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瀬戸川の地蔵を通り過ぎ、勝草橋へ向かいます。橋を渡る手前に旧東海道 志太一里塚を発見!横には火伏の秋葉社もあります。では勝草橋を渡っていきましょう。 瀬戸川の徒渡り 江戸時代に勝草橋周辺は東海道の渡河地点だったが、瀬戸川には橋が架けられず川越しが行われた。瀬戸川の川越し制度が創始されたのは江戸時代貞享二年(1685)に川原町に初めて川庄屋が任命されたときといわれる。瀬戸川の川越しは瀬戸川の徒渡りといわ...
牧之原市史料館と浄心寺の見学を終え、お土産を求めて銀座通り商店街の一角にある扇子家さんへ。相良のフルーツや食材を使った創業100年の老舗菓子店でなのだそう。こちらに田沼意次ゆかりのお菓子があると知ったので覗いてみると・・・ありました!陣太鼓最中初代より作り続けているとのこと。陣太鼓最中の由来となった田沼意次ゆかりの陣太鼓は、牧之原の般若寺に保存されています。「背負ったか(しょったか)相良の陣太鼓」と言...
牧之原市には、平賀源内が住んでいたという場所がいくつか伝わっています。ステラnetによると、市内の茶畑に囲まれた須々木原に、源内が最初に住んでいたとされる草庵がありました。その後、3kmほど離れた相良城に近い前浜の屋敷に移ったといわれ、いまも地元の人々は屋敷があった通りを「源内通り」と呼んでいます。史料館のスタッフの方に、その「源内通り」の入口を教えていただきました。途中、蜘蛛の巣が張ってたり、一人で歩...
続いてキャストのインタビューの紹介です。平賀源内田沼意次田沼意知「田沼意次像と田沼邸セットの秘密」こちらはフォトスポット📷「田沼意次の座布団に座って写真を撮ろう!」私は座布団を撮るだけで座りませんでしたが(^0^;)狩野典信作の「田沼意次候領内遠望図」を模した1981(昭和56年)史料館の開館時に制作された緞帳なのだそう。この他、「べらぼう」ゆかりの史跡の紹介パネルはお土産コーナーがあります。にほんブログ村 歴史...
続いて、ドラマで使用された衣装及び小道具の展示です。田沼意次役の渡辺謙さんの衣装平賀源内役の安田顕さんの衣装平賀源内の煙管蔦重の煙管幕府に献上された袋入りの青楼美人合姿鏡蔦重が瀬川に渡した契情買虎之巻蔦重が執筆した原稿源内が意次に渡した砂銀番組台本にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしま...
牧之原市史料館の一階では、「田沼意次の新時代展」として、田沼家ゆかりの工芸品や古文書、田沼意次や相良藩に関する新発見の資料、田沼時代に活躍した文化人に関する資料などが展示されています。(展示品撮影不可)そして、二階では『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』展・静岡まきのはらとして、番組紹介パネル、出演者直筆サイン、キャストビジュアルバナー、ドラマ使用衣装及び小道具などが展示されています。(一部を除いて撮影可)...
相良城本丸跡に建つ牧之原市史料館は、昨年訪ねた時と比べ、べらぼう関連の展示が増え、賑やかな様子に様変わりしていました。牧之原市史料館のロビーには、相良凧が飾られています。相良凧(さがらたこ)は、田沼意次が江戸で老中を務めた江戸時代中期の頃から、初の男子誕生を祝って端午の節句にあげる風習が残されています。相良凧は、「尾がなく、糸目が上下2本だけの角凧を、ビードロを練り込んだ凧糸を使用して揚げる自由自...
さぬき市志度の天野峠の途中にある手打ちうどん山は、お土産用うどん専門ですが、日曜に営業していることがあります。たまたま前を通り即駐車場に。営業日は確認して訪れてください。懐かしい店内、店主とお母さんらしき方で切り盛りしています。やはり見た目も美味
ここから新しい記事です😊先日、再び牧之原に行って来ました。昨年この浄心寺を訪ねた時は、まだ情報が少なく、平賀源内の墓があることを知りませんでした。浄心寺は、寛永元(1624)年、京都伏見の元住人で、相良湊で廻船業を営んでいた西尾源兵衛が、先祖の菩提を弔うために出家し、浄心日清と称して開創しました。江戸後期には、田沼家の祈願所として雨乞祈祷などで厚く崇敬されました。山門に施されている見事な龍の彫刻は、地...
毎年5月5日、静岡県牧之原市で『相良凧あげ大会相良凧(さがらたこ)は、田沼意次が江戸で老中を務めた江戸時代中期の頃から、初の男子誕生を祝って端午の節句にあげる風習が残されています。相良凧は、「尾がなく、糸目が上下2本だけの角凧を、ビードロを練り込んだ凧糸を使用して揚げる自由自在に凧を動かす事が出来る」のが特徴だとか。この相良凧、なんとあの平賀源内が考案したとの説があるそうです。郷土史家の先生のお話に...
