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#210『三河物語』を読むその8 「七代目 松平清康」~『どうする家康』を楽しむため
2023年大河『どうする家康』を楽しむために、小手伸也さんの演じる大久保忠世の弟の彦左衛門忠教が書いた『三河物語』を読んでいこうと思います。第8回は「七代目 …
#268『三河物語』を読むその9 「八代目 松平広忠」前編~『どうする家康』を楽しむため
2023年大河『どうする家康』では、飯田基祐さんが演じる徳川家康の父、八代目の松平広忠についての『三河物語』の記述について その1です。 父、清康の急死と家臣…
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【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 12.続・松平広忠
松平広忠の後見人、叔父の松平信孝は、次第に増長して、自身の弟である、松平康孝の所領を横領する等、松平広忠及び、家臣達と対立した。 1543年(天文十二年)、…
徳川家康の父である、松平広忠は、1526年(大永六年)、三河国の岡崎城主、松平清康の息子に生まれた。 当時、松平清康は、十六歳であった。 松平清康には、庶子…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 09.松平清康・参
松平清康は、宇利城攻め以降、桜井松平家の当主で、叔父の松平信定と不仲になったと言われている。 その理由は、宇利城攻略戦において、大手門を攻める、福釜松平家の…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 09.松平清康・弐
松平清康は、十四歳~十六歳の間に、足助城の鈴木重政及び、岡崎松平家の西郷信貞に勝利した、軍事的天才であった。 その年齢での軍事的才能の発揮ぶりは、類例を見な…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 08.松平清康・壱
前述の通り、松平長親は、1508年(永正五年)に隠居し、長男の信忠に家督を譲った。 信忠は、永正三河の乱に参戦しているが、確実な戦功及び、軍事的采配の記録は…
岡崎市門前町にある随念寺は、永禄5年(1562)徳川家康が祖父・松平清康と清康の妹・久姫(家康を3~6歳頃まで養育)の菩提を弔うため創建した浄土宗の寺院です。鐘楼門1535年(天文4年)12月5日、尾張を攻略しようと守山に陣を構えていた松平清康は1535年(天文4年)12月5日、家臣阿部正豊に斬られ即死。久姫が1561年(永禄4年)岡崎城中で亡くなり、その墓が遺言によって清康の墓とならんで建てられました。随念寺の名は久姫...
岡崎市明大寺町にある六所神社は、松平氏発祥の地である松平郷の六所神社より祭神の勧請を受けて、徳川家康の祖父・松平清康が創建しました。一之鳥居松平家の産土神として松平家・徳川家の崇敬が篤く、江戸幕府の厚い保護を受けました。二之鳥居家康誕生の際には、松平氏の産土神としての拝礼があったといわれ、現在も「安産の神様」として信仰されている神社です。5万石以上の大名だけが上ることを許されたという石段極彩色の楼...
家康の父と祖父も「どうする」と悩んだ人生だった 歴史 東洋経済オンライン 東洋経済オ
「どうする家康」松嶋菜々子の“兄”水野信元・寺島進が初登場!いぶし銀・出浦「真田丸」以来7年 ... スポニチ Sponichi Annex …
大樹寺の境内には、松平家八代の墓や、家康の祖父・松平清康が天文4年(1535)に建立した多宝塔などがあります。鐘楼寛永18年(1641)3代・徳川家光公建立。楼上の大鐘は9代・家重改鋳によるもの。毎年、除夜の鐘で人の列が出来るそうです。豊国稲荷多宝塔大樹寺最古の建物がこの多宝塔です。天文4年、家康の祖父(1535)松平清康の建立によるもの。室町末期の様式で、多宝如来が安置されています。屋根はこけら葺きでしたが現在は桧...
今回はお隣の【三河国】安祥城 を少し紹介します。 場所は新幹線三河安城駅から南東へ数キロの県道78号沿いに安祥城址公園として整備されております。 城の起源は室町時代1440年頃、和田氏が築城したも
今日は近隣にある 守山城【尾張国】を紹介します。 場所は名古屋市守山区の矢田川沿いの河岸段丘上にあります。 築城したのは今川氏と言われておりますが、ここが歴史上で話題になったのはやはり俗に森山