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#411 第36回「於愛日記」感想~大河ドラマ『どうする家康』
二代将軍秀忠の生母の於愛の心のうちと活躍に焦点を当てた9月24日放映の大河ドラマ『どうする家康』の第36回「於愛日記」について心の内を隠しつつ家中の二人の女を…
隣松寺は、鴛鴨松平家(寺から北に約1㎞に居城・鴛鴨城跡)の菩提寺であり、隣松寺の墓地には、鴛鴨松平家の墓、家康の四男・松平忠吉の墓、内藤家の祖先・内藤清長の墓、室町時代の細川家三代の墓などが並んでいます。細川家三代墓所細川家三代とは、初代の細川義季とその弟の戸賀崎義宗、2代細川俊氏、3代の細川公頼のことをいいます。内藤清長の墓内藤清長は、家康の祖父・松平清康、家康の父・松平広忠に仕えた上野上村城主です...
どうする家康 第36話「於愛日記」 ~西郷局の死と鳥居元忠の側室~
徳川家康の側室のひとりである於愛の方は、天文21年(1552年)に遠江国西郷村に生まれたと伝わります。家康より9歳下となりますね(永禄4年(1561年)...
徳川家康の側室・阿茶局は、於愛の方の死後に、徳川秀忠と松平忠吉を養育し、大坂冬の陣の和議にも貢献した女性として名を残しています。その阿茶局を預け、家康も度々訪ねたという旧鈴木家屋敷跡は、浜松市東区中郡町にあります。中郡町周辺は、古くからの稲作地帯で、万斛(まんごく)と呼ばれ、今でも字名(あざな)にその名称が残っています。家康が遠江に侵攻してきた際、米の石高である(万石)と同音であることから縁起の良...
【どうする家康】#36 家康の心を救った笑顔の於愛、偽りが誠になった夫婦
殿不在時、家中に指図をする於愛の方 NHK大河ドラマ「どうする家康」第36回「於愛日記」が9/24に放送された。徳川幕府二代将軍の母としてその名を遺した於愛を中心に、真田信幸に嫁ぐ嫁がないのすったもんだを演じた本多忠勝の娘・稲姫、お久しぶりの武田の間者・千代、そして初登場のはずだけれど見覚えのある茶々(やっぱりの北川景子がお市の方と二役)の話が主に描かれた。 まずは公式サイトからあらすじを引用する。 家康(松本潤)は真田昌幸(佐藤浩市)から、北条に領地を渡す代わりに徳川の姫が欲しいと頼まれる。忠勝(山田裕貴)の娘・稲(鳴海唯)を養女にして嫁がせようとするが、父娘ともに猛反対。そんな中、家康が探…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜今回は於愛さんがメインだったねってことで第36話の感想ぉ〜!於愛の語りで始まりましたが、おおらかな笑みは……
先週末、初めて静岡県の菊川を訪ねました。菊川駅前で、レンタサイクルを借り、応声教院へ。駅かから約4.8キロ、20分ほどで到着。参道の彼岸花が見頃を迎えていました。応声教院(おうしょうきょういん)は、斉衡2年(855)勅願により円仁が創建したとされています。承安5年(1175)法然が浄土宗に改め、法然の師である皇円の菩提をこの寺で弔ったと伝えられています。今回、ここを訪ねたのは、こちらの山門を見るのが目的です。この山門...
また、宝台院は、江戸開城後に、徳川慶喜が1年間近くを謹慎した場所としても知られます。江戸城は、慶応4年(1868)4月11日に新政府軍に明け渡され、彰義隊や旧幕臣の暴発を恐れた慶喜は、11日午前3時に寛永寺大慈院を出て水戸へ向かいました。水戸では弘道館の至善堂にて引き続き謹慎した後、7月に徳川家が駿府に移封されると、7月23日、慶喜も駿河の宝台院に移って、明治2年9月28日までの約1年間を宝台院で謹慎されました。これに...
※今日の「どうする家康」の紀行で、浜松の五社神社が紹介されましたので、再掲します。浜松の心造寺は、徳川家康が、1580(天正8)年7月に徳川秀忠の産土神(うぶすながみ)として五社神社を浜松城内から常寒山(とこさむやま)へと移し、その北側の隣接地に開いたお寺です。開山は讃誉智眼(さんよちげん)上人、開基は秀忠の母である西郷局(於愛の方)。西郷局が奉納した鉄灯篭は、戦災で片方が失われ、現在は1つだけ残されてい...
