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羽柴軍と徳川軍が激突"長久手の戦い"!猛将も散った「長久手古戦場」へ
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、羽柴軍と徳川軍が激突"長久手の戦い"!猛将
家康を辿る城旅「岩崎城」!池田軍の奇襲"三河中入り"、戦いの帰趨を握った岩崎城の動きとは?
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康を辿る城旅「岩崎城」!池田軍の奇襲"三
家康を辿る城旅「犬山城」!小牧・長久手の火ぶた…池田恒興寝返りの急襲"犬山城の戦い"
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康を辿る城旅「犬山城」!小牧・長久手の火
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 47.徳川家康・三十五
森長可の討ち死によって、池田・森軍の左翼が、崩れ始めると、徳川軍の優勢となった。 池田恒興は、自軍の立て直しを図ったが、永井直勝の槍を受けて、討死にした。…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 46.徳川家康・三十四
4月7日、徳川家康は、羽柴秀吉の姉の息子、即ち、甥である、羽柴秀次の軍が、上条城・大留城等、篠木周辺に、二泊宿営した頃に、近隣の農民、伊賀衆からの情報で、秀…
天正12(1584)年に徳川家康と羽柴秀吉が激烈な戦いを繰り広げた小牧・長久手の戦いの長久手の主戦場跡地は、現在、「古戦場公園」として整備され、国の史跡に指定されています。園内には小牧・長久手の戦いで戦死した池田恒興、元助親子の塚や郷土資料室があります。古戦場公園郷土資料室で、レンタサイクルを借りて、長久手古戦場の史跡巡りをしてきました。勝入塚勝入塚は、池田恒興(勝入)が戦死した場所と伝えられています。尖っ...
どうする家康 第32話「小牧長久手の激闘」 ~小牧・長久手の戦い(後編)~
天正12年(1584年)3月17日に起きた羽黒の戦いで徳川家康・織田信雄連合軍が大勝利を収めたあと、徳川軍は小牧山城に、羽柴秀吉軍が楽田にそれぞれ陣を布...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 45.徳川家康・三十参
羽柴秀吉は、織田信雄が、津川義冬・岡田重孝・浅井長時を処刑したことに激怒すると、織田信雄に対し、出兵を決断した。 徳川家康は、織田信雄と同盟を結ぶと、紀州の…
どうする家康 第31回「史上最大の決戦」 ~小牧・長久手の戦い(前編)~
越前北ノ庄城にて柴田勝家を滅ぼした羽柴秀吉は、織田信長の後継者として日増しに勢力を強めはじめます。勝家とともに秀吉と対抗していた信長の三男・織田(神戸)...
天正12年(1584年)3月13日、徳川家康が清洲城に到着したその日、織田氏譜代の家臣で織田軍に与すると見られていた池田恒興が突如、羽柴軍に寝返り、犬山城を占拠しました。犬山城は、木曽川沿いの小高い山の上に建てられた「後堅固の城」で、別名「白帝城」とも呼ばれています。白帝城については、荻生徂徠が、長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」にちなんで命名したと伝えられています。尾張と美濃の国境...
どうする家康 第30回「新たなる覇者」 その2 ~清須会議・柴田勝家とお市の方の結婚~
「その1」のつづきです。 山崎の戦いから半月後の、天正10年(1582年)6月27日、尾張・清洲城において織田家後継者ならびに遺領の分配を決めるための、織...