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豊田市の隣松寺の裏手には、鴛鴨(おしかも)松平氏墓所があります。この地もかつては隣松寺の敷地内だったそうです。榊原康政の祖父・榊原清長・父・榊原長政の墓や、松平忠久の娘である於美津(おみつ)(東条松平家忠の妻で、松平忠吉の養母になった)の墓があります。鴛鴨松平氏は、松平家三代当主・信光の子である親光を初代とし、鴛鴨城を拠点としました。親光の後は、親康、親久、忠久と続きました。永禄6年(1563)上野城(豊田...
隣松寺は、鴛鴨松平家(寺から北に約1㎞に居城・鴛鴨城跡)の菩提寺であり、隣松寺の墓地には、鴛鴨松平家の墓、家康の四男・松平忠吉の墓、内藤家の祖先・内藤清長の墓、室町時代の細川家三代の墓などが並んでいます。細川家三代墓所細川家三代とは、初代の細川義季とその弟の戸賀崎義宗、2代細川俊氏、3代の細川公頼のことをいいます。内藤清長の墓内藤清長は、家康の祖父・松平清康、家康の父・松平広忠に仕えた上野上村城主です...
豊田市の隣松寺もまた徳川家ゆかりの寺として知られています。仁王門仁王像山門稲荷社境内にある稲荷社は、松平広忠が竹千代(徳川家康)誕生にあたり、成長の無事を祈願したと伝わります。家康は三河一向一揆の際、一向一揆の際に、酒井忠尚の居城・上野城めの本陣とし、稲荷社に戦勝祈願しました。勝利した後、寺の山号を「玉松山」から「稲荷山」に改め、自身の甲冑姿の木像と念持仏を奉納するとともに朱印地30石を寄進したといい...