JR静岡駅北口から国道1号線沿いに徒歩10分、葵区常磐町二丁目に宝台院という浄土宗のお寺があります。山号は金米山。寺号は龍泉寺。宝台院は、1509年(永正6年)祐崇によって開かれた寺で、徳川家康の側室で、二代将軍・徳川秀忠の生母於愛の方(西郷局)の菩提寺です。西郷の局は、天正14年(1586)家康とともに駿府城に入りましたが、天正17年(1589)38歳で亡くなり、龍泉寺(宝台院)に葬られました。寛永5年(1628)、秀忠は母...
~基礎情報学習帳~於愛日記~ NHKの大河ドラマのエースとも言える徳川家康が主役の「どうする家康」。36回・大河ドラマ「どうする家康」は、於愛の方の日記がテーマです。今回もNHK出版の大河ドラマ・ガイド「どうする家康」での解説がありません。同本の出版予定は10月7日とか・・・と言う事で、NHKの大河ドラマなどの中から情報を整理して記載しました。
【どうする家康】#34 自分のお気持ち大事な家康、数正・忠次・正信・於愛の連係プレーでようやく上洛へ
瀬名ロスがぶり返す押し花の秘密 NHK大河ドラマ「どうする家康」第34回「豊臣の花嫁」が2週間前の9/3に放送されていた。体調不良時を除き、一応、毎週感想をダラダラと書いてきているのに、今回は何の理由もなく通過するところだった。危ない危ない。 34回も決して見どころが無かったわけではなく楽しんで見たのだが、このところのジャニーズ問題の方に気を取られていたら・・・今作は、ガッツリとジャニーズ大河だ。9/15発表の新キャストにもジャニーズタレントがいる。とはいえ、主役を挿げ替える訳にも行かないから、今年はこのままだろう。 さて、早速あらすじを公式サイトから引用させていただく。 打倒・秀吉(ムロツヨ…
浜松の心造寺は、徳川家康が、1580(天正8)年7月に徳川秀忠の産土神(うぶすながみ)として五社神社を浜松城内から常寒山(とこさむやま)へと移し、その北側の隣接地に開いたお寺です。開山は讃誉智眼(さんよちげん)上人、開基は秀忠の母である西郷局(於愛の方)。西郷局が奉納した鉄灯篭は、戦災で片方が失われ、現在は1つだけ残されています。西郷局(さいごうのつぼね)父は戸塚忠春。通称は於愛の方。徳川家康の側室であ...
静岡県掛川市上西郷は、於愛の方(西郷局)の生誕地とされています。西郷局といえば、徳川家康の側室で、二代将軍・徳川秀忠を生んだ女性です。上西郷の構江公民館は、西郷十八士の一人・戸塚五郎太夫忠春の居館跡で、案内板と標柱が立っています。戸塚忠春の娘が、お愛、後の西郷局です。(西郷局の出生については諸説あり)西郷ノ局の生誕地 二代将軍、徳川秀忠公の生母、西郷ノ局は、幼名をお愛といい、父・戸塚五郎太夫忠春、...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜だんだんと悲劇に近づいてきてる気がする…ってことで第23話の感想ぉ〜!長篠・設楽原の戦いに勝ったはいいが、…
徳川秀忠は、徳川家康の三男として、遠江国(静岡県)浜松に生まれました。幼名は長丸。のち竹千代。母は側室の於愛(西郷局)。於愛は、浜松城に奉公に出て、家康の目に止まり、二代将軍の秀忠を生みました。同母弟は、四男松平忠吉。長兄・松平信康は秀忠の生まれた年に自害、次兄の秀康は、秀吉の養子に出され、のちに結城秀康となったため、また母親が三河の名家であるということもあり、秀忠が、実質的な世子となりました。天正1...
大河ドラマ「どうする家康」に登場する於愛の方とは?苦悩の日々を送った家康の側室。
今年(2023年)のNHK大河ドラマ「どうする家康」に登場する人物の中には、一般にはあまり知られていない人物もいます。私は、広瀬アリスさん(冒頭の画像)が演じることになった於愛の方がどういう人物だったのか大変興味があります。そこで今回は、於