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焼津の教念寺には相良城にあった「地の神の石の扉」が奉納されているそうです。「どうする家康」が放送された年、焼津の家康ゆかりの寺社を回ってきました。その中で、教念寺にも足を運びました。江戸時代、徳川家康拝領の品が伝わっているそうです。藤枝の観光案内所でいただいた資料には「焼津の船問屋をしていた岡部屋は、相良城本丸に祀られていた地の神様の荒神社の社が壊されるのを惜しみ、社の4本の柱と4枚の石の扉を焼津に...
続いて、1837年(天保8年)、相良城の御殿を移築した客殿です。歴代の住職・檀信徒が少しづつ改修を重ねていますが、主な柱や梁は当時のままなのだそう。太い柱や桁、欄間の彫刻に豪華な城郭御殿建築を見ることができます。洗心園樹齢300年の老松を中心にした心の字の池にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いし...
大慶寺は、天和3年(1683年)と宝永5年(1708年)火災の類焼により焼失。天明6年(1786年)、相良藩の藩主で江戸幕府の老中だった田沼意次が失脚に伴い、相良城が廃城になり、天明8年(1788年)に相良城の御殿を購入・移築し庫裡としました。文久年間(1861年~1864年)、江戸幕府第14代将軍の徳川家茂が上洛に際に訪れ、脚気の病気平癒の祈願を行いました。本堂(祖師堂)本堂旧大鬼瓦三光堂日天子、日天子、明星天を祀るご祈祷の道...
勝草橋から大慶寺へ。大慶寺は藤枝宿の本陣に近く、宿場町の中央にあります。田中城の祈願寺として信仰を集めました。建長5年(1253年)春、是聖房蓮長(後の日蓮)が比叡山延暦寺への遊学に際して藤枝の地を訪れた際、茶屋を営んでいた道円・妙円夫妻が蓮長の説法に教化され、後に自宅裏に持仏堂として建立した法華堂が起源とされています。境内にそびえる「久遠の松」は蓮長がこの際に植えた松であるといいます。高さ約26メート...
牧之原市史料館と浄心寺の見学を終え、お土産を求めて銀座通り商店街の一角にある扇子家さんへ。相良のフルーツや食材を使った創業100年の老舗菓子店でなのだそう。こちらに田沼意次ゆかりのお菓子があると知ったので覗いてみると・・・ありました!陣太鼓最中初代より作り続けているとのこと。陣太鼓最中の由来となった田沼意次ゆかりの陣太鼓は、牧之原の般若寺に保存されています。「背負ったか(しょったか)相良の陣太鼓」と言...
牧之原市史料館に向かう道中、歩道に埋め込まれた相良凧のプレートに気がつきました。こちらは相良町のマスコット「茶々丸くん」他にもありそうでしたが、そうこうしているうちに相良城本丸跡に到着。この「べらぼう」の看板も昨年はまだなかったな~田沼意次が遠州相良藩主を務めている時代、牧之原に相良城がありました。相良城は、天正4(1576)年、武田勝頼が高天神城の支城として築いたのが始まりとされています。その後、天...
5月4日放送の「べらぼう」の紀行で、田沼意次が落成した相良城の視察のため、三浦(原田泰造)と共にお国入りし、繁栄する城下町を見るという場面が出て来ましたので、牧之原の記事を再アップします。大澤寺は、元々、高天神城の南東にあり本楽寺と称していました。天正2年(1574年)の高天神城の戦いにて、徳川方の陣として使用されたことにより、兵火で焼失。その後、徳川家康の支援により、相良大沢に再建、本尊阿弥陀如来、今...
5月4日放送の「べらぼう」の紀行で、田沼意次が落成した相良城の視察のため、三浦(原田泰造)と共にお国入りし、繁栄する城下町を見るという場面が出て来ましたので、牧之原の記事を再アップします。般若寺の本堂には、相良城の御殿大書院にあった8枚の「相良城の襖戸」があります。「相良城の杉戸」は、相良城の本丸御殿を彩っていた襖戸の一部と考えられ、竹林に虎や牡丹に鳳凰などの画題が見事に描かれています。絵師は、10代...
般若寺は、田沼意次ゆかりの宝物「陣太鼓」と「相良城の杉戸」を所蔵する曹洞宗の寺院です。本堂鐘楼堂では、本堂の中に入ってみましょう。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記ランキング...
5月4日放送の「べらぼう」の紀行で、田沼意次が落成した相良城の視察のため、三浦(原田泰造)と共にお国入りし、繁栄する城下町を見るという場面が出て来ましたので、牧之原の記事を再アップします。相良城本丸跡を見学後、近くにある壽亭(ことぶきてい)へ。こちらで、田沼意次ゆかりの「田沼蕎麦」をいただきました。やはりここに来たら、人気ナンバー1の田沼蕎麦をいただきたいですね!天ざるに高級感を出したかった壽亭の先...
5月4日放送の「べらぼう」の紀行で、田沼意次が落成した相良城の視察のため、三浦(原田泰造)と共にお国入りし、繁栄する城下町を見るという場面が出て来ましたので、「相良城ゆかりの史跡」の記事を再アップします。牧之原市の文化財に指定されて仙台河岸は、相良城の外堀に位置し、城内と海を結ぶ船着場だったと考えられています。相良城築城の際、仙台藩主・伊達重村が石垣用材を寄進してつくられたことから、「仙台河岸」とい...
