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2025年2月15日春の史跡めぐりの下見です。 両国駅西口に集合して、両国南側を巡ります。巨大な優勝額と土俵の丸い輪。相撲の街だなぁ隣の観光案内所はパスしまし…
【南千住を歩く!その4】小塚原回向院、<コツ通り商店会>の店舗と蔵、円通寺の几号水準点、元祖青木屋に見入る!
2023年2月21日、前回の記事からの続きです。どんどん進んだところで目に留まった建物。奥行きのある建物。鮨・居酒屋 一条(南千住7-28-5)横断歩道を渡ります。やって来たのは、回向院えこういん(南千住5-33-13)墨田区の回向院と区別するため「小塚原回向院」と呼ばれています。浄土宗のお寺。回向院のあたりは、江戸時代には「小塚原」といわれ、大和田刑場、品川の鈴ヶ森とともに三大刑場と言われた小塚原処刑場がありました...
両国にある回向院は、江戸時代に起きた明暦の大火(振袖火事)で亡くなった方々を、供養するために開かれた浄土宗のお寺です。 江戸市街の6割が焼失し、10万人もの命が失われた明暦の大火。亡くなった方々ほとんどの身元や身寄りがわからなくなってしまっていたので、当時の将軍徳川家綱(寛永18.8.3~延宝8.5.8 第4代将軍)が、隅田川の東岸に万人塚を設け、大法要を行わせたのがこのお寺のはじまり。「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説く」ことを理念とする当院には、明暦の大火をはじめ、安政の大地震、関東大震災、その他飢饉や水難事故等、さまざまな災害で亡くなった方々の…
歌川広重作、名所江戸百景の五景は「両ごく回向院元柳橋」です。 回向院は両国に現存する寺院で、江戸市中を襲った明歴の大火の後、四代将軍家綱公が亡くなった人を手厚く葬るように大法要を営んだ際に建てられたと伝わっています。広重の絵は勧進相撲の開催
本多忠勝は、天文17(1548)年、安祥松平家(徳川本家)の最古参の譜代である安祥譜代の本多氏で、本多忠高の長男として、三河の西蔵前城に生まれました。天文18年(1549年)、父・忠高が戦死し、叔父・忠真のもとで育ちました。幼い頃から徳川家康に仕え、永禄3年(1560年)13歳の時に桶狭間の戦いの前哨戦である大高城兵糧入れで初陣、このとき、同時に元服しました。三河一向一揆、姉川の戦、三方ケ原の戦、長篠の戦、高天神の...
南千住('23.9.24) 『脱出ゲーム 香川県からの脱出』に登場する、歴史上の人物ゆかりの場所を巡る旅。宮武外骨さんのお墓にお参りした際、巣鴨であちこちに…