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小宮曲輪の戦い 要害地区である、この小宮曲輪は、狩野一庵が守備していると言われています。天正18年(1590年)6月23日の八王子城攻めの戦闘の局面を変えたのが、この場所と言われています。 ここからは、参考文献「高尾山と八王子城」からの引用になります 平井無辺(むへん)の手引きで搦め手側の別道(棚沢道?)を攻め登ってきた上杉景勝軍の藤田信吉勢による小宮曲輪の奇襲により、気づいた狩野一庵がとって返すと、藤田勢につづいた甘粕清長勢が一庵陣屋に火を放ち、燃え上がる炎に勢いづいた攻城勢は先陣を競って山頂曲輪に攻め登り、ここを最後に落城した。 東屋の裏手にある、小宮曲輪の標識に従って進みます。道はやや急…
↑東京都八王子市の元八王子町(もとはちおうじまち)に鎮座する、御嶽神社(みたけじんじゃ)を探訪しました。由緒は、社殿前に建つ石碑を以下に転記させて頂きました。※筆者の判断で、句読点と振り仮名を追加させて頂いております。御嶽神社 御祭神:蔵王権現(日本武尊) 今より四百年ほど前の天正年間(1573〜1592)北条氏照が滝山城を慈根寺山(じごじやま)に移城し、城下の横山・八日市・八幡の三宿がこの地に移るに至って...
5年の歳月をかけて築城し、3年後には落城した八王子城跡を歩く
いざ本丸へ 御主殿跡から、ボランティアガイドさんと一緒でないと歩けないコースを歩いて本丸を目指します。道はよく踏まれ、さらにガイドさんのご尽力で整備されてしました。 今回歩いたコースは、八王子城の3エリアの内、2エリア(居館地区・要害地区)を歩くことが出来ます。 ちなみに3エリアとは、 要害地区 戦闘時に要塞となる地区 居館地区 城主北条氏照の館があり生活の中心になっていた地区 根小屋地区 城の城下町にあたる地区 道は緩やかな登りという感じで 6分ほどで四合目の少し先の道に合流します。 この道ではないのだろうけど、松井田城を守る、大道寺政繁を降伏させたのちこの辺りの地理に詳しい大道寺勢を先頭に…
前回までの話。 kutuwada.hatenablog.com 階段を下り古道・御主殿跡に向かいます ガイドの金子さんのお話を聞きながら歩いていたので写真を撮るのも忘れてしまい昨年行った時の写真を織り交ぜながら話を進めます 右側の頭上に橋が見えたので、お聞きすると八王子城とは特に関係がないとのこと さらに進んでいくと、ガイドボランティアさんと一緒でないと入れない場所(チェーンが張られて先には進めないようになってます)が出てきて、石段を数段上がります 上がり切った先は、平広場のような場所となっています。 お話によるとここにはお寺さんがあったそうです。この集合写真はここにお寺があった時の写真で、こ…
八王子城について 八王子城は、戦国時代の終わりごろ(16世紀末)に、北条氏照が築いた城です。戦国。大名北条氏は、小田原城を本拠地とし、関東に勢力を誇っていました。三代目の北条氏康は、武田信玄や上杉謙信とも渡り合いました。北条氏照は氏康の子です。戦上手と言われ、北条氏の勢力を広げる働きをするなど、兄の氏政らとともに北条氏の中心人物でした。はじめ滝山城を拠点にしていましたが、本拠地を移すため、今の元八王子に新しく城を築きました。それが八王子城です。八王子城は、北条氏の城の中でも大きな規模を誇り、重要な城でした。八王子城は、かなり険しい深沢山に築かれています。そのため、敵の攻撃を防ぎやすいのです。し…
八王子城跡を訪ねる前に、城主北条氏照及び家臣墓をお参りした。
北条氏照及び家臣墓について タイトルには、墓と書きましたが正確に言うと北条氏照の家臣であった中山家範の孫の中山信治が氏照の100回忌に際し、供養塔を造立したものだそうです。両脇に中山家範と信治の墓があります。(八王子市生涯学習スポーツ部文化財課公式HPより引用)小田原合戦の責任を取って自害させられた4代氏政と弟氏照 (八王子城主)は、この場所にあった伝心庵に葬られ。後に伝心庵は移転し、墓は放置されてしまいましたが、稲葉氏の時代に、追福のために作り直されました。しかし、それも関東大震災で埋没し不明となったため、翌年地元の有志によって復興されました。墓地内には、五輪塔、笠塔婆型墓碑、石灯籠や、氏政…
