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前回記事 の続き。於大公園 でお散歩中池の向こうにあった建物は「このはな館」。ステンドグラス風に装飾されたガラス窓が綺麗だったので中に入ってガラス越しにパチリ花壇には菜の花が咲いていました。秋バラの咲き残りも。とても楽しげに歩くもなかです時間の都合であまりゆっくりは出来ませんでしたがなかなか良い公園でした。また遊びに来る機会があったらいいな。公園名はこの地で産まれた「於大の方」にちなんだものだそうで...
徳川将軍家菩提所次席で、徳川家康公の生母 於大の方(おだいのかた)の墓所があることで有名な、東京都文京区に所在する天台宗の寺院、無量山傳通院寿経寺(むりょうざん・でんづういん・じゅけいじ)を探訪しました。沿革は、傳通院公式サイトより一部を以下に引用・整理させて頂きました。■応永22年(1415)浄土宗第七祖了誉が開山。当時は小石川極楽水(現在の小石川4丁目15番)の小さな草庵で、無量山寿経寺という名...
愛知県知多郡阿久比町の洞雲院は、徳川家康の生母である於大の方の菩提寺です。948年(天暦2年)、菅原道真の孫である菅原雅規が開基となり、洞雲院の前身となる久松寺を創建したと伝わります。1494年(明應3年)、雅規の後裔である久松定益が曹洞宗の洞雲院として再建しました。1547年(天文16年)、久松俊勝のもとに於大の方が再嫁され、坂部城に在城の15年間に三男四女の子女が出生しています。寺伝によれば、平安時代、天暦2...
岡崎の大泉寺は、徳川家康が生まれた翌年、母・於大の方によって創建された寺院です。於大の方が懐妊した際、俊恵蔵主という名僧が岡崎城内の持佛堂薬師如来前で毎日安産の祈願を行いました。家康が無事誕生したことから、俊恵蔵主を開基、安産を祈願した持佛堂の薬師如来を本尊とし、城の東北にあたる場所に大泉寺が建立され、以来安産祈願の信仰を集めるようになりました。開山時の表記は「大仙寺」でしたが、慶長6年(1602)に...
伝通院(傳通院)は、東京都文京区小石川三丁目にある徳川将軍家の菩提寺です。慶長7年(1602)に徳川家康の生母・於大の方が逝去し、伝通院を菩提寺としました。伝通院の墓地の北側に徳川家の墓域があり、於大の方、千姫などの墓が建っています。於大の方の墓家康の生母で、法名は伝通院。於大の方は享禄元年(1528)三河刈屋城主・水野忠政の娘として生まれ、天文10年(1541)岡崎城主・松平広忠と結婚し、竹千代、後の徳川家康...
↑東京都文京区に所在する浄土宗の寺院、無量山傳通院寿経寺(むりょうざん・でんづういん・じゅきょうじ)を探訪しました。院号の「傳通院」は徳川家康公の生母、於大の方(おだいのかた)の法名「傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」に因むように、傳通院は徳川将軍家菩提所として知られていますね。※以下「傳通院」と、院号のみに省略させて頂きましたが「伝通院」の表記の方が一般的なのかもしれません。↑於大の方の墓所のほか、千...
今日は三河国にある 刈谷城 を紹介します。 ここに訪れたのは5年ほど前のことでしたが、場所は愛知県刈谷市の逢妻川沿いに位置しており現在は亀城公園として整備されております。 そこには本丸の一部と水
刈谷の本刈谷神社は大宝年間(西暦701~704年)に創建された八幡宮を起源としています。八幡社は字天神に鎮座、大宝年間(701~703)の創建で、天文2年(1533年)に水野忠政が刈谷城を築城した際、八幡社は城の北側の台地に奉遷され、明治初期の廃藩置県とともに元の地に奉遷されました。大正2年に八幡宮・八雲社・北野社の三社が合祀されました。水野 忠政(みずの ただまさ)水野家当主。通称は藤七郎、右衛門大夫、下野守。緒川城お...
応永10年(1403)、浜松普済寺の利山義總(りざんぎそう)禅師が現在の刈谷市元町に海会寺(かいえいじ)を開きました。海会寺には、禅師の徳を慕って修行者や信徒が多く集まるようになり、境内が手狭になったので、応永20年(1413)に現在の刈谷市天王町に楞厳寺(りょうごんじ)を建てました。水野家はこの寺に帰信し、水野家の菩提寺となっています。徳川家康の生母於大の方は、岡崎の松平氏に嫁いで竹千代(後の徳川家康)を生...
緒川城は水野貞守が文明年間(1469年~1486年)に築城したと伝えられ、忠政や信元ら水野氏の居城になりました。緒川の比高8メートルの台地に築かれ、絵図によれば主郭は東西83メートル、南北95メートルの平城でした。現在は主郭の北東部の土塁の一部が残され、古城公園となっています。水野忠政の娘で、徳川家康の生母於大の方(伝通院)が生まれた所でもあり、城址内には於大の方出生地の碑が立っています。伝通院於大出生地の碑...
