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#268『三河物語』を読むその9 「八代目 松平広忠」前編~『どうする家康』を楽しむため
2023年大河『どうする家康』では、飯田基祐さんが演じる徳川家康の父、八代目の松平広忠についての『三河物語』の記述について その1です。 父、清康の急死と家臣…
#269『三河物語』を読むその10「八代目 松平広忠」後編~『どうする家康』を楽しむため
2023年大河『どうする家康』では、飯田基祐さんが演じる徳川家康の父、八代目の松平広忠についての『三河物語』の記述の後編 一族の争いに織田信秀との戦い飯田基祐…
#271『三河物語』を読むその11 幼き家康(竹千代)~『どうする家康』を楽しむため
2023年大河『どうする家康』で徳川家康が主人公ですが、その家臣大久保忠教(大久保忠世の弟)が書いた『三河物語』から徳川家康を見ていきたいと思います。父、清康…
#276『三河物語』からみる桶狭間の戦い ~『どうする家康』を楽しむため
家臣大久保忠教(大久保忠世の弟)が書いた『三河物語』では、桶狭間の戦いがどのように描かれているのかを見ていきたいと思います。 長い軍議と油断が招いた義元の敗死…
#279『三河物語』からみる家康の独立 ~『どうする家康』を楽しむため
桶狭間の戦い後の家康の今川からの独立についてを家臣大久保忠教(大久保忠世の弟)が書いた『三河物語』で見ていきたいと思います。 そうそうに今川と縁を切り、家康と…
【第2回】戦国武将たちの姓名判断ランキング・ベスト10!《下の巻》第1と10位を発表!〜名前で天下統一するのは誰だ!?〜【名前勝負】
第2回戦国武将の姓名判断ランキング《下の巻》はいよいよ第1位を発表!エントリーは、毛利元就、島津義弘、直江兼続、竹中半兵衛、真田幸村、斎藤道三などクセの強い有名武将ばかり。果たして名前で天下統一果たしたのは誰だったのでしょうか?
【第2回】戦国武将たちの姓名判断ランキング・ベスト10!《中の巻》第5〜2位を発表!〜名前で天下統一するのは誰だ!?〜【名前勝負】
第2回戦国武将の姓名判断ランキング《中の巻》エントリーは、毛利元就、島津義弘、直江兼続、竹中半兵衛、真田幸村、斎藤道三などクセの強い有名武将ばかり。果たして名前で天下統一するのは誰だったのでしょうか? 名前ナンバーワンに輝くのはどの武将だったのでしょうか?
子どもの頃にみていた『まんが日本史』で桶狭間の戦いなどがどう描かれているのか、ヒストリーチャンネルで放送されていたので観てみました。 側面奇襲ですでに勝ちに…
【第2回】戦国武将たちの姓名判断ランキング・ベスト10!〜名前で天下統一するのは誰だ!?〜《上の巻》第9〜6位を発表!【名前で勝負】
第2回戦国武将の姓名判断ランキング《上の巻》エントリーは、毛利元就、島津義弘、直江兼続、竹中半兵衛、真田幸村、斎藤道三などクセの強い有名武将ばかり。果たして名前で天下統一するのは誰だったのでしょうか? 名前ナンバーワンに輝くのはどの武将だったのでしょうか?
