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浄土寺 -三重県桑名市立教まちづくり拠点施設「-話したくなる-韓国語入門講座」
안녕하세요?😄三重県桑名市・立教まちづくり拠点施設で開講されている🏫、『-話したくなる- 韓国語入門』の開講前に、公民館の近くを散策してました🚶🏻♂️諸戸家本邸から、浄土寺に立ち寄りました🚶🏻♂️仏様にご挨拶です🙏🏻ところで、この近くに本多忠勝の墓所があ
関東エリアで天守閣のある城はあまりありません。三河武士の本多忠勝のお城です。彼の最初のお城です風格のある城です。本多忠勝は最後は桑名城で生涯を閉じました。戦国時代最強の武士と言われてます。宜しければポチお願いします🙇⤵️にほんブログ村過去の投稿記事です。日本100名城東京江戸城天守閣石垣-リタイアじーじの徒然絵日記残念ながら東京には天守閣はありません。江戸城の石垣とお掘りは残っています。もし天守閣が残っていたら大変なことになっていたでしょう。もっとも、江戸時代の大半は天守...gooblog小田原城格好いい城郭日本100名城-リタイアじーじの徒然絵日記秀吉に最後まで抵抗した北条の城は立派なお城でした。大久保が後を継いでから、城郭を大分小さくしたようですが、それでも素晴らしいお城でした。宜しければポチお願い...大多喜城冬景色
【第2回】戦国武将たちの姓名判断ランキング・ベスト10!《下の巻》第1と10位を発表!〜名前で天下統一するのは誰だ!?〜【名前勝負】
第2回戦国武将の姓名判断ランキング《下の巻》はいよいよ第1位を発表!エントリーは、毛利元就、島津義弘、直江兼続、竹中半兵衛、真田幸村、斎藤道三などクセの強い有名武将ばかり。果たして名前で天下統一果たしたのは誰だったのでしょうか?
【第2回】戦国武将たちの姓名判断ランキング・ベスト10!《中の巻》第5〜2位を発表!〜名前で天下統一するのは誰だ!?〜【名前勝負】
第2回戦国武将の姓名判断ランキング《中の巻》エントリーは、毛利元就、島津義弘、直江兼続、竹中半兵衛、真田幸村、斎藤道三などクセの強い有名武将ばかり。果たして名前で天下統一するのは誰だったのでしょうか? 名前ナンバーワンに輝くのはどの武将だったのでしょうか?
【第2回】戦国武将たちの姓名判断ランキング・ベスト10!〜名前で天下統一するのは誰だ!?〜《上の巻》第9〜6位を発表!【名前で勝負】
第2回戦国武将の姓名判断ランキング《上の巻》エントリーは、毛利元就、島津義弘、直江兼続、竹中半兵衛、真田幸村、斎藤道三などクセの強い有名武将ばかり。果たして名前で天下統一するのは誰だったのでしょうか? 名前ナンバーワンに輝くのはどの武将だったのでしょうか?
多度大社をお参りした後、桑名名物の蛤を使った「蛤三昧」のコース料理をいただきました。蛤の霜降り刺身、天ぷら、フライ、お寿司、すまし汁など文字通り蛤三昧のお料理でした。蛤にこんな料理法があるとはビックリ!プリップリで美味しかった~~こんなに一度に蛤も食べたのは初めてでした。人生で初で最後でしょうね(^0^;)駅前にあったこのお店、残念がら閉店してしまったようです(;_;帰る頃には、すっかり日が暮れ、桑名駅東口...
多度大社の境内を進んで行きます。白馬舎古くから伝わる白馬伝説に因んだ白馬が納められています。こちらは本物の馬ではありません。馬は非常に歯の丈夫な動物と言うことで、これにあやかった『歯ぎしり除けの豆』が頒布されていいす。招魂社 西南の役以降の国内外の出征、戦歿された桑名郡市・員弁郡市・四日市市・三重郡・岐阜県下出身の御英霊を奉斎。美御前社於葺門(おぶきもん)この門を境にして本殿の神域に入ります。末社...
