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築山殿事件とは?家康はなぜ正室と嫡男を死なせなければならなかったのか?
1.「築山殿(つきやまどの)事件」とは天正7(1579)年8月29日、徳川家康の正妻築山殿(瀬名姫)が、家康の命令により殺害されました。またこれに続いて9月15日には築山殿と家康の間の長男信康も切腹を命じられました。この築山殿事件は、「家康
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜今回は辛すぎて悲しくて泣いたよーってことで第25話の感想ぉ〜!瀬名が目指した慈愛の国…武田勝頼が裏切り、瀬…
岡崎市両町にある祐伝寺を訪ねました。祐伝寺の由緒根石山と号し真宗高田派。もと妙源寺末。本尊阿弥陀如来。天正7年(1579)柴田新四郎正親が投町に創建。正親の次男六郎は遊伝坊了慶と称して一寺を建てた。後家康が神明宮別当を命じたという(コトバンクより)築山殿の首は、織田信長に送られ、首実検にかけられた後、岡崎城代であった石川数正がその首を持ち帰り、祐伝寺に葬ったといいます。江戸時代になると八柱神社(やはしら...
前回に続いて徳川家康の前半生の最大の悲劇といえる築山事件(松平信康自刃事件)が描かれました。通説と言われる事件の流れは、第24話の稿で解説したので、ここ...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜築山信康事件って、未だ謎なんだよねってことで第24話の感想ぉ〜!!いよいよ瀬名が動き出しました。瀬名のいる…
岡崎で息子の松平信康夫婦と暮らしていた築山殿は、信康の妻・徳姫が二人の姫を産んでもいまだ男児を産まないことを気にかけ、元武田家の家臣で後に徳川家の家臣となっていた浅原昌時の娘および日向時昌の娘など部屋子をしていた女性を、信康の側室に迎えさせました。天正7年(1579年)、徳姫は、築山殿が徳姫に関する讒言を信康にしたこと、築山御前と唐人医師・減敬との密通があったこと、武田家との内通があったことなど、12か...
どうする家康 第24話「築山へ集え!」 ~築山事件(松平信康自刃事件)前編~
いよいよ物語は、徳川家康の前半生の最大の悲劇といえる築山事件に入ります。松平信康自刃事件とも言いますね。諸説あって謎が多いこの事件ですが、通説とされてい...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜だんだんと悲劇に近づいてきてる気がする…ってことで第23話の感想ぉ〜!長篠・設楽原の戦いに勝ったはいいが、…
岡崎の築山に居を構えていたことから、築山殿と呼ばれたという瀬名。その築山というのは、どの辺りにあったのか岡崎を再度訪ねてみました。築山があったのは、総持尼寺(そうじにじ)というお寺で、そこに築山があり、「築山殿」と呼ばれるようになったという説があります。岡崎天満宮の由緒に、総持尼寺の創建について書かれています。「今から約800年前のことです。人皇第84代順徳天皇の時代、建保2年(西暦1214年)秋...
今年(2023年)のNHK大河ドラマ「どうする家康」に登場する人物の中には、一般にはあまり知られていない人物もいます。私は、細田佳央太さん(幼少期の松平信康役は寺嶋眞秀)(冒頭の画像)が演じることになった徳川信康がどういう人物だったのか大変
大河ドラマ「どうする家康」に登場する五徳とは?「築山殿事件」を招いた信長の娘。
今年(2023年)のNHK大河ドラマ「どうする家康」に登場する人物の中には、一般にはあまり知られていない人物もいます。私は、久保史緒里さん(冒頭の画像)が演じることになった五徳がどういう人物だったのか大変興味があります。そこで今回は、五徳に