赤塚の戦い 織田信秀の死後、信長が家督を継いだことから、1552年鳴海城の城主・山口教継(のりつぐ)とその子・教吉(のりよし)が、今川方に寝返る。山口教吉が守る鳴海城に向け、信長は軍勢800で出陣し、中根村(名古屋市瑞穂区)、小鳴海(名古屋
#340 TVメモ『関口宏の一番新しい中世史”桶狭間の戦い”』について
大河『どうする家康』で、いきなりのどうする!になった「桶狭間の戦い」について2023年7月22日放送の『関口宏の一番新しい中世史』ではどのように描かれている…
#352 高天神城の城主 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争~その2
高天神城の城主について、大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、高天神城をめぐる10年の戦いがあります。歴史雑誌『歴史群像2023年8…
清洲城1560年、駿河の今川義元の軍勢が尾張に攻め込み、松平元康が大高城に兵糧を運び入れ、5月18日には丸根・鷲津の砦に攻撃を開始した。その知らせを聞いた織田信長は、19日早朝、僅か6騎で清洲城を出て、熱田神宮へ向かった。ここから、織田信
桶狭間の戦い(桶狭間古戦場伝説地-豊明市)1560年5月19日朝、今川義元は沓掛城を大高城に向け出立した。昼頃、佐々政次・千秋四郎隊が桶狭間村で今川軍の先頭に攻撃を仕掛け討ち死にした。その知らせと、鷲津・丸根の砦での勝利を聞いた義元は田楽
桶狭間の戦い1560年5月19日朝、今川義元は沓掛城を大高城に向け出立し、おけはざま山に本陣を置く。そこで、織田信長の奇襲を受ける。今川方の旗本約300が義元を守り応戦するも、おけはざま山の西の深田際まで追い詰められ、服部小平太と毛利新介
駿府城公園は大道芸ワールドカップでごったがえしていましたが、人混みかきわけて何とか駿府城の名所も観光してきました。 駿府城公園の地図 (出所)駿府城公園公式ホームページ 坤櫓(ひつじさるやぐら) 坤櫓から西門橋を臨む 1868年(明治元年)に開設された駿府藩(186...
沓掛城跡(今川義元最後の滞在地)沓掛城跡(本丸)沓掛城跡(二の丸)沓掛城跡(諏訪曲輪)1560年、駿河の今川義元は、尾張に攻め込み、沓掛城に入る。5月19日朝、沓掛城を大高城へ向けて出立した。その途中、桶狭間において、織田信長に攻撃され、
静岡大河ドラマ館の中を進んで行きます。次は、メインキャストの衣装展示です。今川氏真役:溝端淳平さんの衣装徳川家康(松平元康)と瀬名の婚礼衣装今川義元の衣装続いて、メインキャストの紹介です。徳川家康と瀬名織田信長本多正信、松平信康、今川氏真静岡浅間神社の模型古くから駿河国総社として歴代幕府の崇敬を受けて信仰され、竹千代(家康)が元服式を行ったことから、江戸時代には特に徳川氏の崇敬を受けました。神部(か...
岡崎市戸崎町の小豆坂古戦場跡は、尾張の織田信秀と駿河の今川義元が2度にわたり激戦を繰り広げた舞台です。永禄7年(1564)には土呂・針崎の三河一向一揆と徳川家康との戦場になりました。槍立松、血洗い池などから当時を偲ぶことができます。史跡小豆坂古戦場跡355平方メートル徳川家康登場以前の西三河の地は、東の今川氏、西の織田氏にはさまれ、たびたび戦火にみまわれた。三河を統一した松平清康(家康の祖父)が天文4年(1535)尾張守山で家臣に殺されると、弱体化した松平氏に対して、尾張の織田信秀(信長の父)は、安城を拠点に矢作川東岸部への進出をはかった。これを望まない今川義元は、天文11年(1542)軍勢を生田原(しょうだはら)に進め、出撃してきた織田勢とこの小豆坂で戦った。この時、織田方の7名が槍をふるって奮戦し、小...小豆坂古戦場跡(岡崎市)
