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茶室の次は、登ってきた階段を降りて「今川神廟」に向かいました。こちらは、今川義元と氏輝の廟で、2018年5月に落慶法要が行われました。以前は、現在建っている場所よりも後ろに建っていましたが、義元公の功績を評価し、偉人に相応しい立派なものをというご住職の考えで、本堂へ向かう歩道沿いに再建されたそうです。優美な曲線を描き、大きく軒を伸ばした屋根が特徴の優美な建物です。中には石塔と位牌があります。左側の大きな石塔は今川義元公、右側の小さな石塔は、今川氏輝公のもの。今川義元の石塔(首塚)桶狭間の戦いで、織田方に討ち取られた義元公の首級は、重臣・岡部元信と織田信長との交渉により後に返還され、駿河の菩提寺であった天澤寺に葬られましたが、天澤寺の衰退後、臨済寺に移されました。一方、胴体は腐敗が激しく、駿河に戻り途中、豊...臨済寺の春の特別公開(6)今川神廟今川義元の首塚
今川義元最期の場所か?「桶狭間古戦場伝説地」!義元本陣跡「高徳院」も
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、今川義元最期の場所か?「桶狭間古戦場伝説地
桶狭間古戦場跡は、名古屋市緑区桶狭間北3丁目にある史跡です。この一帯は、桶狭間の戦いの中心地であり、おけはざま山の本陣から追われた今川義元が、服部小平太と毛利新介によって打ち取られた最期の地といわれ、地元では、田楽坪とも呼ばれています。現在は合戦当時の地形、城、砦などをジオラマ化し、中央には織田信長と今川義元の銅像を配した桶狭間古戦場公園として、合戦から450年目の2010年に整備されました。 桶狭間古戦...
「どうする家康」の初回に、桶狭間の戦いが出てくるようですね(^0^;)岡田君演じる信長に期待大(o‘∀‘o)*:◦♪桶狭間の戦いは、永禄3年5月19日(1560年6月12日)尾張国知多郡桶狭間における織田信長軍と今川義元軍の合戦。駿河,遠江,三河3国を領有した今川義元は、永禄3 (1560) 年5月、大軍を率いて尾張へと進軍、丸根・鷲津の2城を攻略し、本陣を桶狭間のうちの田楽狭間(でんがくはざま)に移した。一方信長は、19日払暁、「敦盛」...