【べらぼう】#16 策を誤り相棒平賀源内を壊された意次、一橋治済の全方位的陰謀が始まっている
昔、源内と言えば「天下御免」の山口崇だった NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第16回「さらば源内、見立は蓬莱(ほうらい)」が4/20に放送され、稀代の天才とされる平賀源内の最期が描かれた。まずは公式サイトからあらすじを引用する。 ≪あらすじ≫ 第16回「さらば源内、見立は蓬莱(ほうらい)」 家基(奥 智哉)の急逝した事件は確固たる証拠を得ぬまま幕引きとなる。意次(渡辺 謙)は源内(安田 顕)に、これ以上詮索を控えることを告げると、源内は激怒する。一方、蔦重(横浜流星)は源内の住む“不吉の家”と呼ばれる屋敷を訪ねる。そこで、正月に出す戯作の新作を依頼するも、時折、奇妙な言動を繰り返…
前回の紀行で紹介されたので、「さらば!源内先生編」として再アップします。86番札所 志度寺に隣接して、志度寺の塔頭である自性院常楽寺があります。平賀家が自性院の檀家であるあることから、仁王門前の自性院北正門から入ってすぐ南側に、平賀源内のお墓があります。安永8年(1779年)大名屋敷の修理を請け負った際に、酔っていたために修理計画書を盗まれたと勘違いして大工の棟梁2人を殺傷したため、11月21日に投獄され、12...
今回は,源内センセイと意次サマの独擅場(二人だけど)でしたね・・・。夢を見た二人の繋がり,かあ。冷静な意知クンに諌められるほどに。錯乱場面のカメラワークも良かったっす。 ・・・ツッコんでもよかですか? 草稿の血痕,鮮やか過ぎですがな(←妙にリアリスト www)。 主人公の前で敢えて悪役になる意次サマ,良過ぎます;;; てへっと薩摩芋を頬張る治済サマ,凄過ぎます;;;;; ・・・ツッコんでもよかですか? 雪に足跡がついてませ...
前回の紀行で紹介されたので、「さらば!源内先生編」として再アップします。別館には、旧邸・銅像・薬草園などがあります。平賀源内旧邸平賀源内先生は江戸へ出る前即ち宝暦四年、平賀家の家督を妹里与の婿養子権太夫(ごんだゆう)に譲り、一生を独身で過ごした。生家は権太夫の孫松三郎によって文久2年(1862)に建て替えられ、現在に到っています。当時は銅像敷地まで本座敷のある構えでしたが、昭和9年(1934)銅像建設のため切...
前回の紀行で紹介されたので、「さらば!源内先生編」として再アップします。香川県さぬき市志度は、江戸時代の鬼才といわれる平賀源内の生誕地です。歴女の友人が、先日讃岐を訪ねてきたと画像を送ってくれたので、その画像をお借りして記事にしてみました。平賀源内記念館は、平成21年3月、平賀源内遺品館を移転、名称を改め新装開館しました。記念館本館には、映像で紹介する「源内奇才劇場」や、ビックリ意外な交流や出来事を...
*平賀源内 辞世の句____ あめつちの手をちぢめたる氷かな 大河ドラマ「べらぼう~蔦重 栄華乃夢噺~」20日・16回で稀代の天才平賀源内(安田顕)が獄中死しました。 安田顕の演技を興味深く観ていましたので、寂しい。 * ご訪問ありがとうございます。 にほんブログ...
平賀源内の墓の後ろに、従僕福助の墓があります。従僕福助の墓源内が亡くなる8ヶ月前に逝去敷地内には、寺門靜軒の碑もあります。静軒先生之碑寺門静軒(てらかど せいけん)江戸後期の儒者,詩人。名は良,字子温,弥五左衛門と称した。水戸藩大吟味方勤寺門弥八郎勝春の次男。母は江戸における勝春の妾。文化4(1807)年,12歳で同居の母を失い,翌年水戸の実父に死なれ,母方の祖父母に育てられた。山本北山の子緑陰に儒学を学び,上野寛...