臨済寺の境内墓地の最上段には、今川氏輝や太原雪斎の墓の他、徳川家康が関東移封となった後に駿府城主となった豊臣家臣・中村一氏の墓があります。今川氏輝の墓今川氏輝今川氏親の長男,母は中御門宣胤の娘(寿桂尼)。幼名竜王丸,通称は五郎。大永5(1525)年,元服して氏輝と名乗り,翌年,父の死によって家督を継ぐが,14歳という若さのため実際の国政は母の寿桂尼が執り,氏輝の文書発給がみられるのは,それから2年後の同8年3月からである。天文1(1532)年あたりから独自の領国支配がみられ,江尻湊の振興をはかる経済政策,検地の施行,さらに御馬廻衆の創設などに取りくみ,甲斐の武田信虎と戦ったりしているが,同5年3月17日,24歳の若さで突然没した。同日,すぐ下の弟彦五郎も没しており,駿府今川館において何らかの異変が起こった...臨済寺の春の特別公開(7)今川氏輝・太原雪斎の墓
茶室の次は、登ってきた階段を降りて「今川神廟」に向かいました。こちらは、今川義元と氏輝の廟で、2018年5月に落慶法要が行われました。以前は、現在建っている場所よりも後ろに建っていましたが、義元公の功績を評価し、偉人に相応しい立派なものをというご住職の考えで、本堂へ向かう歩道沿いに再建されたそうです。優美な曲線を描き、大きく軒を伸ばした屋根が特徴の優美な建物です。中には石塔と位牌があります。左側の大きな石塔は今川義元公、右側の小さな石塔は、今川氏輝公のもの。今川義元の石塔(首塚)桶狭間の戦いで、織田方に討ち取られた義元公の首級は、重臣・岡部元信と織田信長との交渉により後に返還され、駿河の菩提寺であった天澤寺に葬られましたが、天澤寺の衰退後、臨済寺に移されました。一方、胴体は腐敗が激しく、駿河に戻り途中、豊...臨済寺の春の特別公開(6)今川神廟今川義元の首塚
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臨済寺の伽藍の最上部にある茶室「夢想庵」へこの渡り廊下を上って行きます。茶室には、一度に大人数が入れない為、書院にて人数制限が行われてからの移動となりました。茶室内部夢想庵からは、美しい庭園や遠く静岡の街並みを一望できます。この日は大雨でしたので、ぼんやりとした写真しか撮れませんでしたが、晴れた日ならもっと素晴らしい景色を見られるのでしょうね。次に続くブログランキングの応援よろしくお願いします😄にほんブログ村神社・仏閣ランキング臨済寺の春の特別公開(5)茶室「夢想庵」
一階の見学を終え、二階へ上がって行くと、竹千代手習いの間があります。人質として臨済寺で過ごした幼少期の徳川家康・竹千代が勉強した部屋が再現されています。小さな和室に机と座布団が置かれ、天井には、立派な龍が描かれています。この部屋の周りには、徳川・今川ゆかりの品が展示されています。榊原康政寄進の鉄山釜太原雪斎使用の陣中袈裟春日局所持の団扇徳川家伝来の硯箱竹千代使用の硯家康公御真影次に続くブログランキングの応援よろしくお願いします😄にほんブログ村神社・仏閣ランキング臨済寺の春の特別公開(4)
読者のみなさま、おこんばんわ m(_ _ )m本日もご訪問ありがとうございます。 幸運エネルギーをONにして人生を書換える一生開運アチューメント2900名以上…
織田信長が今川義元を倒した桶狭間の戦い(1560年6月12日)。この戦に参加した主な武将達の年齢を調べてみました。今川軍今川義元(総大将) 41歳井伊直盛 34歳岡部元信 不明松井宗信 45歳鵜殿長照 不明朝比奈康朝 22歳松平元康(徳川家
臨済寺の本堂の見学の続きをお届けします。大岩地蔵太原雪斎の肖像画この奥には、ご本尊の釈迦如来像と、今川家の位牌が並んでいます。釈迦如来像と日光月光菩薩今川家、徳川家の位牌今川義元の像臨済寺庭園臨済寺の庭園は、昭和11年(1936)に国の名勝に指定されています。次は二階へと進んで行きます。 ブログランキングの応援よろしくお願いします😄にほんブログ村 神社・仏閣ランキング 臨済寺の春の特別公開(3)
