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今日は 三河国 にある 吉田城 を少し紹介します。 場所は豊橋市の国道1号線と豊川の交差する場所に位置しており、この豊橋と言う地名は明治以前まで吉田と言われていたそうです。 この城の起源は、永正
今日は三河国にある 箱柳城 を少し紹介します。 場所は愛知県岡崎市の山間に入ったところにあって、現在は竹藪に覆われております。 その中へ入るといたるところに石積みが見られ大変興味深いのですが、な
豊田市上郷町は徳川四天王の一人である榊原康政生誕の地とされます。上郷町には、2つの榊原康政生誕地の石碑が存在し、そのひとつが上野城跡にあります。愛知環状線「三河上之郷」から550mのところにある上野城跡は、現在は上野護国神社と城山稲荷となっています。城山稲荷社上野城の遺構は、社がある高台のみです。 1400年代半ばごろ、戸田宗光が築城したと言われています。宗光が渥美半島に移った後は、阿部氏が治めていまし...
今日は三河国にある 刈谷城 を紹介します。 ここに訪れたのは5年ほど前のことでしたが、場所は愛知県刈谷市の逢妻川沿いに位置しており現在は亀城公園として整備されております。 そこには本丸の一部と水
今日は三河国にある 古宮城 を少しばかり紹介します。 場所は以前に紹介した亀山城や文殊山城からほど近い国道301号沿いにあって、また驚くことにこの城は甲斐国の武田信玄が三河国へ進出の拠点とし
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 24.徳川家康・十弐
前述の通り、徳川家康は、夏目吉信等の家臣が、身代わりになったため、命を救われ、浜松城に逃げ帰った。 徳川家康は、浜松城に入ると、全ての城門を開いて、篝火を焚…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 19.徳川家康・七
当時の松平家康の直臣団は、小領主が主体であり、三河の国衆及び、松平衆と異なり、単独にて、「備」、即ち、部隊等を編成可能な者は、少なかった。 そのため、旗本先…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 17.徳川家康・五
三河国宝飯郡上ノ郷城主の鵜殿長照は、三河国内にて、今川氏真に臣従を続けていた。 同年、松平元康は、軍勢を率いて、上ノ郷城を攻撃した。 鵜殿長照は、戦死して、…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 13.徳川家康・弐
竹千代は、父の松平広忠の死の際、駿府にいたと思われる。 本来、竹千代の継承すべき、岡崎城は、今川義元の派遣した、城代によって、支配された。 竹千代が、父の松…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 12.続・松平広忠
松平広忠の後見人、叔父の松平信孝は、次第に増長して、自身の弟である、松平康孝の所領を横領する等、松平広忠及び、家臣達と対立した。 1543年(天文十二年)、…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 09.松平清康・参
松平清康は、宇利城攻め以降、桜井松平家の当主で、叔父の松平信定と不仲になったと言われている。 その理由は、宇利城攻略戦において、大手門を攻める、福釜松平家の…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 09.松平清康・弐
松平清康は、十四歳~十六歳の間に、足助城の鈴木重政及び、岡崎松平家の西郷信貞に勝利した、軍事的天才であった。 その年齢での軍事的才能の発揮ぶりは、類例を見な…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 08.松平清康・壱
前述の通り、松平長親は、1508年(永正五年)に隠居し、長男の信忠に家督を譲った。 信忠は、永正三河の乱に参戦しているが、確実な戦功及び、軍事的采配の記録は…
松平信光の死後、1508年(永正五年)、今川氏親の名代、伊勢宗瑞の率いる、今川軍が、大樹寺を本陣とし、岩津城を攻めた。 永正三河の乱である。 伊勢宗瑞は、今…
松平信光の死後、家督を継いだのは、三男の親忠であった。 松平親忠は、松平氏の宗家を継いだとされるが、実際には、信光の嫡子は、長男の守家と考えられる。 松平親…
徳川家康の先祖、松平氏の当主として、実在が、確認できるのは、三代目当主とされる、松平信光の代からである。 前述の通り、信光は、親氏の息子、または、泰親の息子…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 04.松平郷松平氏
後世の徳川氏の主張では、松平郷の領主となった、松平親氏は、郷敷城を築き、嫡子の泰親と協力して、「中山七名」と呼ばれる、近隣の領主たちを滅ぼすと、勢力を拡大し…
今日は ふれあい牧場 高原ハウス の紹介です。 場所は三河の新城市作手にあって、ここら周辺には道の駅があることから以前よりドライブでちょくちょく訪れるとこでありました。 今回の紹介するのはちょっ
今回は隣国である【三河国】東条城 を紹介します。 場所は西尾市吉良町の県道318号沿いに位置しております。 城の起源は鎌倉時代の貞応元年(1222)足利義氏が三河守護・吉良荘の地頭になった頃と言われ
今回は三河国にある 文殊山城 の紹介であります。 場所は愛知県新城市の山間に入ったところで、以前に紹介した亀山城や道の駅 つくで手作り村など国道301号を挟んだ山上にあります。 小さな単
数年前、青春18切符を利用して、三河田原へ行ってきました。豊橋で、豊橋鉄道に乗り換え、三河田原へ。徒歩15分という案内でしたが、この日はとても暑い日でしたので、駅で自転車を借りて田原城へ向かいました。田原城は、三河国渥美郡田原(愛知県田原市田原町巴江)にあった戦国期から江戸期の城で、江戸時代には田原藩1万2千石の藩庁でした。文明12年(1480年)ころに戸田宗光(全久)によって築城され、周りを海に囲まれた堅固...