桑名市多度町に鎮座する多度大社。社伝では、雄略天皇の御代の創建と伝わっています。1571年(元亀2年)、織田信長の長島一向一揆平定の際、命を受けた大垣城主氏家卜全により、多度大社の本宮並びに摂末社、神宝、古記録、多度大社の神宮寺であった宝雲寺の七十余りに及ぶである堂塔伽藍が焼失、その後1605年(慶長10年)に桑名藩主・本多忠勝により再建されました。御例祭は、一般的には多度祭と称され、おり上げ馬神事や流鏑馬...
桑名城跡を出て、桑名駅方面へ歩いて約10分の場所にある浄土寺は、本多忠勝の本廟がある寺で、桑名藩主本多家の菩提寺となっています。 当寺は、永承4(1049)年海中から出現した地蔵尊を安置したのが始まりと言われています。 慶長の町割りで現在地に移り、桑名藩主本多家の菩提寺となり、藩主本多忠勝が没した時に、当寺に葬られ、本多忠勝本廟となりました。「慶長の町割り」とは、忠勝が、慶長6年(1601)桑名に封ぜられてか...
この後、九華公園の周辺の桑名城の遺構を散策しました。立教小学校 藩校「立教館」の流れをくむ小学校。歴史を語る公園南大手橋江戸の日本橋から京都の三条大橋に至る東海道五十三次をモチーフにして造られた公園で、道中をイメージした道標や案内板などが設置されています。日本橋三条大橋ここから桑名城三の丸の城壁が見られます。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ...
関ヶ原の戦いの後、桑名藩主となった本多忠勝は、4年がかりの大規模な区画整理「慶長の町割」を行いました。それまで水害に悩まされた土地を埋め立て、川の流れを大きく変えて外郭堀に利用。4層の天守閣や多くの櫓を備えた城を建て、武家と町人、さらに業種ごとに城下町の居住区を分割。港町・城下町・東海道の宿場町として、桑名の町の基盤を作りました。桑名城跡には現存建造物はなく、石垣、堀が残るのみで、現在は桑名城址九華...
桑名の総鎮守社である桑名宗社には、幾つかの名称がありますが、通称を春日神社と言います。東海道筋の大きな鳥居は、もとは本多忠勝が慶長7年に木造で作ったものでしたが、大風で倒壊し、寛文7年(1667)、桑名城主 松平定重により、青銅の鳥居に建て替えられました。桑名宗社は、桑名神社(三崎大明神)と中臣神社(春日大明神)の両社からなり、ともに延喜式神名帳の伊勢国桑名郡に記載されている式内社です。織田信長、徳川家...
桑名駅から徒歩15分ほどのところに鎮座する住吉神社は、揖斐川に面して建てられています。神社前の石灯篭2基は、江戸時代の材木商達が寄進したものです。桑名は古くから伊勢湾、木曽三川を利用した広域的な舟運の拠点港として「十楽の津」と呼ばれ、木材や米等の集散する商業都市として発達し、住吉浦は廻船の舟溜りでした。住吉神社は、廻船業者が航海の安全を祈り、正徳五年(1715年)住吉大社(大阪府大阪市住吉区住吉)の分霊...
本多忠勝ゆかりの地を巡る桑名の旅をしてきました。観光案内所でレンタサイクルを借り、桑名の旅がスタート!三の丸堀に架かる舟入橋ここから桑名城の石垣跡を見ることができます。柿安コミュニティパークは、桑名城の三の丸跡に造られた芝生広場です。桑名城三之丸御殿(新城)及び桑名紡績工場跡慶長6年(1601)、本多忠勝が桑名城主となり、城下町割りと共に、本格的な城の建設を行った。本丸の北には新城(三之丸)と呼ば...
