メインカテゴリーを選択しなおす
信長の後を継ぐのは誰か?柴田勝家と羽柴秀吉、最終決戦「北ノ庄城」
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、信長の後を継ぐのは誰か?柴田勝家と羽柴秀吉
#254 『信長公記』を読むその30 巻14の3 :天正九(1581)年 対上杉 北国平定戦
『信長公記』巻14 天正9(1581)年のその3は、柴田勝家・佐々成政・前田利家らによる対上杉戦などの北国平定戦についてです。 北へ西へ広がる分国 対北国平定…
今日は越前国にあった 福井城 を紹介します。 場所は福井県福井市の中心地にあって、現在は本丸内には県庁舎や福井県警本部が鎮座しております。 またこの城の以前には北ノ庄城と言う信長の重臣であっ
徳川家康(9)碧雲の巻!信長の後を継ぐのは誰か?清須会議、賤ケ岳の戦いの果てに
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、徳川家康(9)碧雲の巻!信長の後を継ぐのは誰か?清須会議、賤ケ岳の戦いの果てに…です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの
三谷幸喜「清須会議」儂が!オレが!いやおれが…信長の後を継ぐのは誰だ?
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、三谷幸喜「清須会議」儂が!オレが!いやおれが…信長の後を継ぐのは誰だ?です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や読み
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 44.徳川家康・三十弐
しかし、同時刻、船によって、琵琶湖を渡っていた丹羽長秀が、「一度坂本に戻るべし」との部下に反対されたが、進路を変更して、海津への上陸を敢行した事で、戦局は一…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 44.徳川家康・三十弐
しかし、同時刻、船によって、琵琶湖を渡っていた丹羽長秀が、「一度坂本に戻るべし」との部下に反対されたが、進路を変更して、海津への上陸を敢行した事で、戦局は一…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 43.徳川家康・三十壱
前述の通り、織田信長が、本能寺の変によって、明智光秀に討たれると、羽柴秀吉が、山崎の戦いで、明智光秀に勝利し、主君の仇を討った。 織田信長の嫡男で、織田家の…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜見るのも感想も1週遅れたなってことで第30話の感想ぉ〜!『本能寺の変』の後、『山崎の戦い』で明智光秀を討っ…
【どうする家康】#30 戦国のヒロイン・お市が「敗軍の将」、エサに釣られた家康は歯噛み
秀吉を甘く見ていたよね?家康、忠次 NHK大河ドラマ「どうする家康」の第30回「新たなる覇者」が8/6に放送され、戦国時代のヒロインお市の方が柴田勝家とともに越前北庄城で命を終えた😢😢😢 まずは公式サイトからあらすじを引用する。 無事、浜松へ戻った家康(松本潤)。一方、秀吉(ムロツヨシ)は織田家の後継ぎを決める清須会議で、信長の孫・三法師を立てつつ、織田家の実権を握ろうとしていた。そんな秀吉の動きを苦々しく見ていた市(北川景子)は柴田勝家(吉原光夫)との結婚を決意。秀吉と勝家の対立が深まる中、家康は旧武田領に手を伸ばす関東の雄・北条氏政(駿河太郎)との一戦に臨むことになる。(これまでのあらすじ…
どうする家康 第30回「新たなる覇者」 その3 ~賤ヶ岳の戦い、越前北ノ庄城の戦い~
「その2」のつづきです。清洲会議以降、決定的な対立関係となった羽柴秀吉と柴田勝家。もはや天下を視野に入れた秀吉にとって勝家は邪魔な存在であり、一方の勝家...
どうする家康 第30回「新たなる覇者」 その2 ~清須会議・柴田勝家とお市の方の結婚~
「その1」のつづきです。 山崎の戦いから半月後の、天正10年(1582年)6月27日、尾張・清洲城において織田家後継者ならびに遺領の分配を決めるための、織...
天正11年(1583年)4月16日、一度は秀吉に降伏していた織田信孝の再挙兵に対し、羽柴秀吉軍は、美濃へ進軍しますが、揖斐川の氾濫により大垣城に入ります。揖斐川大垣城柴田勢は佐久間盛政に攻撃を命じると、大岩山砦を守っていた中川清秀>が討死し、秀吉軍は苦戦を強いられます。佐久間盛政黒田官兵衛軍は、盛政の攻撃を撃退。盛政は次に岩崎山の高山右近を攻撃、右近は木ノ本の羽柴秀長の陣所に逃れました。盛政は、「大岩山陥落...
木之本駅から歩いて約5分の浄信寺は、通称「木之本地蔵院」と呼ばれています。本尊は地蔵菩薩(秘仏)。境内には秘仏本尊の写しである高さ約6メートルの地蔵菩薩大銅像があり、これは日本三大地蔵の一つとされ、眼の地蔵菩薩として信仰を集めています。地蔵菩薩大銅像身代わり蛙片目をつぶった蛙がずらり・・・天武天皇の時代、難波浦(大阪府)に金光を放つ地蔵菩薩像が漂着し、これを祀った金光寺を難波の地に建てたのが始まりで...
