳川家康・七十八
真田幸村は、上田合戦にて、徳川家康を苦しめた、真田昌幸の次男、真田信繫とされる。 真田「幸村」は、大阪冬の陣の際に、突然、登場した、人物であるが、大阪の陣当…
#390 徳川軍の上田城攻め from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
大河ドラマ『どうする家康』第33回で、少しだけ描かれた上田城攻めについて、其れに従軍した大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫…
今日は 道の駅 柿の郷くどやま の紹介です。 場所は和歌山県の内陸部で大阪と三重との県境も近い県道4号線沿いにある道の駅です。 訪れたのはすでに7年も前のことで、当時大河ドラマでやっていた
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜関ヶ原にどんどん近づいてドキドキするねってことで第42話の感想ぉ〜!挙兵した石田三成。三成に「家康を討て」…
【どうする家康】#42 関が原前夜。これが見たかった!の鳥居元忠&千代の伏見籠城戦
「彦」鳥居元忠の幸せな最期 NHK大河ドラマ「どうする家康」は第42回「天下分け目」が11/5に放送された。 関が原前哨戦と言えば、待ってましたの伏見籠城戦。2万5千の三成方に囲まれた2千の徳川方は、元武田忍者の千代が加わって鳥居元忠(彦)と夫婦で戦うという「どう家」ならではの変調バージョンで描かれた。 「逃げることは許されぬ。必ず守り通せ」と家康に言われた元忠の最期は既に見えていたが、お涙頂戴のコレが見たかった。あらすじを公式サイトから引用する。 上杉征伐に向かう家康(松本潤)のもとに、三成(中村七之助)挙兵の知らせが届いた。小山で軍議が開かれ、西国大名の多くが三成に付く中、家康は天下分け目…
どうする家康 第37話「さらば三河家臣団」 ~小田原城落城と家康の関東移封~
九州を平定した豊臣秀吉にとって、残る大敵は相模国小田原城主の北条氏のみとなりました。北条は関東一円に300石近い領地を支配する大大名で、徳川家康とも同盟...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜1週、番組がお休みだったねってことで第35話の感想ぉ〜!家康がついに秀吉と対面。対面の前日に会いにきた秀吉…
長野県上田市の芳泉寺は、歴代の上田藩主の菩提寺で、真田信幸(之)の正室・稲姫(小松姫)の墓がある寺院です。後に真田氏に代わって、入封した仙石氏が改称するまでは、常福寺という名の寺でした。山門芳泉寺山門には六文銭と三つ葉葵の紋が入っており、徳川・真田の関係を表しています。 真田家の六文銭の紋徳川家の三つ葉葵の紋仙石氏の永楽通宝銭の紋浄土宗月影杏葉の宗紋境内から見た山門不見の岩(別名:天狗の岩)参道に沿...
かつての上田城二ノ丸の堀跡は、昭和になってから上田電鉄が走っていましたが、現在はけやき並木遊歩道として整備されています。現在も電車跡の名残が見られます。上田城は、上田盆地の北部に位置し、千曲川の分流である尼ヶ淵に面していたので、築城当初は「尼ヶ淵城」とも呼ばれていました。この辺りはもろく崩れやすいのがわかりますね。南・西櫓の下段には、享保の洪水後に設置された大規模な石垣があります。南櫓ここから、西...
真田神社は、上田城跡公園内にある神社で、創建は明治13年(1880年)。真田・仙石・松平の歴代の上田藩主を祀っており、主神は真田昌幸と長男の真田信之父子、仙石氏・松平氏を祭神として奉られています。徳川の軍勢を二度も撃退し、大阪の陣で大活躍した真田氏の神霊は「知恵の神様」として崇敬され、真田氏の知略や勝運にあやかろうという人達が多く訪れる人気パワースポットにもなっています。境内には、真田軍のシンボル・赤備...
上田城の3つの櫓の見学を終え、お城の周りをぐるっと散策。花木園では、ツツジ、ハナミズキをはじめ、春の花が満開でした。上田招魂社当招魂社は、戊辰戦役従軍の戦死者をはじめ、日清・日露戦争から大東亜戦争に至る間国家のために亡くなった人々の英霊を祀っています。お濠に沿って歩いていると、隅欠(すみおとし)という看板が見えてきます。隅欠は、上田城の特徴のひとつで、鬼門の方角である北東の隅の土塁を切り込んで、鬼...
天正14年(1586年)10月14日、浜松を発って上洛の途についた徳川家康は、同月20日に岡崎で大政所の到着を見届け、同月27日に大坂城にて豊臣秀吉と対...