一色義直は、丹後国守護及び、伊勢半国守護となり、更に、三河国渥美郡・若狭国小浜を所領に得たが、若狭国、三河国の守護に任じられず、一色氏は、以降、両国の守護職…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜まだまだ1週遅れて、やっと第3話見たね…ってことで第3話の感想ぉ〜岡崎城に入った元康(後の徳川家康)すぐ三…
今日は【三河国】桜城・拳母城 の紹介です。 場所は現在で言う愛知県豊田市にあります。 まずは桜城の築城ですが、初代拳母藩主となった内藤政苗により着手されるも近隣を流れる矢作川の度重なる氾濫に
今日は【三河国】にある 亀山城 を紹介します。 少し混同しそうですが、一般に亀山城と言うとここでも過去に紹介した明智光秀の丹波国や伊勢国の方を思い浮かびそうでが、今回は表題の通り三河国でありま
個人的にはまだ鎌倉殿を引きずっているけれど、年末から次の大河の番宣やプロモーションが凄まじい。主人公は家康ということで高速道路のサービスエリアでは静岡に入った途端に土産コーナーに家康グッズがずらりと並ぶ。そして浜松を越え愛知県に入るとさらにヒートアップする。さて、家康は三河は岡崎城で出生したのだけれど、NHKの家康特集番組では「ミカワ」の発音が違うのである。これを連呼されると、ミカワで生まれ育った徳川四天王の末裔としてはどうにも尻の辺りがムズムズするのである。これは橋と箸の違いのようでもあるけれども関西に行くと反転してしまうようにひょっとしたらそんな事はどうでもいいのかもしれないけれど耳に馴染…
今日は石垣の山城 市場城【三河国】を紹介します。 場所は現在でもかなり山間に入った場所で、それは豊田市市場町であり小原村の付近と行った方が分かりやすいか、この周辺には当時11もの山城があっ
今回は徳川発祥の地 松平郷【三河国】の紹介です。 場所は豊田市松平町と言うかなり山間に入った場所で、この付近にあった以前に紹介した大給城も含めたものが、国指定史跡の松平遺跡であります。
今回の城は【三河国】田峯城 を紹介したいと思います。 場所は奥三河の現代で言う愛知県設楽郡の山間にあった戦国時代中世の山城であります。 それは標高387mの独立兵陵であるこの地に文明二年(1470)
今日の城は【三河国】足助城 を紹介したいと思います。 場所はこの愛知県では紅葉で有名な香嵐渓の背後にそびえる真弓山(標高301m)の山頂にあります。 創建は鎌倉時代と言われるも発掘から中世戦国
今回は大給松平の地 大給城【三河国】を紹介します。 場所は現在の豊田市大内町にあって、現在においてもかなり山間に入った場所であります。 大給松平家の初代となった乗元から5代に渡りここに居城した
今日の城は【三河国】田原城 を紹介したいと思います。 場所は愛知県の田原町にあって、当時はここを拠点に渥美半島から三河湾の支配を睨んで、文明12年(1480)に 戸田宗光が築城したのが起源だそうです
今回はお隣の【三河国】安祥城 を少し紹介します。 場所は新幹線三河安城駅から南東へ数キロの県道78号沿いに安祥城址公園として整備されております。 城の起源は室町時代1440年頃、和田氏が築城したも
今回紹介するの城は【三河国】長篠城 であります。 場所は愛知県新城市の山間にあって、当時は遠江、信濃、美濃などの国境にほど近く要衝であったそうです。 そんなことから戦国末期には徳川氏(織田)と
「まちさんぽ 歴史編~御城印・御史跡印を集めようキャンペーン~」
こんにちは、一度はお城に住んでみたいカピバラです先日、歴史好きなオコジョさんから、「あいちの史跡をめぐって御城印・御史跡印を集めよう!」という素敵なキャンペーンについて教えてもらいました今日はそのキャンペーンについてご紹介します。御城印・御史跡印キャンペ
今日のお城は【三河国】にある 武節城 を紹介します。 場所は昔の言い方をすれば信濃国との境にある奥三河の平山城で、当時は今川氏、武田氏、後の徳川氏などの間で紛争の絶えない地域であったそうで
今回のお城は【遠江国】にある 高根城 を紹介します。 場所は現在の静岡県浜松市のかなり山間に入ったところに位置しており、それは当時の遠江国であり信濃国や三河国との国境に近いこともあって、
城を観る今回は...(撮影 2020/09/01)堤本地城(三河国)〜八幡社から望む〜見晴らしッいいねッ。。。 ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影 2020/09/01)堤本地城(三河国)〜八幡社 拝殿〜お参りッしとこッ。。。 ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影 2020/09/01)堤本地城(三河国)〜石碑 本地城址〜石碑ッ出たッ。。。 ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影 2020/09/01)堤本地城(三河国)〜解説板 城塚古墳〜古墳もッあるのかッ。。。 ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
今回は奥三河にある 三州 足助屋敷 を紹介します。 ここはその昔(明治~昭和30年代)山間の農家での暮らしぶりが紹介されている観光施設であります。 それは実際に当時の仕事ぶりなどの作業体験や
城を観る今回は...(撮影 2020/09/01)堤本地城(三河国)〜八幡社〜ここな辺ッかなッ。。。 ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
【城を観る+】《三吉城(三河国)》2022 〜佐久間勝之の居城!三吉城跡を観る〜
城を観る[YouTube]今回は...(撮影 2022/02/18)【城を観る+】《三吉城(三河国)》2022 〜佐久間勝之の居城!三吉城跡を観る〜【城を観る…