千畳敷から二の丸へ 二の丸は滝山城でも防御性が優れており、3か所の虎口(出入口)にはすべて「馬出」を備え、集中的な防御の構えが認められているようです。築城家は、二の丸を防ぐことによって本丸・中の丸を守れると考えたようだ。千畳敷からはいったん少し戻り、この標識に従って進む。 左手の少しくぼんだ道が空堀か? 先ほどの指導票から5分ほどで広場のような場所に出ました。ここが、二の丸があった場所のようだ 案内板にも二の丸と書かれてあった。 ここから、先は道は左手は滝山城跡(中の丸・本丸方面)と右手は古峯ヶ原園地との分岐になります。今日は、左手に進む 滝山城跡方面に歩いていくと、左手に中の丸南側の防御の案…
滝山城とは 「滝山城」は西暦1521年に武蔵守護代の大石定重が築城し、後に大石氏の養子になった北条氏照(小田原北条氏四代氏政の弟)が拡張、改修したとされてきました。しかし、近年の研究により、北条氏照は由井領を支配していた大石綱周の養子になり「浄福寺城(由井城)」に居住し、その後、1567年までに滝山城を築城して移転したと考えられています。滝山城が築かれた加住丘陵は東西に長く、北は多摩川に浸食された急峻な断崖、南は谷戸は入り組んだ複雑な地形になっています。こうした地形を利用した滝山城の特徴は、「二の丸集中防御」です。「二の丸」は3つの尾根が集中していて、各々に「馬出」を設け、「二の丸には敵を絶対…
↑こちらは東京都八王子市丹木町(たんぎまち)に所在する北条氏照(ほうじょう うじてる)の居城、滝山城に鎮座する「吉田久稲荷神社」です。滝山城には何度も登城しており稲荷神社が鎮座していることは知っていましたが、その由緒は全く知らず(汗)最近「吉田久稲荷神社」という社号だった事も知り(恥)久々に探訪したわけです。社号と由緒を知ったのは「猫の足あと」様のページです。以下に引用させて頂きました。江戸時代末期...
正月気分が抜けたような抜けていないような中途半端な1月12日のことです。 新宿7:44発のホリデー快速おくたま3号には、お試し期間中のグリーン車が連結されていました。 2025年3月15日のサービス開始までは、グリーン料金なしで乗車することができます。3月15日以降は、最西の大月までのグリーン料金は100kmまでで1000円。特急料金 1020円ですのでほとんど差がありませんので、大月までグリーン車を利用するのは現実的ではないかもしれません。 ただ、通勤ライナー的存在だった「はちおうじ」「おうめ」が廃止されるので、特に青梅線方面は需要が高そう。また、休日には観光需要もあると思います。 拝島で八…
箱根や伊豆に行く移動拠点は生活空間の楽しさに心躍る街~小田原城下
北条氏政が豊臣軍を前に籠城戦を繰り広げた小田原城下は江戸時代に入り東海道の要所として発展しました。今は箱根や伊豆に行く時の通過点となっています。駅前から散策をしていると街の雰囲気は明るく活気があり、短時間でも独特の雰囲気を味わえました。
↑東京都青梅(おうめ)市に所在する、中世の豪族 三田氏の居城跡、勝沼城跡(師岡城とも)を探訪しました。概要は、現地解説板を以下に転記させて頂きました。東京都指定史跡勝沼城跡 所在地:青梅市東青梅六丁目五八番外指 定:大正14年5月標識 昭和27年4月1日史蹟 昭和30年3月28日旧跡 平成5年3月22日史跡 勝沼城は、霞川上流部を南に臨む丘陵に位置し、主郭標高215メートルを測る平山城です。三...
東京都青梅(おうめ)市に所在する真言宗豊山派の寺院、青梅山 無量寿院 金剛寺を探訪しました。※以下、寺号のみの「金剛寺」と省略させて頂きました。↑写真は平将門(たいら・の・まさかど)が植えたと伝わる、将門誓いの青梅(あおうめ)です。自分が金剛寺を知ったのは・・・↑山口敏太郎「怨霊と呪いの日本史」の「平将門」の章の、以下の記載です。『新編武蔵風土記稿」には、平将門が植えた梅の木が残されているという記述が...