本多忠勝は、天文17(1548)年、安祥松平家(徳川本家)の最古参の譜代である安祥譜代の本多氏で、本多忠高の長男として、三河の西蔵前城に生まれました。天文18年(1549年)、父・忠高が戦死し、叔父・忠真のもとで育ちました。幼い頃から徳川家康に仕え、永禄3年(1560年)13歳の時に桶狭間の戦いの前哨戦である大高城兵糧入れで初陣、このとき、同時に元服しました。三河一向一揆、姉川の戦、三方ケ原の戦、長篠の戦、高天神の...
2023年11月23日千葉県城巡りの旅、ラスト4城目は大多喜城。ここまで、全てが計画通りの一泊2日の旅。千葉県には82城もの城跡があると言われています。尋常ではない数です。その中で100名城に選出されているのは、下総国の佐倉城のみ。続100名城に選出されているのは、同じく下総国の本佐倉城、そして上総国の大多喜城になります。今回の旅の目玉はやはり最後の大多喜城です。久留里城から大多喜城まで車で移動。紅葉シーズンなので、道中至る所で観光の方が多くいました。大多喜城は里見氏が惣無事令の違反を名目に上総を没収された後、徳川家康がこの一帯を支配。そして、徳川四天王の本多忠勝が初代大多喜藩として城主となり、大多喜城は近世城郭に生まれ変わりました。その後、本多家→阿部家→青山家→稲垣家→松平家と城主は変わるものの、明治...大多喜城
大阪市城東区の白山神社の創建年月は不詳ですが、明治5年までは、白山権現と称し、応永(1394年)の頃から中浜・鴫野・森の諸村の氏神でした。 天正4年(1576年)織田信長が石山本願寺を攻撃した時、社殿を焼失しましたが、慶長8年(1603年) 豊臣秀頼により再建されました。 拝殿の見事な彫刻 同19年、大阪冬の陣による兵火で再び焼失し、元和3年(1617年)大坂城代内藤紀伊守により再建されました。 歯痛治癒に霊効があることで...
令和5年12月3日(日) 【旧 一〇月二一日 赤口】・小雪 橘始黄(たちばなはじめてきばむ)家康に過ぎたるものは二つあり唐《から》の頭《かしら》に本多平八 ~小杉左近(武田信玄の近習)家康の身の程に過ぎたものが二つある。唐の頭と本多平八郎だ。 「唐の頭」とはヤクの
【どうする家康】#44 家康が徳川SDGsに目覚めた10年、秀頼は大成長
母に欺かれていた家康 NHK大河ドラマ「どうする家康」は第44回「徳川幕府誕生」が特別なオープニングと共に11/19に放送された。今回だけのスペシャルバージョンだそうな。今回は1600年の関ケ原の戦いが終わってのひととき、というよりも1611年に手が届く10年もの期間がブワーッと一気に巻き気味に描かれ、家康の母・於大、股肱の臣の平平コンビ(本多忠勝、榊原康政)、そしてドラマでは出てこなかったが家康の息子らが死んでいった。 この間、大坂方の豊臣秀頼が確実に成長していく。一方、家康は天下を返さぬための手を打っていった。 あらすじを公式サイトから引用する。 家康(松本潤)は大坂城で、関ヶ原の戦勝報告…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜関ヶ原後、どうなったかなぁ…って第44話の感想ぉ〜!「関ヶ原の戦い」後、豊臣秀頼に挨拶をした家康。茶々さん…
戦勝報告の時の茶々サンのお顔が,コワイんだわ・・・。治部ドノに続いて,息子にまで不信感を吹き込むなど,ラスボス活動に余念がありません(笑) 詐欺師,違った謀臣正信サンも,他の皆も年取ったのぉ。まあ,しょっちゅう戦さに出てれば,体の傷みも増えるわけだし・・・その筆頭が万千代だよなぁ。語り死に・・・。 タイトル音楽,ピアノ主体に編曲が変わりましたな。映像も変わってるし,終盤へ向けての助走ですか〜。 息子に...
