メインカテゴリーを選択しなおす
岡崎の大泉寺は、徳川家康が生まれた翌年、母・於大の方によって創建された寺院です。於大の方が懐妊した際、俊恵蔵主という名僧が岡崎城内の持佛堂薬師如来前で毎日安産の祈願を行いました。家康が無事誕生したことから、俊恵蔵主を開基、安産を祈願した持佛堂の薬師如来を本尊とし、城の東北にあたる場所に大泉寺が建立され、以来安産祈願の信仰を集めるようになりました。開山時の表記は「大仙寺」でしたが、慶長6年(1602)に...
源頼朝の異母弟である阿野全成の四男・阿野 時元は、父の全成が建仁3年(1203年)鎌倉幕府第2代将軍・源頼家と対立して殺害された時、北条時政や北条政子の尽力もあって連座を免れ、父の遺領である駿河国東部の阿野荘に隠棲しました。建保7年(1219年)1月、従兄弟の第3代将軍・源実朝が殺害されると、翌月(承久元年2月11日)挙兵しますが、思うように兵を集めることができないうちに、北条政子が執権・北条義時命じて派遣した御...
静岡沼津に残る源氏・阿野全成の館跡と墓所…その秘めた野心とは?
全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、静岡沼津に残る源氏・阿野全成の館跡と墓所…その秘めた野心とは?です。
阿野全成の幼名は今若。7歳の時の平治元年(1159年)、平治の乱で父義朝が敗死したため幼くして京都の醍醐寺にて出家させられ、隆超(または隆起)と名乗り、ほどなく全成と改名。兄の源頼朝が挙兵すると、京を抜け出し、頼朝のもとへ駆けつけ、その時、頼朝は涙を流して喜んだといいます。その後、北条政子の妹・阿波局(後に実朝の乳母になる)と結婚し、頼朝のもとで着実な地位を築いていきました。頼朝の死後、嫡男の源頼家が...
この大泉寺には全成の首が一夜のうちに息子の時元のいた阿野の大泉寺まで飛んで来て、松の木の枝に掛かったという阿野全成の首掛け松の伝説が伝えられています。また、家臣が首を持ち帰ったが、警備が厳しく館の中に入れなかったため、入り口近くの松にかけたとも伝わっています。大泉寺の入口にあった松がその松だといわれていましたが、現在は枯れてしまい、その跡に石碑が建てられています。またその切り株は、お寺で保存されて...