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大阪市城東区今福に鎮座する三郷橋稲荷神社この辺りは、大坂冬の陣で、後藤又兵衛(基次)、木村重成、が、佐竹義宣、上杉景勝と戦った激戦地でした。神社の前に、「大坂冬の陣古戦場 今福・蒲生の戦い跡」の碑があります。側面には、木村重成・後藤基次奮戦の跡地と書かれています。慶長19年(1614年)、大坂城攻撃のため、現在の天王寺、茶白山に本陣を置いた徳川家康の命により、今福・蒲生は秋田城主佐竹義宣、鴫野には...
1614年(慶長19)年、方広寺鐘銘事件により、豊臣方と徳川方と対立が激化すると、両家の調整役の片桐且元は、戦争を避けるために徳川家康との和平交渉に奔走しましたが、家康と交渉している間に、大野治長や淀から家康との内通を疑われるようになり、大坂城を追放されてしまいました。これが徳川方の冬の陣の宣戦理由となり、家康は総勢20万の大軍で、秀頼のいる大阪城を包囲させました。片桐且元一方、豊臣方は、旧豊臣系の大名に味...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 80.徳川家康・六十八
筆者の個人的見解では、石田三成の「独善」が存在しなければ、豊臣恩顧の諸大名達は、分裂することなく、結束して、豊臣政権を守ったと思われるため、徳川家康は、「天…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜家康さんが狸って言われているのは演技なんかなぁ?ってことで第41話の感想ぉ!石田三成を政(まつりごと)から…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 78.徳川家康・六十六
上杉景勝への処分は、8月16日に言い渡された。 上杉景勝は、陸奥会津百二十万石から、出羽米沢三十万石へと減封され、11月28日には、米沢へと移動した。 即ち…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 77.徳川家康・六十五
島津家は、二年間という、粘り強い外交によって、減封されることはなく、本領安堵を得ることができたのである。 薩摩は、大坂から、離れている、地理的な利点は大きか…
どうする家康 第41話「逆襲の三成」 ~家康暗殺計画、直江状、内府ちがひの条々~
石田三成の失脚から約半年後の慶長4年(1599年)9月、今度は徳川家康を暗殺しようとする企てがあることが発覚します。その首謀者は金沢に帰国している前田利...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 64.徳川家康・五十弐
1600年(慶長五年)3月、越後国の堀秀治が、会津の上杉景勝の重臣、直江兼続に越後の年貢の下半期分まで持ち出された訴えを起こした。 更に、出羽国の最上義光ら…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 61.徳川家康・四十九
豊臣政権を揺るがす、「秀次事件」を受けて、豊臣秀吉は、諸大名に対し、上洛を命じ、事態の鎮静化を図った。 徳川家康は、豊臣秀吉の命令で上洛した。 以降、開発途…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 42.徳川家康・三十
しかし、依田信蕃の許に集結するのに反対する、勢力は、北条氏政の信濃佐久郡の岩尾城主の大井氏の許に集まった。 11月、依田信蕃は、信濃国の前山城を攻めて、前山…
どうする家康 第30回「新たなる覇者」 その1 ~天正壬午の乱~
清須会議、柴田勝家とお市の方の結婚、天正壬午の乱、賤ヶ岳の戦い、越前北ノ庄城の戦いと、超足早に描かれましたね。これまでの戦国ものの大河作品であれば、3、...
「その1」のつづきです。登山口から登ること約30分、八王子城本丸下の中の曲輪に到着しました。 左奥に見える建物は、八王子神社の社殿、右手の建物は登山客の休...
過日、東京出張の折、1日だけオフがあったので、かねてから行きたかった東京都八王子市にある八王子城跡を訪れました。八王子城は、小田原城を本拠とする北条氏の3...
菅北浦子之神社(すげきらうらねのじんじゃ→神奈川県川崎市多摩区菅北浦5丁目)は、創建年代などは不詳ですが、鎌倉時代には前身となる社(やしろ)が稲毛領小沢郷7ヶ村の総鎮守であったと記されています。小沢郷は、旧橘樹郡菅村・細山村・金程村(→現在の川崎市多摩区・麻生区)、旧多磨郡坂浜村(→現在の東京都稲城市)付近にかかる範囲と推定されます。これらには鎌倉時代前期の御家人稲毛三郎重成(→小山田有重の子、北条時政の娘婿、...
今まで大河ドラマに登場した戦国武将の登場回数ベスト3は・・・??①徳川家康・・・21回②織田信長・・・17回③前田利家・・・17回4位の豊臣秀吉を抑えてランクインしたのが前田利家です。下剋上はびこる乱世に終止符を打つべく、天下統一を目指した織田信長と豊臣秀吉・・
無量山 寿経院 龍安寺(→神奈川県川崎市多摩区宿河原2丁目)は、安土桃山時代後期の1593(文禄2)年に僧の空誉が創建した浄土宗寺院です。小田原北条氏は1590(天正18)年8月に滅んでおり、この時期の宿河原村は江戸入封を果たした徳川家康によって治められています。龍安寺は、江戸時代には本山・末寺の制により永劫山 慶元寺(→東京都世田谷区喜多見4丁目)の末寺として幕藩体制の一翼をの担い、檀信徒の家を転々と巡り月末の一夜のみ龍...
1530年1月21日、雪深き越後国に一人の男の子が生まれました。やがて若武者へと成長した子は、龍の如く戦国の世を駆け抜けていきます。人々は、その生きざまを”越後の龍”と称しました。そう・・・上杉謙信です。自らを毘沙門天の化身と名乗り、仏教に深く帰依していた上杉謙