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今日は三河国にある 刈谷城 を紹介します。 ここに訪れたのは5年ほど前のことでしたが、場所は愛知県刈谷市の逢妻川沿いに位置しており現在は亀城公園として整備されております。 そこには本丸の一部と水
刈谷の本刈谷神社は大宝年間(西暦701~704年)に創建された八幡宮を起源としています。八幡社は字天神に鎮座、大宝年間(701~703)の創建で、天文2年(1533年)に水野忠政が刈谷城を築城した際、八幡社は城の北側の台地に奉遷され、明治初期の廃藩置県とともに元の地に奉遷されました。大正2年に八幡宮・八雲社・北野社の三社が合祀されました。水野 忠政(みずの ただまさ)水野家当主。通称は藤七郎、右衛門大夫、下野守。緒川城お...
乾坤院 (けんこんいん)は、室町時代、文明7年(1475)、緒川城初代城主・水野貞守によって水野家の菩提寺として建立されました。徳川家康の生母・於大の方(伝通院)が四代・水野忠政の娘であり、乾坤院でも供養されている事から、江戸時代には尾張徳川家の庇護を受けました。乾坤とは、八卦で言う所の西北と南西の方位を表し、緒川城から見て西方(乾と坤の間)に造られた事からその名が付けられたと伝えられています。また、乾坤が「...
5月下旬、於大の方の生誕地・東浦町をまわっててきました。JR武豊線「緒川駅」から徒歩約15分、うのはな館(東浦町郷土資料館)からスタートです。於大の企画展が開催されていました。於大の方は、徳川家康の母として、水野家と松平家を支え戦国時代を生きた女性です。於大の方の像於大は、享禄元年(1528)、東浦の緒川城四代目城主・水野忠政と華陽院於富の方の娘として生まれました。水野忠政像徳川家康像忠政は、今川方の岡崎...
椎の木屋敷跡から刈谷城跡を目指します。刈谷城は、天文2年(1533年)水野忠政により築城されました。別名「亀城」。城絵図によると、本丸、二の丸、三の丸、御殿等が整備され、その間を堀が取り巻き、大手門から町口門を経て城下町へ通じていました。江戸時代前期の城絵図によると、天守はなく、本丸の北西と南東の隅に櫓がありました。町口門から本丸に向かうと冠門(かぶきもん)があり、冠門をくぐり右に折れたところに大手門が...