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戦国時代と幕末は、歴史好きの鉄板ネタと言えるくらい昔から人気のある時代です。 また古今東西、市井の歴史好きの興味は、その時代の文化や風俗というよりも、もっぱら人物伝に偏っていますから、例えば戦国時代が
JR東海道本線の大高駅より南西へ約10分歩いたところに桶狭間の戦いの前哨戦の舞台となった大高城があります。当時今川義元の配下であった松平元康(後の徳川家康)が、桶狭間の戦いの前に、孤立していた大高城に「兵糧入れ」をする大手柄を立てます。※兵糧入れの時期に関しては弘治3年(1557年)~永禄3年(1560年)まで諸説ありますが、永禄2年(1559年)と永禄3年(1560年)説が有力視されています。また、大高では、「永禄2年4...
緑区の長福寺は、桶狭間の戦いにおいて敗死した今川義元の供養寺として知られています。 和光山天沢院(わこうざんてんたくいん)と号し、天文7年(1538年)善空南立上人によって創建された西山浄土宗の寺院である。寺伝に、永禄3年(1560年)桶狭間の戦いのとき、上人は今川勢が当地に着くと聞くや、住民の先導者となって率先酒食を提供し、その労をねぎらったとある。 本尊の阿弥陀如来像は、今川義元の茶坊主林阿弥が義元公供養...
「どうする家康」の初回に、桶狭間の戦いが出てくるようですね(^0^;)岡田君演じる信長に期待大(o‘∀‘o)*:◦♪桶狭間の戦いは、永禄3年5月19日(1560年6月12日)尾張国知多郡桶狭間における織田信長軍と今川義元軍の合戦。駿河,遠江,三河3国を領有した今川義元は、永禄3 (1560) 年5月、大軍を率いて尾張へと進軍、丸根・鷲津の2城を攻略し、本陣を桶狭間のうちの田楽狭間(でんがくはざま)に移した。一方信長は、19日払暁、「敦盛」...
今日のお城は 沓掛城【尾張国】を紹介します。 場所は現在で言う田園地帯が広がる豊明市で、当時は三河国との境だったことから要衝の地であったようです。 この城の名が知られたのは、かの今川義元