続いて臨済寺の開山堂です。臨済寺を開山した大休宗休禅師の像大休宗休の弟子で、臨済寺の2代目住持の太原雪斎の像次の部屋へと進んで行きます。山門と同様、徳川慶喜による『大龍山』の書今川義元・氏輝像今川義元の像今川氏輝の像摩利支天像ふと外を見たら、「今川さん」が軒先で佇んでいました(^0^;)「雨止まないかな~」って言ってた様子(^^ゞ次に続くブログランキングの応援よろしくお願いします😄にほんブログ村 神社・仏閣ランキング 臨済寺の春の特別公開(2)
#3901 夏山の茂みふきわけもる月は風のひまこそ曇りなりけれ
令和5年6月12日(月) 【旧 四月二四日 先負】・芒種・腐草為螢(くされたるくさほたるとなる)夏山の茂みふきわけもる月は風のひまこそ曇りなりけれ ~今川義元(1519-1560)夏山の茂みを風が吹き分けくれるからこそ漏れてくる月明かりだが、風が止むとかえって曇ったように
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 15.徳川家康・参
1559年(永禄二年)、駿府の松平元康は、七か条の定書を岡崎の家臣団との間で交わした。 松平氏の家臣団は、岡崎城に城代を派遣し、駿府の松平元康を介し、間接支…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 13.徳川家康・弐
竹千代は、父の松平広忠の死の際、駿府にいたと思われる。 本来、竹千代の継承すべき、岡崎城は、今川義元の派遣した、城代によって、支配された。 竹千代が、父の松…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 13.徳川家康・壱
徳川家康は、1542年(天文十一年)、松平広忠の嫡男として、岡崎城において、生まれた。 母は、水野忠政の娘、於大の方、家康の幼名は、竹千代である。 無論、家…
天文24年(1555年)3月、徳川家康は、駿府の今川氏の下で元服し、今川義元から偏諱を賜って次郎三郎元信と名乗り、今川義元の姪で、関口親永の娘・瀬名(築山殿)を娶りました。静岡市葵区大岩町にある臨済寺は、今川家の菩提寺で賤機(しずはた)山の山麓にあり、家康が幼少時に今川家の人質として過ごし、太原雪斎の教育を受けた寺として知られています。享禄年間(1528~32)今川義元が建立、初め善得院と称しましたが、1536年(天文5)住職・太原雪斎は、後奈良天皇の師にあたる大休宗休を開山として臨済寺と改称し、雪斎自らが2代目の住持となりました。雪斎は、当寺を駿河の勅願寺に昇格させた上、今川領国内に臨済宗を広げ、寺勢は興隆しました。また雪斎は、当寺の住持であると同時に、軍師として今川氏を補佐しました。 先月のことですが...臨済寺の春の特別公開
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 12.続・松平広忠
松平広忠の後見人、叔父の松平信孝は、次第に増長して、自身の弟である、松平康孝の所領を横領する等、松平広忠及び、家臣達と対立した。 1543年(天文十二年)、…
今川義元最期の場所か?「桶狭間古戦場伝説地」!義元本陣跡「高徳院」も
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、今川義元最期の場所か?「桶狭間古戦場伝説地
戦国最大の逆転劇「桶狭間の戦い」!ゆかりの地"桶狭間古戦場公園"そして"長楽寺"へ
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、戦国最大の逆転劇「桶狭間の戦い」!ゆかりの
半世紀(1787-1837年)もの長期にわたって征夷大将軍を勤め続けたことでも よく知られているのが、江戸幕府第11代将軍・徳川家斉(1773-1841年)です。 もっとも、この方はこの他のことでも割合賑やかな話題を提供しているのですが。 たとえば、 〇精力増強のためオッ...