天正11年(1583)真田昌幸によって築城された上田城は、第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城として知られています。東虎口櫓門から城内に入ります。櫓門の手前から見た空堀。櫓門をくぐる前、右側の石垣の中に真田石があります。高さ2.5m、幅3mの城内最大の石です。真田信之が上田城から松代に移る際、父の形見として持ち去ろうとしたが動かなかったという伝説が残されています。この楼門は、北櫓と...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 53.徳川家康・四十壱
豊臣秀吉は、北条氏政、徳川家康から事情聴取を行い、沼田領内の三分の二を北条氏政、三分の一を真田氏とする、譲歩に近い裁定を行った。 豊臣秀吉は、北条氏の当主の…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 52.徳川家康・四十
1586年(天正十四年)11月1日、徳川家康は、京へ上ると、11月5日、朝廷に正三位に叙される。 この時、多くの徳川家康の家臣が、叙任されている。 徳川家康…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜小牧長久手の戦いの後から始まったねってことで第33話の感想ぉ〜!今回は悩める石川数正が主役でしたね。秀吉と…
小牧・長久手の戦いで思わぬ敗北を喫した羽柴秀吉でしたが、ここからが秀吉の本領発揮。織田信雄をあの手この手で懐柔し、天正12年(1584年)11月11日、...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 42.徳川家康・三十
しかし、依田信蕃の許に集結するのに反対する、勢力は、北条氏政の信濃佐久郡の岩尾城主の大井氏の許に集まった。 11月、依田信蕃は、信濃国の前山城を攻めて、前山…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 41.徳川家康・二十九
6月11日、北条氏政は、本能寺の変で、織田信長が、横死したことを知ると、6月12日、軍事動員を行った。 6月中旬、秩父往還を守備していた、浄居寺城の大村忠堯…
どうする家康 第30回「新たなる覇者」 その1 ~天正壬午の乱~
清須会議、柴田勝家とお市の方の結婚、天正壬午の乱、賤ヶ岳の戦い、越前北ノ庄城の戦いと、超足早に描かれましたね。これまでの戦国ものの大河作品であれば、3、...
寒松山 大林寺(だいりんじ→長野県長野市松代町)は、江戸時代初期の1622(元和8)年に上田藩主真田信之(9万5000石)が松代藩(13万石)に加増の形で移封された際に、信之・信繁兄弟の生母山手殿(寒松院)の菩提寺として創建した曹洞宗寺院です。1613(慶長18)年6月に上田で死去した山手殿は上田の大輪寺(だいりんじ→長野県上田市中央北1丁目)に埋葬されましたが、松代移封にともない信之は改めて大林寺を菩提寺として墓所を作り直しました...
夏の長野と街歩きの旅part9~真田丸とサマーウォーズ~ 本編の前に我が家のプチネタ。 今日のお題は「ももたインバッグ1」。 ただ今旅中にももたを連…
夏の長野と街歩きの旅part8~上田城が暑くて熱い!!~ 長野旅2日目、午後1時前。 これから上田城に向かう。 上田城は最初、真田昌幸(幸村の父)に…
三成に「表裏比興」と呼ばれた真田昌幸やっぱり最高だ!65年の生涯 - BUSHOO!JAPA
青銅製文化財約300点 中国・成都に登場 - AFPBB News AFPBB News 三星堆(Sanxingdui)から新たに出土した…
今日は真田で知られる 上田城【信濃国】を紹介します。 天下の徳川を2度までも撃退したと言うことで有名になったのがこの城でした。 しかしながら関ヶ原の戦い後にこの上田城は徹底的に破城されてしまい
楽しい日本史 -偉人編- 19 真田幸村 家康を追いつめた戦国最後のヒーロー
人質時代をすごし、強大な敵・家康に立ち向かった戦国最後のヒーローとして知られる真田幸村について以下のような疑問
高野山・橋本 温泉旅館・ホテル 〜真田昌幸・幸村父子の隠れ宿〜紀伊見荘 ≪和歌山県≫*観光スポット周辺のホテル・旅館一覧≫ ≪ふるさと納税「和歌山県」≫ ♪頑張ろう!日本!・・・ウイルスに負ける
今日は【紀伊国】真田庵(※善名称院)の紹介です。 ここはかの真田親子(※昌幸・信繁)が、関ヶ原の合戦にて負けた西軍側であったことからこの地に流され蟄居生活を送った際の建物があったと言われる場所で
合戦レポート。 ワールド9−15では、刷新で統合があったためか、 「本願寺」防御が増えたね。 下手に突っ込むとかなりの痛手になる。 まだ兵の生産も追いついて…