放送中の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で、安田顕演じる平賀源内が亡くなった回の放送を見ながら、かつて源内を主人公にしたドラマ「天下御免」があったことを思い出していたら、源内を演じた山口崇の訃報が飛び込んできた。奇縁というべきか。山口崇といえば「大岡越前」の徳川吉宗も忘れ難い。「天下御免」(71・NHK)享保年間、発明家の平賀源内が抜群の行動力と長崎で身につけた新知識を駆使し、権力に臆することなく次々に起こる難事件を解決する痛快時代劇。ゴミ問題、受験戦争など、放送当時の世相を絡め風刺を効かせ、時代劇でありながら度々現代の風景が登場する、“ニュー時代劇”として話題になった。当時、小学生だった自分にとっても、見ると元気が出る大好きなドラマだった。脚本は早坂暁、演出は岡崎栄ほか、音楽は山本直純、タイトル...「天下御免」
平賀源内と田沼意次の関係、その生涯と功績⚡べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(16)さらば源内、見立は蓬莱(ほうらい)
蔦重(横浜流星)は源内(安田顕)を訪ね、戯作の執筆を依頼するが源内は奇妙な言動を繰り返す。その後、意次(渡辺謙)らのもとに“源内が人を斬った”という知らせが入る
エッ!! 平賀源内可哀想 としか... エレキテルはね医療機器ではないね 弥七のせいではないよただの静電気だから イカサマは、合ってる けど! 今日は た…
台東区橋場二丁目の住宅街に平賀源内の墓があります。平賀源内は、安永8年11月激昂して人を殺傷。一ヶ月後の12月18日、伝馬町の獄で亡くなりました。平賀源内は享保十三年(1728)、讃岐国志度浦(現香川県志度町)に生まれる(生年には諸説ある)。高松藩士白石良房の三男で名は国倫。源内は通称である。寛延二年(1749)に家督を継ぎ、祖先の姓である平賀姓を用いた。本草学・医学・儒学・絵画を学び、事業面では成功しなかった...
十思公園の隣に立つ大安楽寺もかつては一帯が伝馬町牢屋敷でした。牢屋敷は、1875年(明治8年)に廃止されましたが、土地の買い手がなく、跡地は荒廃。この地で処刑された人々を慰めるため、当時が建立されました。高野山金剛峯寺より賜った弘法大師像を本尊とし、処刑された人の霊を弔うため、延命地蔵がおかれました。 新高野山大安楽寺縁起 抑も此の地伝馬町は 江戸時代 徳川幕府の牢獄の所在せし所なり。当山...
江戸時代に本草学者、戯作者、発明家などマルチに活躍した人物。エレキテル(日本で初めて復元された電気機器)の復元や、燃えない布・火浣布、量程器(万歩計)、磁針器など多くの発明品を生み出した。本草学者としては薬品会(博覧会)を開催。戯作浄瑠璃作...
東京の地下鉄小伝馬町の駅を降りると、十思公園という小さな公園があります。そこは、江戸時代に伝馬町の牢屋があったところで、吉田松陰をはじめ、安政の大獄で投獄された人たちもこの地で処刑されました。今話題の平賀源内は、殺傷事件を起こし、ここに収監されました。安永8年(1779年)11月20日夜、神田の源内宅に門人の久五郎と友人の丈右衛門が止宿、明け方に彼らは「口論」となり源内は抜刀。両人に手傷を負わせ、久五郎は...
昭和3年(1928年)に建てられた旧中央区立十思小学校が、平成2年(1990年)に廃校となり、その後は中央区の日本橋特別出張所仮庁舎として利用され、平成12年(2000年)に改修工事を行って「十思スクエア」としてオープンしました。小伝馬町の牢屋敷跡建物内には福祉施設として中央区日本橋在宅介護支援センターや十思デイルームなどがあるほか、地域の人々の交流の場として利用されています。十思スクエア(旧十思小学校)に隣接す...
浄心寺は、寛永元(1624)年、京都伏見の元住人で、相良湊で廻船業を営んでいた西尾源兵衛が、先祖の菩提を弔うために出家し、浄心日清と称して開創しました。江戸後期には、田沼家の祈願所として雨乞祈祷などで厚く崇敬されました。山門に施されている見事な龍の彫刻は、地元の画家・寺田洞仙によって寛政元(1789)年に作られたもので、市の文化財に指定されています。また、平賀源内は誤って人を殺してしまい投獄され、獄中死し...
薪活の日々が続き、一段落(^-^;NHKのお昼のニュースで見頃を迎えたと放送されたので散歩にでました。枝垂桜の清雲寺へ 自撮り用の台も置かれてました …
86番札所 志度寺に隣接して、志度寺の塔頭である自性院常楽寺があります。平賀家が自性院の檀家であるあることから、仁王門前の自性院北正門から入ってすぐ南側に、平賀源内のお墓があります。安永8年(1779年)大名屋敷の修理を請け負った際に、酔っていたために修理計画書を盗まれたと勘違いして大工の棟梁2人を殺傷したため、11月21日に投獄され、12月18日に破傷風により獄死した。享年52。(Wikipediaより)(画像:めりい)微雲窟...
別館には、旧邸・銅像・薬草園などがあります。平賀源内旧邸平賀源内先生は江戸へ出る前即ち宝暦四年、平賀家の家督を妹里与の婿養子権太夫(ごんだゆう)に譲り、一生を独身で過ごした。生家は権太夫の孫松三郎によって文久2年(1862)に建て替えられ、現在に到っています。当時は銅像敷地まで本座敷のある構えでしたが、昭和9年(1934)銅像建設のため切り取られ、昭和42年(1967)旧邸内部に遺品陳列館を開設、平成12年(2000)に...