↑東京都羽村(はむら)市に所在する、鎌倉時代の創建と推定される東京都指定史跡「五ノ神まいまいず井戸」と五ノ神社(ごの・かみしゃ)を探訪しました。「まいまいず」とは蝸牛(かたつむり)のことで、この螺旋状の井戸は以前、旅番組で見て印象に残り、行ってみたいと思っていたのです。 ↑五ノ神まいまいず井戸の所在地は「東京都羽村市五ノ神1丁目2−1」で、JR青梅(おうめ)線の羽村駅東口から徒歩1分かかりませんでした...
東京都八王子市に所在する中世城郭、国指定史跡の滝山城(続日本100名城)に登城しました。滝山城は、小田原北条氏(後北条氏)の本拠地 小田原城の支城です。↑写真は「本丸」と「中の丸」を隔てる「大堀切」に架かる「引き橋」で、堀底道は鎌倉古道です。ここは、滝山城を象徴する場所の一つ。永禄12年(1569)10月2日、北条氏照が守る滝山城を武田信玄・勝頼が包囲。北条氏照は落城寸前まで攻め込まれるも、武田軍が囲みを解いて...
どうする家康 第37話「さらば三河家臣団」 ~小田原城落城と家康の関東移封~
九州を平定した豊臣秀吉にとって、残る大敵は相模国小田原城主の北条氏のみとなりました。北条は関東一円に300石近い領地を支配する大大名で、徳川家康とも同盟...
小田原駅から数分のところに北条氏政・氏照の墓所があります。北条氏政後北条氏の4代目。父は北条氏康。1554年相甲駿三国同盟の成立とともに,武田晴信(武田信玄)の娘を正室として迎えた。1559年に氏康の後を継いで北条氏の勢力拡大に努めたが,豊臣秀吉による小田原征伐で数ヵ月の籠城の末に降伏して切腹,北条氏による関東支配を終結させる最期になった。北条氏の領国は相模・伊豆・武蔵・下総・上総・上野から常陸・下野・駿...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 41.徳川家康・二十九
6月11日、北条氏政は、本能寺の変で、織田信長が、横死したことを知ると、6月12日、軍事動員を行った。 6月中旬、秩父往還を守備していた、浄居寺城の大村忠堯…
八王子城跡-3 本丸から北条氏照の墓へ 2023 06 803 八王子城・本丸跡御主殿(居館)から管理棟を経由し、本丸への入り口(登山口)から登り始めて「頂上」標識まで約1時間かかりました。本線から外れた寄り道や、暑さのために度々の休憩に時を費やしています。781 「頂上」と有れば一番高い所なのでしょうが、ここでの実際の最高地点は異なるようで、更に上がありました。前回は⇒ 八王子城跡-2 本丸へ石段の道 2023 06787 ...
八王子城跡-2 本丸へ石段の道 2023 06 782どんよりとした空に湿度の高い6月の鬱陶しい日でした。お供で「勝手な城址観察員」に成り済まし、初めに城山川沿いの御主殿(跡)を見分し、次はいよいよ本丸に進みます。前回は⇒八王子城跡-1 御主殿跡 2023 06 26638 フィールドインフォメーション721 八王子城跡主要城郭周辺鳥観図登城とは家臣が主君の城に参上すことらしいのですが、本丸への山道を進みながらこの城(跡)は別な意味...
八王子城跡-1 御主殿 2023 06 26164 曳橋と御主殿前城に詳しいとか、城巡りを趣味でやっているとか、そういうことは全くないのですが、近くの入門者が八王子城跡に行くと言うので、どんな所か早速「勝手な城跡観察員」に成りすまして同行しました。637 ガイダンス施設(ここで予備知識を得て登城の覚悟を決める)同行者からの大まかな情報によると八王子城跡は北条氏照が16世紀に築いた山城とのこと…山城と言えば山に有るのだろ...
武蔵滝山城攻城を歩く。 その4 <信濃曲輪・行き止まりの曲輪>
「その3」のつづきです。滝山城本丸跡まで攻略しましたが、同城の城域はまだまだあります。 本丸下段に戻って、東側には、「その3」で見た木橋が架かっています。...
