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家康と秀吉の両方に深く関わった者達は尽く消えて行く。俗に言われる「家康の陰謀」。 松下之綱と家康と秀吉の関係は、之綱の松下家と縁を結んだ柳生家に門外不出の極秘文書として伝わった。 それが、柳生新陰流の真の秘伝書・・・なんて事なら凄いけど・笑
#323 長篠から7年の武田との抗争『三河物語』から見る ~『どうする家康』を楽しむため
大河ドラマ『どうする家康』の長篠の戦(1575年)で圧倒的な負け方をした武田勝頼ですが、だからといってすぐに滅んだわけではなく、1582年に滅ぶまで7年にわた…
"高天神を制するものは遠州を制す"家康対勝頼「高天神城」をめぐる激戦の果て
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、"高天神を制するものは遠州を制す"家康対勝
#330 長篠から7年、対武田戦争 後編 『松平家忠日記を読む』から見る
大河ドラマ『どうする家康』の長篠の戦(1575年)で武田の敗北の後も7年続く徳川vs武田の抗争の後編の家康の反撃を『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (…
#331 武田家滅亡 甲州征伐前夜~『松平家忠日記を読む』から見る
遠江国の武田家の重要拠点高天神城の落城でバランスが大きく崩れ、内部崩壊を始める武田家と甲州征伐を進めようとする織田・徳川両軍についてを『家康家臣の戦と日常 松…
#342 高天神城の位置 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争~『歴史群像2023年8月号』
大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、高天神城をめぐる10年の戦いがあります。歴史雑誌『歴史群像2023年8月号[雑誌]』の最新号で…
#352 高天神城の城主 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争~その2
高天神城の城主について、大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、高天神城をめぐる10年の戦いがあります。歴史雑誌『歴史群像2023年8…
#354 信玄の”三年の鬱積” 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争 その3
大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、まずは武田信玄の攻撃ターンから、歴史雑誌『歴史群像2023年8月号[雑誌]』の最新号での特集で…
#368 武田信玄のターン 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争 その4
大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、高天神城をめぐっての武田信玄の攻撃ターンから、歴史雑誌『歴史群像2023年8月号[雑誌]』の最…
#379 徳川家康のターン 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争 その5
大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、信玄死後の高天神城をめぐる徳川家康のターン、歴史雑誌『歴史群像2023年8月号[雑誌]』の最新…
#383 武田勝頼のターン 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争 その6
大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、信玄死後の高天神城をめぐる武田勝頼のターン、歴史雑誌『歴史群像2023年8月号[雑誌]』の最新…
#387 再度、徳川家康のターン 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争 その7
大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、長篠の戦いで勝利を収めた徳川家康の再反撃のターン、歴史雑誌『歴史群像2023年8月号[雑誌]』…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 34.徳川家康・二十弐
1574年(天正二年)の第一次高天神城の戦いは、徳川家康が、救援を送れなかったため、徳川家康の威信を低下させ、離反者が続出した。 そして、八年後の1581年…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 33.徳川家康・二十壱
1580年(天正八年)8月までには、徳川家康は、「高天神六砦」と呼ばれる、小笠山砦、能ヶ坂砦、火ヶ峰砦、獅子ヶ鼻砦、中村砦、三井山砦を完成させ、高天神城への…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 32.徳川家康・二十
高天神城の守将の小笠原信興は、徳川家康を見限り、武田勝頼氏に降ると、駿河国東部に一万貫の高待遇で、移封されている。 松下之綱は、解放されたが、その後、織田信…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 31.徳川家康・十九
武田勝頼は、上杉景勝と同盟したため、北条氏政と対立することになった。 武田勝頼は、織田信長との和睦を模索し、人質の信長の五男、勝長を返還したが、信長は、黙殺…
メルセデス-AMG GT 24 遠州三山風鈴まつり 高天神城
あまがえる 遠州 高天神城 名古屋 7:00 この時期、あじさい園は至るところで人を惹きつけるが、ユリとなると愛でる場所も限られよう。遠州は袋井に、「可睡...
どうする家康 第26話「ぶらり富士遊覧」 ~武田滅亡と信長の駿河訪問~
息子の松平信康と正室の築山殿を失った徳川家康でしたが、落ち込んでいる間もなく、武田に奪われていた高天神城攻めを本格化します。天正3年(1575年)以降、高...