「べらぼう」と言うドラマが上映されている。 1970年代、同じく平賀源内主題ドラマがあった。 山口崇さんが主演だったが、べらぼうでは安田顕さんだ。(名前…
香川県さぬき市志度は、江戸時代の鬼才といわれる平賀源内の生誕地です。歴女の友人が、先日讃岐を訪ねてきたと画像を送ってくれたので、その画像をお借りして記事にしてみました。平賀源内記念館は、平成21年3月、平賀源内遺品館を移転、名称を改め新装開館しました。記念館本館には、映像で紹介する「源内奇才劇場」や、ビックリ意外な交流や出来事を展示する「源内玉手箱」、「体験コーナー」などがあります。(画像:めりい)にほ...
平賀源内は、1761(宝暦11)年から深川清住町の自宅で、長崎で手に入れたオランダ製のエレキテル(静電気発生機)を修理して復元し、度々実験を行いました。江東区清澄の読売江東ビルの敷地に「平賀源内電気実験の地」の石碑が立っています。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記ランキング...
鶴瓶の家族に乾杯 安田顕と宮城県名取市へ!泣き笑い・ぶっつけ本番出会い旅
大河ドラマ『べらぼう』で平賀源内を演じる安田顕が宮城県名取市でぶっつけ本番旅。14年前の東日本大震災で大きな被害を受けた閖上(ゆりあげ)地区で旅を続けていると…
「ここにも瀬川いねぇのか」に痺れてからの『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』と落語について
こんにちはkeitoです。 巡回、見まもりありがとうございます^^ 大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』を 継続してみております。 1話で、綾瀬はるかさんのナレーションを耳にして あーまたこのノリか?と、うんざりしましたが 2話?で平賀源内が吉原にあがって 「ここにも瀬川はいねえのか」と。 ほぅ。。。瀬川とな。 じゃ、このあと花の井は瀬川襲名か??? これは面白くなりそうだと胸がはやりましたら 思ったよりずっと早い展開の襲名となり いいねぇ~としみじみと視聴しながら 落語のことを考えておりました。 柳家さん喬 名演集5「雪の瀬川」【ポニーキャニオン落語倶楽部】 ポニーキャニオン Amazo…
オレンジタウンから乗車した午後の高徳線の上り列車は下校の高校生で満員でした。そんな列車を1駅目の志度で下車。ここからことでん志度線に乗り換えてことでん完乗を果たそうという目論見。さてと改札を出たところで足が止まりました。平賀源内がいたからです。
べらぼう江戸たいとう大河ドラマ館(3)五十間道ゾーン その壱
べらぼう江戸たいとう大河ドラマ館「五十間ゾーン」では、蔦重ゆかりの小道具やパネルが展示されています。平賀源内の衣装※展示されている小道具には、撮影使用品と同等品があります。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記ランキング...
噂の平賀源内は どこにいるのか 一体、誰なのか ……… はい だと思った ぽい! すごくぽいね! しかし ヒントは最初っからあったのだよ こちらW…
道の駅源平の里むれで新鮮な野菜をミカンを買いに出かけると、車をそのまま置いて美味しいカレー「グリーンインディア」に。ずっと通っていますが、見た目も味もナンのモチモチ感も最高です。食事の後はさぬき市志度図書館近くの新鮮な刺身の店「紬」に。2019年12月
大河ドラマ『べらぼう』第2話「吉原細見『嗚呼(ああ)御江戸』」が放送されました。2話では、蔦重(横浜流星さん)が、吉原の案内本『吉原細見』の序文を依頼するため、平賀源内(安田顕さん)を探すところから始まって、源内が「瀬川」という名の花魁に会...
どーも、PlugOutです。 今年こと2024年の「土用の丑の日」は07/24(水)と08/05(月)の2日ありますね! 実は年によって1日の場合と2日の場合があるんですよ。 それでは何故年によって日数が違うのかというと、それは「土用」が期間を表すことに由来するだそうな。 そもそも土用とは春夏秋冬の季節の切れ目の18日間のことです。 やはり夏のイメージが強いかもしれませんが、実は他の季節にも土用の時期はあるんですね。 そして丑の日とは日付を干支の十二支に当てはめて表す干支紀日法での日付なんです。 つまり土用の18日間に干支が一周半するので、この半周分の2回発生する日付に丑の日が含まれるのであれ…
夏になると、スーパーやネットでは『土用の丑の日』の文字を見かけるようになります。うなぎを食べることで有名ですよね。しかしなぜ『土用の丑の日』に、うなぎを食べることになったのでしょうか。調べてみました。