乾坤院から於大公園へ。徳川家康の生母である於大の方が、東浦町の緒川城主・水野忠正の娘として生まれ、その水野家の菩提寺である乾坤院に隣接することから於大公園と名付けられたそうです。ここに、於大の方の一生を解説する案内板がありました。於大公園東の林の中に、緒川城主の墓があります。緒川城主三代の墓緒川城主初代・水野貞守(中央)、二代賢正(向かって左)、三代清忠(向かって右)文明7年(1475)頃、水野貞守が...
乾坤院 (けんこんいん)は、室町時代、文明7年(1475)、緒川城初代城主・水野貞守によって水野家の菩提寺として建立されました。徳川家康の生母・於大の方(伝通院)が四代・水野忠政の娘であり、乾坤院でも供養されている事から、江戸時代には尾張徳川家の庇護を受けました。乾坤とは、八卦で言う所の西北と南西の方位を表し、緒川城から見て西方(乾と坤の間)に造られた事からその名が付けられたと伝えられています。また、乾坤が「...
5月下旬、於大の方の生誕地・東浦町をまわっててきました。JR武豊線「緒川駅」から徒歩約15分、うのはな館(東浦町郷土資料館)からスタートです。於大の企画展が開催されていました。於大の方は、徳川家康の母として、水野家と松平家を支え戦国時代を生きた女性です。於大の方の像於大は、享禄元年(1528)、東浦の緒川城四代目城主・水野忠政と華陽院於富の方の娘として生まれました。水野忠政像徳川家康像忠政は、今川方の岡崎...
どうする家康 第16話「信玄を怒らせるな」 ~上杉謙信と徳川家康の同盟~
のちに「徳川四天王」のひとりに数えられる井伊直政が出てきましたね。最初、てっきり女性だと思って観ていました。実際の直政も美少年だったといいますから、少年...
家康を辿る城旅「坂部城」!家康と於大、感動の再会…久松家ゆかりの洞雲院も
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康を辿る城旅「坂部城」!家康と於大、感動
家康を辿る城旅「刈谷城」!生母於大が幼い家康と別れ過ごした"椎の木屋敷"も
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康を辿る城旅「刈谷城」!生母於大が幼い家康と別れ過ごした"椎の木屋敷"も…です。
家康を辿る城旅「緒川城」!生母於大の方出生の城、水野家ゆかりの史跡も
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康を辿る城旅「緒川城」!生母於大の方出生の城、水野家ゆかりの史跡も…です。
お花畑にいつまでもいられる訳はない 2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」の第3回「三河平定戦」が1/22に放送された。元康にとっては、かなりつらい展開。あらすじを公式サイトから引用する。 故郷の岡崎へ戻った松平元康(松本潤)は、打倒・信長(岡田准一)を決意するが、弱小の松平軍は全く歯が立たない。一方、今川氏真(溝端淳平)は援軍をよこさず、本多忠勝(山田裕貴)らは、織田に寝返るべきだと言い始め、駿府に瀬名(有村架純)を残す元康は、今川を裏切れないと悩む。そんな中、伯父の水野信元(寺島進)が岡崎城にある人を連れてくる。それは16年前に生き別れた元康の母・於大(松嶋菜々子)だった。(これまでの…
両親ともに十代での竹千代誕生、のはず NHK大河ドラマ「どうする家康」の第2回は「兎と狼」というタイトルだった。あらすじはNHKのホームページから引用する。 織田軍に包囲され、絶体絶命の松平元康(松本潤)。だが、なぜか織田信長(岡田准一)は兵を引く。元康は慌てて大高城を飛び出し、瀬名(有村架純)を残す駿府に帰ろうとするが、家臣団は故郷の三河に戻りたいと猛反対。元康は渋々三河へ向かうが、敵の罠にはまり、重臣の鳥居元忠(イッセー尾形)が大けがを負うなど松平軍は壊滅状態に。何とか岡崎の大樹寺に逃げ込んだが…。(これまでのあらすじ 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK) 松嶋菜々子は美しい。一世…
徳川家康の母・於大の方ゆかりの刈谷を訪ねました。「どうする家康」では、松嶋菜々子さんが於大の方を演じています。刈谷駅から椎の木屋敷跡へ向かう途中、於大通りという道を通っていきます。於大通りこの通りは於大の方由緒の地である椎の木屋敷跡へ通じる道であることから於大通りと命名されました。於大の方は、享禄元年(1528年)、刈谷城主・水野忠政とその妻・華陽院(於富)の間に、忠政の居城・緒川城(愛知県知多郡東浦...
大河ドラマ「どうする家康」に登場する於大の方とは?戦国の世を逞しく生きた女性。
今年(2023年)のNHK大河ドラマ「どうする家康」に登場する人物の中には、一般にはあまり知られていない人物もいます。私は、松嶋菜々子さん(冒頭の画像)が演じることになった於大の方がどういう人物だったのか大変興味があります。そこで今回は、於
渓照山 西向院 光岳寺(→東京都調布市富士見町1丁目)は、徳川家康の母・伝通院殿(→於大の方)を埋葬した地に、江戸時代前期の1645(正保元)年に無量山 伝通院 寿経寺(→東京都文京区小石川3丁目)の4代住職の叡誉聞悦(えいよもんえつ)が開山、弟子の成誉廓呑が開基した浄土宗寺院です。寺号は、於大の方の法名「伝通院殿容誉光岳智光大禅定尼」に由来します。江戸時代には本山・末寺の制により無量山 伝通院 寿経寺の末寺に置かれました...