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#264 第20回「岡崎クーデター」感想~大河ドラマ『どうする家康』
2023年5月28日の大河ドラマ『どうする家康』の第20話「岡崎クーデター」の感想大きく揺れる徳川家中、そして家康家族の仲も大きく壊れる可能性が武田信玄が亡く…
#282 第22回「設楽原の戦い」感想~大河ドラマ『どうする家康』
2023年6月11日の大河ドラマ『どうする家康』信長との緊迫した関係から一転して武田勝頼と戦う織田・徳川連合軍の第22話「設楽原の戦い」の感想圧倒的な信長、圧…
#284 設楽原後の対武田戦を『三河物語』からみる ~『どうする家康』を楽しむため
6月11日放映の大河ドラマ『どうする家康』で信長に臣従し武田の息の根を止めることを求められた家康・信康の設楽が原後について『三河物語』ではどのように描かれてい…
#289 第23回「瀬名、覚醒」感想~大河ドラマ『どうする家康』
2023年6月18日の大河ドラマ『どうする家康』の『瀬名、覚醒』についての感想や考察など信康・瀬名の悲劇の決定打へ23話は、徳川家の最大の悲劇「築山殿事件」「…
#297 第24回「築山へ集え!」感想~大河ドラマ『どうする家康』
2023年6月25日の大河ドラマ『どうする家康』の『築山へ集え!』は、悲劇の決着かと思いましたが、むしろさらにスケールアップさせるものでした。瀬名姫と様々な女…
#309 第25回「はるかに遠い夢」感想~大河ドラマ『どうする家康』
2023年7月2日の大河ドラマ『どうする家康』の『はるかに遠い夢』について、ついに徳川家の最大の悲劇「築山殿事件」「信康自刃事件」が終わります。家族愛と家を守…
#310 築山殿と信康の悲劇を『三河物語』から読む~『どうする家康』を楽しむため
2023年大河ドラマ『どうする家康』23~25話につらなる徳川家中の悲劇「築山殿事件」と「信康自刃」ついての『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫) 』の記述…
NHK大河ドラマ『どうする家康』で壮大すぎる夢の先に散った築山殿と松平信康についての史実はどうかと思い購入した『歴史街道2023年8月号(特集1「零戦の光と影…
#328 築山殿・松平信康自刃事件を『松平家忠日記を読む』から見る
大河ドラマ『どうする家康』の長篠の戦(1575年)の武田との抗争の最中の築山殿・松平信康自刃事件について『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (角川ソフィ…
なぜ家康は妻子を死に追いやったのか?松平信康事件と浜松ゆかりの史跡
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、なぜ家康は妻子を死に追いやったのか?松平信
謎多き「松平信康事件」!家康は信長の命で妻子を殺した?岡崎ゆかりの史跡へ
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、謎多き「松平信康事件」!家康は信長の命で妻
服部半蔵正成(まさなり)公の開基によって、21歳で自刃した松平信康公(徳川家康公嫡男)の供養の為に開創された、東京都新宿区に所在する浄土宗の寺院、専称山安養院西念寺(せんしょうざん・あんにょういん・さいねんじ)を探訪しました。※以下「西念寺」と省略させて頂きました。↑写真は、本堂裏墓地の一画に建つ「岡崎三郎信康供養塔」です。現地解説板より、以下に解説を転記させて頂きました。新宿区指定史跡岡崎三郎信康供...
大河ドラマ「どうする家康」では最初はワガママ姫と描かれた五徳姫。何かにつけて信長さんの娘ってことをアピールしてたよね夫・信康の自害が近くになると尽くす妻になっ…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 30.徳川家康・十八
以上が、『どうする家康』の展開であるが、明らかに、史実を逸脱しており、諸説として、完全に認められない。 通説では、築山殿は、徳川家康と不仲であり、悪女とされ…
どうする家康 第26話「ぶらり富士遊覧」 ~武田滅亡と信長の駿河訪問~
息子の松平信康と正室の築山殿を失った徳川家康でしたが、落ち込んでいる間もなく、武田に奪われていた高天神城攻めを本格化します。天正3年(1575年)以降、高...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜今回は辛すぎて悲しくて泣いたよーってことで第25話の感想ぉ〜!瀬名が目指した慈愛の国…武田勝頼が裏切り、瀬…
JR清水駅から徒歩10分、静岡県清水区江尻の江浄寺は、東海道五十三次、江尻宿の中心に位置する古刹です。永正元年(1509)、浄土宗大本山 光明寺(鎌倉市)の第九世 長蓮社観譽祐崇(ちょうれんじゃ かんよ ゆうそう)上人が開山で、当時は旧東海道沿い(清水区秋吉町付近)に創建されました。その後、徳川幕府の東海道整備に伴い、慶安四年(1651)現在の地へ移転しました。境内には、松平信康の遺髪を納めた五輪塔があります。江...
