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この大泉寺には全成の首が一夜のうちに息子の時元のいた阿野の大泉寺まで飛んで来て、松の木の枝に掛かったという阿野全成の首掛け松の伝説が伝えられています。また、家臣が首を持ち帰ったが、警備が厳しく館の中に入れなかったため、入り口近くの松にかけたとも伝わっています。大泉寺の入口にあった松がその松だといわれていましたが、現在は枯れてしまい、その跡に石碑が建てられています。またその切り株は、お寺で保存されて...
阿野全成の幼名は今若。7歳の時の平治元年(1159年)、平治の乱で父義朝が敗死したため幼くして京都の醍醐寺にて出家させられ、隆超(または隆起)と名乗り、ほどなく全成と改名。兄の源頼朝が挙兵すると、京を抜け出し、頼朝のもとへ駆けつけ、その時、頼朝は涙を流して喜んだといいます。その後、北条政子の妹・阿波局(後に実朝の乳母になる)と結婚し、頼朝のもとで着実な地位を築いていきました。頼朝の死後、嫡男の源頼家が...