「その2」のつづきです。滝山城といえば、最も有名なのが、中ノ丸と本丸の間の深い大堀切と、そこに架かる復元木橋のロケーションですね。 これがこれ。 堀切が深...
「その1」のつづきです。滝山城跡西馬出を過ぎて二ノ丸に向かいます。 二ノ丸西側の堀切。 二ノ丸南側に設置された案内板です。 二ノ丸に上ってみましょう。 二...
武蔵滝山城攻城を歩く。 その1 <三ノ丸・小宮曲輪・千畳敷・西馬出>
八王子城跡から直線距離で北東約8kmのところに、滝山城跡があります。滝山城は、北条氏照が八王子城を築く前に居城としていた城でした。 現在、城跡は滝山城址公...
「その3」のつづきです。山頂の城跡を攻略したので、下山して麓の居館部を攻めます。八王子城の縄張りは、標高445 m、比高約240 mの深沢山(城山)山上に...
「その2」のつづきです。いよいよ山頂の八王子城本丸に向かいます。 本丸への登り口は小宮曲輪からのルートと中の曲輪からのルートがありますが、中の曲輪から登り...
「その1」のつづきです。登山口から登ること約30分、八王子城本丸下の中の曲輪に到着しました。 左奥に見える建物は、八王子神社の社殿、右手の建物は登山客の休...
過日、東京出張の折、1日だけオフがあったので、かねてから行きたかった東京都八王子市にある八王子城跡を訪れました。八王子城は、小田原城を本拠とする北条氏の3...
永山諏訪神社(→東京都多摩市諏訪1丁目)は、室町時代に武蔵国守護代で由井城主の大石信濃守顕重(おおいし しなののかみ あきしげ)が諏訪大社(→長野県諏訪市・茅野市・下諏訪町)を勧請し、大風(→台風)除けの守護神として崇敬されたと伝わります。永山駅周辺は由井領(→国衆大石氏の領国)に含まれ、戦国時代の1559(永禄2)年11月には、北条氏照(→北条氏康三男)が養子縁組の形で大石氏の家督を譲られ、氏照の奉行人として付けられた家老...
↑年に一度必ず登城している東京都八王子市の八王子城。約1年ぶりの登城日は、ひんやり冷たい北風が吹く気温9℃の日でした。初登城は、確か小学校5年の遠足だったと思いますが、今回で何回目か?は、数えてないので分かりません・・・↑八王子城は東京の西の外れ、八王子市の西部。有名な高尾山の北側と言えば分かりやすいでしょうか。公共交通機関を御利用の場合、JR中央線「高尾駅」北口から「八王子城跡行き」バス(西東京バス)に...
5時間ぐらいは眠れたので、昨日に比べたら体調もかなりマシだったよ。 かまぼこバイキングのお店、えれんなごっそ。数えきれないほど訪れている。 前回は胆石発作の後で食べる量を控えていたけど、今回はとりあえず限界まで挑戦してみた。 ↓9つの仕切り皿の中の、上段向かって左に乗ってるまだら模様のしんじょみたいなのがブリンブリンで物凄く美味しい。 ほんと美味しい。 ↓柿の形の練り物は、秋のご贈答セット(歳時記 紅葉狩りという商品)の内の1つだと思う。 鶏団子の和風スープ…だったかな。 この季節はおでんもあるよ。 着席して渡されたチケットをキッチンスタジオという厨房のところまで持って行くと交換してくれる、特…
大学仲間と 久しぶりのこだま号、小田原で降りて根府川へ。駅から海の眺めが、素晴らしい、けど無人の駅。 駅前はシニアばっかり、バスで目的地の江の浦測候所に。 グループ毎に入場、変化に富んだ館内をあち
今日のお城は【武蔵国】の 八王子城 であります。 この城は小田原城の周囲に配置されていた沢山ある支城のひとつでありましたが、そんな支城の中でもこの城には凄い特徴がありまして、当時まだ関東の城にお
今回のお城は【相模国】の 小田原城 の紹介です。 この小田原城においては歴史も深くその起源は室町時代からだそうです。 しかしながら現代の天守(※再建)が建つ立派な城郭は天下泰平となった徳川の時