5月4日放送の「べらぼう」の紀行で、田沼意次が落成した相良城の視察のため、三浦(原田泰造)と共にお国入りし、繁栄する城下町を見るという場面が出て来ましたので、「田沼街道」の記事を再アップします。大和神社(おおわじんじゃ)の前に田沼街道の起点の碑があります。田沼街道は、東海道の藤枝宿と相良城を結ぶ約7里(約28 km)の街道のことで、別名「相良街道」と呼ばれています。相良城主となった田沼意次は、、相良城から東...
昨日の「べらぼう」で、田沼意次が落成した相良城の視察のため、三浦(原田泰造)と共にお国入りし、繁栄する城下町を見るという場面が出て来ましたので、相良城の記事を再アップします。相良城の遺構を訪ねて行きました。現在、相良城二の丸跡には、相良小学校が建っています。相良城二の丸の松は、相良城二の丸跡の土塁に生育しているクロマツで、相良小学校の南端とグランドに10本あり、市の天然記念物に指定されています。牧之...
本日の「べらぼう」で、田沼意次が落成した相良城の視察のため、三浦(原田泰造)と共にお国入りし、繁栄する城下町を見るという場面が出て来ましたので、相良城の記事を再アップします。昨年の秋、田沼意次ゆかりの静岡県牧之原市をまわってきました。牧之原資料館を目指す道中、田沼意次がデザインされたマンホールを見つけました。田沼意次のマンホール2019年の田沼意次生誕300年を記念して、旧城下町相良の本通り「新町通り」...
大澤寺は、元々、高天神城の南東にあり本楽寺と称していました。天正2年(1574年)の高天神城の戦いにて、徳川方の陣として使用されたことにより、兵火で焼失。その後、徳川家康の支援により、相良大沢に再建、本尊阿弥陀如来、今川義元伝来の明朝の皿を寄進し、「本楽院大澤寺」と改称しました。大澤寺の本堂は、田沼意次失脚ののちに破却された相良城の木材を再利用して、寛政3年(1791)に建てられたものといわれています。床下に...
般若寺は、田沼意次ゆかりの宝物「陣太鼓」と「相良城の杉戸」を所蔵する曹洞宗の寺院です。本堂鐘楼堂では、本堂の中に入ってみましょう。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記ランキング...
相良城本丸跡を見学後、近くにある壽亭(ことぶきてい)へ。こちらで、田沼意次ゆかりの「田沼蕎麦」をいただきました。やはりここに来たら、人気ナンバー1の田沼蕎麦をいただきたいですね!天ざるに高級感を出したかった壽亭の先代は、当地相良が田沼意次の城下だったことから、黒地の輪島塗で器を作り、蓋に田沼家の家紋・七燿紋を金字で入れて、田沼蕎麦としたそうです。サクサクの天ぷらに、コシのあるお蕎麦!大変美味しくい...
牧之原市の文化財に指定されて仙台河岸は、相良城の外堀に位置し、城内と海を結ぶ船着場だったと考えられています。相良城築城の際、仙台藩主・伊達重村が石垣用材を寄進してつくられたことから、「仙台河岸」といわれています。相良城は、相良を流れる萩間川河口の右岸にあった近世城郭で、東西500メートル、南北450メートルの広さがありました。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします...
相良城の遺構を訪ねて行きました。現在、相良城二の丸跡には、相良小学校が建っています。相良城二の丸の松は、相良城二の丸跡の土塁に生育しているクロマツで、相良小学校の南端とグランドに10本あり、市の天然記念物に指定されています。牧之原市のHPによると、田沼意次が失脚すると、天明8(1788)年に幕府の命令で相良城が取り壊されました。マツの生えている土塁は、この頃のものと推定されています。にほんブログ村 歴史ブ...
昨年の秋、田沼意次ゆかりの静岡県牧之原市をまわってきました。牧之原資料館を目指す道中、田沼意次がデザインされたマンホールを見つけました。田沼意次のマンホール2019年の田沼意次生誕300年を記念して、旧城下町相良の本通り「新町通り」に設置されました。意次を中心に、大江八幡宮の御船神事、般若寺の陣太鼓、茶畑、あじさいがデザインされています。田沼意次候の城下町「時計台」田沼意次が遠州相良藩主を務めている時代...
前回、田沼意次の所領だった遠州・相良にある牧之原市史料館を訪問した件を報告させていただきましたが、今回はその続きです。 牧之原市史料館は現在の市役所庁舎に隣接する、相良城本丸跡に建っています。相良城には天守がなく、当時はここには御殿がありましたが、田沼意次の失脚後、取り...
前回、江戸時代の老中・田沼意次の菩提寺である東京・巣鴨の勝林寺について報告させていただきました。田沼意次のことを調べてみるとますます興味が沸いてきたので、所領としていた場所に行ってみました。 出発は東京駅です。実に東海道新幹線に乗るのはおよそ5年ぶりです。噂には聞いてい...