西の丸に向かって進んで行きます。的場曲輪跡弓矢などの練習をしていた場所と言われています。鐘曲輪兵が攻めてきたことを知らせるために、ここで鐘や太鼓で知らせたといいます。かな井戸 井戸曲輪跡西峰と東峰を分ける曲輪で、籠城には欠かせない井戸がありました。尾白稲荷高天神城合戦将士英魂之碑高天神社西の丸跡この西の丸は岡部丹波守真幸が守備していた時期があり、丹波曲輪とも呼ばれているそうです。神社の奥に向かって...
高天神城の三の丸から本丸へ元天神社現在、西の丸にある高天神社は、元々はこの場所にあり、「高天神城」という由来となったそうです。御前曲輪跡城主・小笠原長忠と奥方の顔出しパネルここに、昭和に入ってから建てられた2層の模擬天守がありましたが、落雷で焼失したそうです。本丸跡高天神城の東峰の最高所に位置するのが本丸です。西側には土塁が作られているものの、東側は絶壁と評するにふさわしい急斜面となっており、人の...
掛川市の高天神城は、「高天神を制するものは遠州を制する」といわれた要衝で、徳川・武田の両雄が攻防戦を繰り広げた東海一の堅塁を誇った標高132メートルの山城です。眼下には、下小笠川など中小の河川が流れ、天然の堀を成し、尾根は三方が断崖絶壁、一方が尾根続きという天然の要害で、「難攻不落の名城」と呼ばれていました。高天神城の築城は、治承・寿永の乱(源平合戦)の際に築城されたとの伝承がありますが、室町時代、...
諏訪原城(すわはらじょう)は、遠江国榛原郡金谷(現在の静岡県島田市金谷)の標高212mから220mの台地にあった戦国時代の山城です。天正元年(1573)、武田勝頼は、遠江侵攻の拠点とするため、家臣の馬場美濃守信春に命じて、牧ノ原台地に築城しました。城内に諏訪大明神を祀ったことから諏訪原城と名が付いたと言われています。駿遠の国境に位置し、掛川の高天神城攻略の陣城として、攻略後は兵站基地としての役割を担いました。天...
武田徳川激戦の高天神城(続日本100名城)と横須賀城などを巡るラン
今日は寒かったですが天気良い予報だったので朝イチで城を目指しました。 今回は静岡県は掛川市の横須賀城と高天神城等。 新幹線から富士山を眺める。 まずは横須賀城へ。 袋井駅から走って行くにはちと遠
γ‐gtの上昇が凄過ぎて他に目が行かなかったけど、若干ではあったものの肝臓系の数値が軒並み悪くなっていてショック。胆石恐るべし。 今日は群馬の伊勢崎40.1度だったのか…。 36度(さいたま市)で大騒ぎしていた自分が恥ずかしい。 それでもベランダは床が熱々で、寝そべったら岩盤浴効果を期待出来そうな感じだった。 そんな灼熱の中でアナカンプセロス吹雪の松が、涼しげな可愛い花を咲かせていた。 吹雪の松と桜吹雪は見分けが付き難い。 数カ月前に近所のスーパーで見つけた時、桜吹雪の別名かと思ったほど似ている。 朧月と小紫もそっくり過ぎ。 お昼に食べた文明堂の試供品。特撰五三カステラ。 ゴミカステラ…ゴミカ…
今日のお城は【遠江国】横須賀城 を紹介します。 場所は静岡県掛川市の南に位置しております。 この城が建てられた理由は、甲斐の武田氏が遠江に進出し高天神城が奪取されてしまったことからそこ
遠江・釜原城 南北朝期に落城の伝説があり、戦国期の武田・徳川に改修されたとされる城郭
釜原城は静岡県御前崎市新野にあります。釜原はカマッパラと読みます。城主や築城時期は史料がなく不詳とされますが、付近にあった寺に残された伝記では南北朝期に落城したとされ、戦国時代の築城ともいわれ戦国時代以前に付近を支配していた新野氏の築城との説もあるようです。戦国期には武田・徳川による高天神城の争奪戦に関連して改修利用されたと考えられているようです。今回の参考資料は(1)世城館跡』静岡県教育委員会1978と現地案内板です。釜原城新野川が流れる南北の谷筋を通る街道を扼する位置にある。戦国期にはその役割が変わった案内板によると武田・徳川の高天神城争奪戦の時には西に向けて馬出から出撃できたようです。遠州の城址の多くが後世に茶畑として利用され、改変が行われていますが、今残されている釜原城の城郭遺構も茶畑などの造成によって...遠江・釜原城南北朝期に落城の伝説があり、戦国期の武田・徳川に改修されたとされる城郭