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両国にある回向院は、江戸時代に起きた明暦の大火(振袖火事)で亡くなった方々を、供養するために開かれた浄土宗のお寺です。 江戸市街の6割が焼失し、10万人もの命が失われた明暦の大火。亡くなった方々ほとんどの身元や身寄りがわからなくなってしまっていたので、当時の将軍徳川家綱(寛永18.8.3~延宝8.5.8 第4代将軍)が、隅田川の東岸に万人塚を設け、大法要を行わせたのがこのお寺のはじまり。「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説く」ことを理念とする当院には、明暦の大火をはじめ、安政の大地震、関東大震災、その他飢饉や水難事故等、さまざまな災害で亡くなった方々の…
歌川広重作、名所江戸百景の五景は「両ごく回向院元柳橋」です。 回向院は両国に現存する寺院で、江戸市中を襲った明歴の大火の後、四代将軍家綱公が亡くなった人を手厚く葬るように大法要を営んだ際に建てられたと伝わっています。広重の絵は勧進相撲の開催
本多忠勝は、天文17(1548)年、安祥松平家(徳川本家)の最古参の譜代である安祥譜代の本多氏で、本多忠高の長男として、三河の西蔵前城に生まれました。天文18年(1549年)、父・忠高が戦死し、叔父・忠真のもとで育ちました。幼い頃から徳川家康に仕え、永禄3年(1560年)13歳の時に桶狭間の戦いの前哨戦である大高城兵糧入れで初陣、このとき、同時に元服しました。三河一向一揆、姉川の戦、三方ケ原の戦、長篠の戦、高天神の...
南千住('23.9.24) 『脱出ゲーム 香川県からの脱出』に登場する、歴史上の人物ゆかりの場所を巡る旅。宮武外骨さんのお墓にお参りした際、巣鴨であちこちに…
玉川上水に親しむ会の4月分の下見に行ってきました~(3月27日)4月もM氏に案内していただきます。今回は、「小名木川と深川江戸資料館」です。小名木川は都営地下鉄新宿線と並行して流れる川で、全長約4900m、最大巾約50m、最小巾26mで、隅田川と旧中川を一直線で結ぶ運河です。特徴は途中、川の水位を調節する扇橋閘門があることです。集合場所は総武線の両国駅。マンホールカードと同じデザインの蓋があります。南へ歩きます。周辺には相撲のモニュメントがあちこちにあります。回向院へ立ち寄ります。境内内には色々な供養塔があります。阿像吽像どちらも目を見開いて少し怖い表情です。明暦の大火の供養塔次に、吉良邸跡へ海鼠壁が模してある入口。忠臣蔵では悪役に仕立てられた上野介でしたが、領地の三河では評判が高く、新田の開拓や塩業の発...玉川上水に親しむ会・4月分の下見①回向院と吉良邸跡~♪