徳川家康(10)無相門の巻!家康と秀吉がついに激突「小牧・長久手の戦い」
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、徳川家康(10)無相門の巻!家康と秀吉がついに激突「小牧・長久手の戦い」…です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や
関ヶ原の戦い(1)「本多忠勝陣跡~徳川家康最初陣地~決戦地」
2015年に関ヶ原に行った時の記事を再アップします。この日は、JRのさわやかウォーキングに参加しました。駅からすでに合戦がスタートしているようです。最初の陣跡は、駅から0.7kmの本多忠勝陣跡ここから1.8km先には徳川家康最初陣地「桃配山」は二大戦の陣跡と言われています。壬申の乱にて、勝者の大海人皇子が野上行宮より出陣し、陣を敷いたという言い伝えがあり、家康は縁起を担ぎこの場所に陣を置いたといわれています。家康...
徳川家康在城期の徳川家臣団居住区は、浜松城を取り囲むように設定されていました。鴨江観音堂の北築地跡、現在の浜松西小学校付近には、鵜殿兵庫頭の屋敷跡の標柱が立っています。鵜殿兵庫頭鵜殿氏長(うどの うじなが)天文18年生まれ。鵜殿長照の子。今川氏真の家臣。父とともに三河(愛知県)上之郷(かみのごう)城をまもる。永禄5年徳川家康の家臣,松平清善に攻められ捕虜となる。今川方と徳川方の人質交換で氏真のもとにもどり,...
桑名・九華公園を散策 -三重県桑名市立教まちづくり拠点施設「-話したくなる-韓国語入門講座」
안녕하세요?😄三重県桑名市・立教まちづくり拠点施設で開講されている🏫、『-話したくなる- 韓国語入門』の前に、担当15年目にして初めて、講座前に九華公園に立ち寄りました🙋🏻♂️はじめに本多忠勝を拝んだ後👀、公園の中へ歩いていきます🚶🏻♂️鳩さん達が木陰で休
どうする家康で国替により家臣が城持ちの大名になりました。現在、関東には、あまり絵になる城、天守閣は残念ながらありません。千葉県に国換えの時、本多忠勝が築上した大喜多城が在ります。再建ですが、天守閣のある立派な城です。ここは、続100名城にもなっております。本多忠勝の娘は小松姫👸、真田家に嫁ぎ波乱万丈でした。孫はあの豊臣秀頼の正妻千姫👸と結婚しました。忠勝歴戦の勇者で生涯かすり傷もしなかった猛将です。城ひとつでも、いろいろな歴史的背景を思い出します。宜しければポチお願いします。にほんブログ村過去の投稿記事です。どうする家康石川数正国宝松本城-リタイアじーじの徒然絵日記どうする家康いよいよ佳境に近づいて来ました。今までにないストーリーではありますが、毎回楽しみに見ています。国宝松本城は立地といいとても綺麗なお...本多忠勝大喜多城続日本100名城
【どうする家康】#36 家康の心を救った笑顔の於愛、偽りが誠になった夫婦
殿不在時、家中に指図をする於愛の方 NHK大河ドラマ「どうする家康」第36回「於愛日記」が9/24に放送された。徳川幕府二代将軍の母としてその名を遺した於愛を中心に、真田信幸に嫁ぐ嫁がないのすったもんだを演じた本多忠勝の娘・稲姫、お久しぶりの武田の間者・千代、そして初登場のはずだけれど見覚えのある茶々(やっぱりの北川景子がお市の方と二役)の話が主に描かれた。 まずは公式サイトからあらすじを引用する。 家康(松本潤)は真田昌幸(佐藤浩市)から、北条に領地を渡す代わりに徳川の姫が欲しいと頼まれる。忠勝(山田裕貴)の娘・稲(鳴海唯)を養女にして嫁がせようとするが、父娘ともに猛反対。そんな中、家康が探…
NHK大河ドラマ「どうする家康」で、本多忠勝ロスの方は会いに行ってみてはいかがでしょうか。 本多忠勝公像本多忠勝像本多忠勝 武将印とパンフレット 本多忠勝(1548-1610)徳川四天王の一人。桑名10万石初代藩主。生涯において57度の合戦
~治部少(石田三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城~ これを戦国時代の日本の武将である石田三成(1560-1600年)に対する評価だと 受け止めると、こんな印象にもります。 ~参謀役の島左近(生年不詳-1600年)と領地の佐和山城は、石田三成という人物には ...
