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大給城 三河その4 岩山に築かれた多数の遺構が完存する大規模な山城を徹底見学する
大給(おぎゅう)城は愛知県豊田市大内町にあり松平氏の一族が城主と伝えられています。その4では北側の特徴ある水の手曲輪を中心に見学したいと思います。資料によると織田・今川の境目の城だった大給城を松平忠成が「大給城北沢水手」で攻めて戦功を挙げ今川義元から感情を受けたとされます。当時の大給城は北側の沢筋が弱点だったと思われ、今見る規模の大きな水の手曲輪はその後の改修とも考えられ大給城の見どころの一つとなっています。※これまでの大給城はこちらからその1その2その3今回の参考資料は(1)「豊田の中世城館」愛知中世城郭研究会1992(2)「愛知県中世城館跡調査報告Ⅲ」愛知県教育委員会1998(3)「愛知の山城ベスト50を歩く」愛知中世城郭研究会・中井均編2010(4)浅野文庫「諸国古城之図三河加茂大給」広島市立中央図...大給城三河その4岩山に築かれた多数の遺構が完存する大規模な山城を徹底見学する
今回は大給松平の地 大給城【三河国】を紹介します。 場所は現在の豊田市大内町にあって、現在においてもかなり山間に入った場所であります。 大給松平家の初代となった乗元から5代に渡りここに居城した