東京都新宿区若葉二丁目の西念寺は、服部半蔵正成が開基した寺として知られています。徳川氏が江戸に入封して間もない文禄3年(1594)に、正成が江戸麹町の清水谷(現在の千代田区紀尾井町清水谷公園付近)にその前身である庵(安養院)を創建したことに始まります。正成は、松平信康の慰霊のために出家入道して西念と号し、安養院に供養塔を建て、遠州以来奉持していた信康の遺髪を埋めてその菩提を弔いつつ余生を過ごしました。そ...
岡崎市若宮町にある根石寺(旧根石観音堂)を訪ねました。現在、信康の首塚がある若宮八幡宮の境内にあった根石原観音は、明治維新の神仏分離によって、若宮八幡宮の北側に移転し、現在は根石寺となっています。根石原観音の由緒について、「おかまいり」のHPによると、和銅元年(708)に悪病が流行したことから、43代元明天皇が悪疫を絶やすよう行基法師に祈祷を依頼すると、行基は自ら六体の観音菩薩を彫り、そのうちの二体を根石...
松平信康は、堀江城からさらに遠江国豊田郡二俣(現在の浜松市天竜区二俣町二俣)二俣城に移されました。二俣の地は、天竜川と二俣川との合流点にあり、水運に恵まれた地で、、武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げました。また、信康が悲劇の切腹をとげた城としても知られています。この急な階段を上っていきます。当時、武田軍が急な坂道で手こずったというのがうなづけます。まだまだ続く階段(..;...
天正7年(1579)8月9日、小姓5人を付き添わせ、松平信康は、大浜から遠江の浜名湖半にある堀江城へと移っていきました。その翌日、徳川家康は、三河衆から信康に内通しないことを誓約する起請文を提出させたといいます。13日、家康は浜松城に帰還し、岡崎城には本多重次を派遣して城代に据えました。堀江城は、鎌倉時代、藤原氏の血を引く大沢基久が築城したと伝えられています。 戦国時代も大沢氏が城主を務めますが、今川氏の勢力...
前回に続いて徳川家康の前半生の最大の悲劇といえる築山事件(松平信康自刃事件)が描かれました。通説と言われる事件の流れは、第24話の稿で解説したので、ここ...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜築山信康事件って、未だ謎なんだよねってことで第24話の感想ぉ〜!!いよいよ瀬名が動き出しました。瀬名のいる…
松平信康が大浜へ追放された後、天正7年(1579)、8月5日、徳川家康は、松平信忠らの軍勢を率いて、吉良西尾城に赴きました。西尾城周辺には大きな河川があり、下流の湿地帯には野鳥が多く生息し、この地で織田信長や豊臣秀吉、徳川家康の三英傑が、吉良荘(きらのしょう)で鷹狩りを楽しんだという記録が残っています。(西尾歴史散策MAPより)特に家康は、その生涯で1000回以上も鷹狩りを楽しんだそうで、この年表を見ても、信康事件の...
どうする家康 第24話「築山へ集え!」 ~築山事件(松平信康自刃事件)前編~
いよいよ物語は、徳川家康の前半生の最大の悲劇といえる築山事件に入ります。松平信康自刃事件とも言いますね。諸説あって謎が多いこの事件ですが、通説とされてい...
1579年8月4日、松平信康は、岡崎城から三河大浜城に移されました。そんな信康の軌跡を追って、愛知県碧南市大浜を訪ねました。碧南市には、三英傑のゆかりの地があり、各所にこの幟がはためいています。この地区は、古くから海運の町として栄え、多くの寺社が建てられました。特に大浜てらまち地区は、南北1.2kmほどの狭い地区に、宗派を異にする10軒のお寺があります。「竹千代」命名の寺「称名寺」は、暦応2年(1339)に新田氏一...
松平信康は、永禄2年(1559年)3月6日、松平元康(後の徳川家康)の嫡男として駿府で誕生。今川氏の人質として幼少期を駿府で過ごしましたが、桶狭間の戦いの後に徳川軍の捕虜となった鵜殿氏長・氏次との人質交換により岡崎城に移りました。元亀1年(1570)、家康が遠江に進出し、引馬(浜松)を居城とする際、三河岡崎城が与えられ、岡崎次郎三郎信康と称しました。信康は性剛直で武勇に優れ、よく家康を助けたといいます。天正3年(1...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜だんだんと悲劇に近づいてきてる気がする…ってことで第23話の感想ぉ〜!長篠・設楽原の戦いに勝ったはいいが、…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜1日感想が送れちゃったね…ってことで第20話の感想ぉ〜!!今回、活躍したのが、家康の正室、瀬名。武田信玄亡…