"戦国最強"信玄来襲!危うし家康…本多忠勝決死の殿戦「一言坂古戦場」
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、"戦国最強"信玄来襲!危うし家康…本多忠勝
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 45.徳川家康・三十参
羽柴秀吉は、織田信雄が、津川義冬・岡田重孝・浅井長時を処刑したことに激怒すると、織田信雄に対し、出兵を決断した。 徳川家康は、織田信雄と同盟を結ぶと、紀州の…
どうする家康 第28回「本能寺の変」 ~家康の堺遊覧と信長の横死~
時は天正10年(1582年)6月2日・・・・といえば、言わずと知れた「本能寺の変」ですね。天下統一を目前にした戦国の覇王、織田信長が、最も信頼していた家...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 19.徳川家康・九
先行していた、本多忠勝及び内藤信成の率いる、偵察隊は、武田軍の先発隊と遭遇する。 偵察隊は、即座に退却したが、武田軍は、素早い動きで、徳川軍を追撃し始め、太…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 19.徳川家康・七
当時の松平家康の直臣団は、小領主が主体であり、三河の国衆及び、松平衆と異なり、単独にて、「備」、即ち、部隊等を編成可能な者は、少なかった。 そのため、旗本先…
どうする家康 第17話「三方ヶ原合戦」 ~信玄の進軍ルートと一言坂の戦い~
いよいよ徳川家康の人生最大のピンチと言われる三方ヶ原の戦いに突入します。 元亀2年(1571年)、室町幕府15代将軍・足利義昭は織田信長討伐令を出し、こ...
一言坂の戦いは、武田信玄の西上作戦の過程で行われた戦いであり、三方ヶ原の戦いの前哨戦です。元亀3年(1572年)、武田信玄は信長包囲網に応える形で西上作戦を発動。信玄は軍を3つに分け、山県昌景率いる5,000の兵を三河国へ、秋山虎繁率いる伊那衆を美濃へと先行させ、自ら率いる本隊2万5000を信濃国の青崩峠から徳川氏領の遠江へと侵攻させました。別働隊を率いた馬場信春は、徳川方の只来城を落とすことに成功、信玄の本隊と...
浜松市中区に鎮座する分器稲荷神社は、田町の氏神社とされ、徳川家康が三河から浜松に入った永禄11年(1568年)2月に創建されたと伝えられています。稲荷神社の場所は中世引間宿の南限にあたり、家康が浜松に来た頃には、経済の中心としてたいへん賑わっていました。家康の在城17年のうちに引間城(浜松城)を拡大し、堀尾吉晴や江戸初期の譜代大名が城下を大改造すると、引間宿は解体されて跡地は武家屋敷になりました。「分器」...
「みちひろば」の徳川四天王の像(1)酒井忠次像&本多忠勝像
岡崎の籠田公園と桜城橋を結ぶ全長約320mの”みちひろば”中央緑道に、徳川四天王の像が設置されています。酒井忠次像徳川家康の覇業に功績のあった重臣。本多(ほんだ)、井伊(いい)、榊原(さかきばら)とともに徳川四天王の一人。徳川氏と同祖だという名門左衛門尉(さえもんのじょう)酒井氏の嫡流に生まれる。家康より15歳年長の忠次は早くから家康に仕え、家康の駿府(すんぷ)人質時代にも供奉(ぐぶ)して奏者役(そうじゃやく)などを...