大手橋を通って清洲城へ。清洲古城跡の五条川対岸に、平成元年(1989年)に天守閣が建てられ、ふれあい郷土館として郷土文化・文化・歴史・産業展示室を設け、芸能文化館・黒木書院、日本庭園・土蔵・大手門等が作られました。室町時代、尾張の守護職であった斯波義重が下津城(稲沢市)の別郭として建てたのが清洲城の始まりといわれています。戦乱により、下津城が焼失後、文明10年(1478年)守護所が清洲に移転することにより、清洲...
今回は近隣の 明徳寺【真宗高田派】を紹介します。 場所は名古屋市名東区の少し高台にあって、この寺の宗派である真宗高田派は我家の宗派であります。 またここはかの柴田勝家公が誕生した地だそうで、寺
ネットを徘徊中にヒョイと目に留まったのが「ブラック企業」という言葉の説明でした。 その言葉自体を知らないわけではありませんが、正直あまり関心を持ったことは ありません。 そこで、「折角の機会」ということもあって、ちょいと立ち寄ることにしてみました。 すると、のっけからこんな...
越前の朝倉義景討伐の軍を率いた織田信長が、敦賀に入って朝倉氏一族が守る金ケ崎城を落とし、越前に攻め入ろうとした時、近江の浅井長政が離反して、織田軍の背後を襲い、一転、挟撃を受ける危機に見舞われました。そこで信長は、木下藤吉郎(豊臣秀吉)らに殿(しんがり)を任せ、朽木(くつき)を経由して京に退却(金ヶ崎の退き口)6月、信長は浅井氏を討つべく、近江国姉川河原で徳川軍とともに浅井・朝倉連合軍と対峙京都に帰還し...
本日、「月刊・歴史チップス」2023年4月号鼓舞味(通算258号)、「轍鮒之急(てっぷのきゅう)! 死中求生! 六角(ろっかく)軍に取り囲まれる!! ~ 柴田勝家(しばたかついえ)猛将伝説!「甕破り(かめわり。瓶割り)柴田」!!」 を、更新しました。 誤記や乱文の修正やリンクの追加などは追々行います。●歴史チップス●...
━━━┃━┃━┃━━━━━━━━━━━━┃━┃━┃━━━★◇☆☆★◇☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆◇☆◇★◇☆☆◇★◇☆ ~ 月刊・歴史チ...
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。「わしは隠居いたす!」元春は妻、優(ゆう)、元長(もと…
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正10年(1582年)10月、本能寺の変から4ヶ月、…
大河ドラマ「どうする家康」に登場する柴田勝家とは?秀吉の好敵手でお市と共に自害。
今年(2023年)のNHK大河ドラマ「どうする家康」に登場する人物の中には、一般にはあまり知られていない人物もいます。私は、吉原光夫さん(冒頭の画像)が演じることになった柴田勝家がどういう人物だったのか大変興味があります。そこで今回は、柴田
辞世の句(その11)戦国時代 お市の方・柴田勝家・石田三成・石川五右衛門
団塊世代の私も73歳を過ぎると、同期入社した人や自分より若い人の訃報にたびたび接するようになりました。そのためもあってか、最近は人生の最期である「死」を身近に感じるようになりました。「あと何度桜を見ることができるのだろうか」などと感傷に耽っ
今まで大河ドラマに登場した戦国武将の登場回数ベスト3は・・・??①徳川家康・・・21回②織田信長・・・17回③前田利家・・・17回4位の豊臣秀吉を抑えてランクインしたのが前田利家です。下剋上はびこる乱世に終止符を打つべく、天下統一を目指した織田信長と豊臣秀吉・・
今日は【越前国】北ノ庄城 を紹介します。 この城を築城したのはかの織田信長公の重臣であった柴田勝家でした。 しかしながら本能寺の変にて信長亡き後、織田家の跡目争いに関して秀吉との戦いにて敗れ天
信長さまに対して失礼な反応をした家臣達に対する光秀さまの対応 -そんな私の恋乱日記 番外編④-
信長さまがおにぎりを作る 『信長様のおにぎり -そんな私の恋乱日記 番外編②-』織田信長だ。今日此処の奴は仕事で帰りが遅くなるらしい。飲まず食わずで働く…部下…
信長さまのおにぎりに対する、家臣の皆さまの反応 -そんな私の恋乱日記 番外編③-
前回の信長さまのおにぎり↑に対する、家臣の皆さまの反応↓丹波長秀 「………(あの御屋形様が他人の為に握り飯を…しかしあの握り飯は食べるに耐えうるのか?私には……