家康を辿る城旅「大高城」!桶狭間の前哨戦…家康決死の"大高城兵糧入れ"
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康を辿る城旅「大高城」!桶狭間の前哨戦…
秦梨城山城 三河 その2 秦梨の旧道を歩き、街道を扼する粟生氏の詰城を見学
秦梨城山城は愛知県岡崎市秦梨町にあります。その1では秦梨の地を南北に通る旧道と城址の遺構の取っ付きまでを見学しましたが、その2では城郭遺構を見学したいと思います。旧道と城址の位置関係等は、その1をご覧ください。今回の参考資料も(1)「愛知県中世城館跡調査報告Ⅱ」愛知県教育委員会1994と(2)「愛城研報告第2号」愛知中世城郭研究会1995などです。※秦梨城山城その1は→こちら秦梨城山城大きな堀切Aで区切って二つの郭を築造Ⅰ郭の中心部には櫓台状の大きな土壇⑬、Ⅱ郭南辺には幅広の低土塁が設けられ、帯曲輪と腰曲輪画が取巻いていました。秦梨城山城Ⅰ郭中央部の土壇⑬南から削平は甘く輪郭は不明瞭土壇⑬は幅広の低土塁状の櫓台のような地形でした。周囲の樹木が無ければ乙川沿いの南北の広い範囲が見渡せたことでしょうね。秦梨城...秦梨城山城三河その2秦梨の旧道を歩き、街道を扼する粟生氏の詰城を見学
#197 TVメモ『戦国一華麗なる敗者復活戦〜今川プリンスと妻の二人三脚〜』
大河『どうする家康』の12話で氏真が妻とともに戦国武将の舞台から退場となりましたが、氏真実は退場してしまったわけではないんです。2023年3月26日放送『歴…
2023年3月26日の大河ドラマ『どうする家康』の第12話『氏真』闇落ち氏真について 氏真の闇落ちと氏真のへの複雑な思いの家康 武田信玄と徳川家康で、今川家を…
家康を辿る城旅「寺部城」家康初陣"寺部城の戦い"!渡辺守綱ゆかりの史跡も
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康を辿る城旅「寺部城」家康初陣"寺部城の
いち早くシン・戦国大名となった今川義元とその義元の今川仮名目録追加を読み込みながらそれでは戦国大名としては足りないと感じる織田信長の桶狭間の戦いの1時間前まで…
桶狭間の戦いで激突した両雄、織田信長と今川義元のそれぞれが追求する戦国大名像と、時代がどちらを求めるのかを決める『桶狭間戦記』の最終巻 義元、信長 両雄桶狭間…
今回は、東海古城研究会の月例見学会で年次総会を兼ねて、大高城と桶狭間の戦いでの織田勢の陣城城塞群を訪ねました。見学コースはJR大高駅に集合➡鷲津砦➡長寿寺➡丸根砦➡定期総会➡大高城➡向山砦➡氷上砦でした。鷲津砦の位置は城趾碑の建つ鷲津砦A、北側の尾根の先端部Bなどが候補地としてありますが、住宅開発や耕作地化などで、今見る地形からでは判断が分かれるようです。丸根砦の周りは住宅地ですが遺構もある程度残り城趾碑も立っています。向山砦は春江院に隣接した地形とされます。氷上砦は氷上姉子神社周辺と伝わりますが明確な遺構は残っていないようです。鷲津砦A城趾碑が建つ鷲津砦Aには城趾碑が建っていますが、耕作地化などで地形の改変が著しいため、往時の遺構の確認が難しいようです。明忠院から鷲津砦Bを見上げる西下から鷲津砦Bは明忠...大高城ほか尾張東海古城研究会の見学会で訪れました
竹千代、元服して元康となる!織田から今川の人質へ…家康ゆかりの駿府寺社めぐり
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、竹千代、元服して元康となる!織田から今川の
2023年現在放送中の大河ドラマ『どうする家康』 駿府城や静岡市歴史博物館がお目当てでしたが、せっかく静岡市に来たし行ってみることに。 私が今まで行ったことがある大河ドラマ館は『青天を衝け』『真田丸』『江』『花燃ゆ』とかいう謎チョイス。特に後者2つ さてさて大都会静岡駅から徒歩30分ほど、静岡浅間神社の境内にありますよ。 どうする家康 大河ドラマ館 www.shizuoka-ieyasu.jp 歩いて行くと道中色々見られて楽しいですが シャトルバス 静岡市大河ドラマ館 家康公が愛したまち静岡 もあるそうなのでお好みに合わせてどうぞ。 入館料は400円とリーズナブル。さらに静岡市民なら半額で…
城ぶら「安祥城」!家康の父祖・松平氏飛躍の城、そして人質・家康の運命を左右した城
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、城ぶら「安祥城」!家康の父祖・松平氏飛躍の