分器稲荷神社付近には、本多忠勝の屋敷跡の標柱がたっています。本多忠勝酒井忠次,榊原康政,井伊直政とともに徳川四天王と呼ばれ,徳川氏譜代家臣団の最上層を形成した。父は忠高,母は植村新六郎氏義の女。幼名鍋之助,通称平八郎。1560年(永禄3)尾張大高城の兵糧入れが初陣。武功により頭角をあらわし,66年寄騎(よりき)50人余を付属された。以後武田信玄との諸戦で勇戦し,信玄の近習小杉左近はその武勇を〈家康に過ぎたるものが二つあり唐の頭に本多平八〉とうたったという。(コトバンクより)ブログランキングの応援よろしくお願いします😄 にほんブログ村 神社・仏閣ランキング 本多忠勝の屋敷跡(浜松市)
浜松市中区に鎮座する分器稲荷神社は、田町の氏神社とされ、永禄11年(1568年)2月に創建されたと伝えられています。「分器」は、引馬宿南端の境界を示した「分木」が由来であるという説があります。辺りには、尺貫法の元締めとなる役人の住居があったそうです。社伝によれば、古くは、許免社と呼ばれ、(許免とは「コメ」と訓み、米の意味)分器宇賀大神とも称し、約1500年前の22代・清寧天皇の御代に天竜河の開墾のために勧請されたともされています。慶長9年(1604)2月、徳川家康の命により本殿を修造。明治7年には、三組町の秋葉神社に合祀されましたが、明治11年6月に再興が許されています。昭和20年6月、空襲により焼失。昭和31年に本殿、同32年に拝殿が再建されました。拝殿本殿境内には、様々な狐の象があります。黄金の狐像神...遠江分器稲荷神社(浜松市)
こんにちは、てくとらです!愛知県岡崎市にある「旧本多忠次邸」。平成26年(2014年)に国の登録有形文化財になりました。2018年12月には「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ」のロケを岡崎で行ったそうです。本多忠次の「開かずのトラ
今年(2023年)のNHK大河ドラマ「どうする家康」に登場する人物の中には、一般にはあまり知られていない人物もいます。私は、波岡一喜さん(冒頭の画像)が演じることになった本多忠真がどういう人物だったのか大変興味があります。そこで今回は、本多
岡崎城の隣に鎮座する龍城神社(たつきじんじゃ)は、東照宮の一つです。三河国守護代・西郷稠頼が岡崎城を築城した際に龍神が現れ、城の井戸から水を噴出させて天に去っていたので、以降、天守に龍神を祀り、城の名を龍ヶ城、井戸の名を龍の井と称したという伝承や1543年(天文12年)岡崎城で、徳川家康が誕生した際にも、城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れ、昇天したという伝説が残るパワースポットです。1624年~1643年(寛...
大河ドラマ「どうする家康」に登場する本多忠勝とは?戦場で怪我一つ負わなかった。
今年(2023年)のNHK大河ドラマ「どうする家康」に登場する人物の中には、一般にはあまり知られていない人物もいます。私は、山田裕貴さん(冒頭の画像)が演じることになった本多忠勝がどういう人物だったのか大変興味があります。そこで今回は、本多
おはようございます、こんにちは、こんばんは! yui-yuiです!(๑˃̵ᴗ˂̵)و 表題の通り(?)この週末は仁王2で遊んでいました! 久しぶりに遊んだ…
にほんブログ村 自分の手にあうものを選ぼう! こんにちは夢を実現させるために常にあなたと向き合っていくコーチング Tête à tête(テタテットゥ)です。…
【どうする家康】本多忠勝ってどんな人?簡単解説~傷1つ負わなかった最強武将
今回は2023年大河ドラマ【どうする家康】で山田裕貴さん演ずる本多忠勝について簡単にわかりやすく解説していきたいと思います。徳川家康が関連するドラマには必ずと言っていいほど登場する人物です。しっかり頭の中に置いてどうする家康を楽しんでいただけたら幸いです。。
今日のお城は【伊勢国】桑名城 の紹介であります。 場所は桑名市の揖斐川河口付近に位置しており現在は九華公園となっております。 この地は戦国時代より伊藤氏 → 滝川氏 → 一柳氏など~、目まぐるし