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歌川広重「名所江戸百景」の四十景は せき口上水端はせお庵椿やま。元の絵はこちらです。絵の題名がとっつきにくいですが、"せき口上水端"は、今の文京区関口付近、神田上水(神田川)にあった取水口堰のあたり、という意味。というか堰があったから「関口...
歌川広重の「名所江戸百景」の三十四景は 隅田川水神の森真崎(すみだがわすいじんのもりまっさき)、元の絵はこちらです。前回の四ツ木から墨田区堤通の水神大橋の袂あたりまで移動してきました。隅田川の流れはおそらく往事と大差無いと思うのですが風景は...
歌川広重の「名所江戸百景」の三十三景は 四ツ木通用水引ふね(よつぎとおりようすいひきふね)、元の絵はこちらです。亀戸江戸時代には水戸方面に向かう近道として引き舟(小舟に旅客を載せて、岸に居る人足が舟に繋いだ綱を曳いて進む)が通った水路がここ...
歌川広重の「名所江戸百景」の百十一景は 千束の池袈裟懸松、元の絵はこちらです。「洗足池」と字が変わっていますが今も池は健在で、千束の字の方もこのあたりの住所表記(南千束)にちゃんと残っています。なんと「袈裟懸けの松」も現地の日蓮宗妙福寺の境...
歌川広重「名所江戸百景」の百六景は 御厩河岸、元の絵はこちらです。渡し船の上に牛太郎を連れた夜鷹が2人、というなんとも妖しい絵ですが、現在の厩橋当たりの景色はいたって健康的で、昼間だとこんな感じになります。元の絵に少し寄せて無理やり夕景っぽ...
歌川広重の「名所江戸百景」の百四景は 千住の大はし、元の絵はこちらです。広重画伯が多用する鳥瞰の視点の絵で、これを真似るのは毎回苦労します。というかほぼ真似できないので、今回も鳥ならぬ身の地べた視点の写真でごめんなさい。隅田川にかかる千住大...
歌川広重「名所江戸百景」の百一景は よし原日本堤、元の絵はこちらです。浅草聖天から吉原大門を経て三ノ輪までの一本道は土手通り。現在のこの名が示す通り、ここはもともと川が流れていてその土手(堤防)が日本堤と呼ばれていたのだそうです。ところが、...
歌川広重「名所江戸百景」の百十景は 南品川鮫洲海岸、元の絵はこちらです。「冬の部」の絵は多くが雪景色で撮りにくいので、そうではないものを求めて、前回の芝浦、今回の鮫洲と湾岸を彷徨うことになりました。さて、往時に海苔の養殖がさかんだった鮫洲海...
歌川広重「名所江戸百景」の百九景は 芝うらの景色、元の絵はこちらです。安政年間の震災で壊れた将軍の浜御殿(今の浜離宮)の修復を祝して描かれたのだそうです。2024年年末現在では浜離宮から芝浦方面は見通せないので、ロケ地を少し変えて竹芝桟橋あ...
歌川広重「名所江戸百景」の八十八景は 井の頭の池弁天の社、元の絵はこちらです。 ただでさえ間に数百年の断絶を挟んで文字通り「隔世の感」が強いのに、名所江戸百景「秋の部」に入るあたりから、広重画伯の構図への凝り方が尋常ではなくなってきて、青息
歌川広重「名所江戸百景」の五十三景は 大はりあたけの夕立、元の絵はこちらです。 いよいよ出るものが出ました。名所江戸百景の中でも随一の傑作との誉れ高い名作。ゴッホが模写したことでも知られるこの絵、この景色。現代の景色として再現することはもち
歌川広重「名所江戸百景」の五十六景は 駒形堂吾妻橋、元の絵はこちらです。 この絵は摺のバージョンによってかなり違うみたいで、↑の絵だとすっかり夜の景色みたいですが、別の摺だと水平線はかなり明るくて早朝に見えるものもあります。鳥が飛んでるのだ
歌川広重「名所江戸百景」の五十四景は 浅草川大川端宮戸川、元の絵はこちらです。 絵の題名の3つの川の名はいずれも隅田川の別称。江戸時代は両国あたりから下流を大川と呼び、浅草近辺では浅草川、宮戸川という言い方もしたようです。川を渡る国道14号
歌川広重「名所江戸百景」の五十一景は 佃しま住吉の祭り、元の絵はこちらです。 佃まつりを題材にした写真は夏らしくて気が利いてるじゃないか、是非行こう! という志は悪くなかったと思うのです。しかし残暑の厳しさは私の志の強さを遥かに上回っていて
歌川広重「名所江戸百景」の五十景は 増上寺塔赤羽根、元の絵はこちらです。 夏の暑さが一瞬和らいだ(ような気がした)ので意を決してLumix S5を携えて撮り歩きに出かけたのですが、和らいだはずの暑さに裏切られ、そこにあるはずの景色が無いのに
夏の暑さが本格化してから1ヶ月以上は実質休業してしまっていますが、気候が落ち着いたら「名所江戸百景」写真散歩を再開しようと考えています。 そのための景気づけと勉強を兼ねて、ここはひとつ百景の「原本」を拝見しておこうじゃないかということで、折
歌川広重「名所江戸百景」の四十六景は 昌平橋聖堂神田川、元の絵はこちらです。 出ました、広重画伯の「雨」です。百景の夏の部にはこうした画伯の技法が冴えわたる雨の景色が頻出します。わたしにとっては雨天の風景写真はなかなか難関で四十六景も悩みど
歌川広重「名所江戸百景」の写真散歩、番外編の埋め草記事です。 六十三景「八つ見のはし」は、現在の東京駅日本橋口近くに現存する一石橋からの眺めを描いたこちらの絵です。 絵の中央でタテ方向に伸びている運河は現存せず、埋め立てられて永代通りとなっ
歌川広重「名所江戸百景」の四十五景は 鎧のわたし小網町、元の絵はこちらです。 江戸橋の南西側、現在は鎧橋が架かっていますが、それ以前はここには渡し舟が行き交う場所でした。対岸(箱崎・人形町側)には隅田川や運河の水運を使う商人の蔵がずらりと並
歌川広重「名所江戸百景」の四十四景は 日本橋通り一丁目略図、元の絵はこちらです。 場所は日本橋だということですが、"白木屋"の暖簾があることで今の永代通りと中央通りの交差点だとわかります。白木屋百貨店が後の東急百貨店日本
歌川広重「名所江戸百景」の四十三景は 日本橋江戸はし、元の絵はこちらです。 橋を漢字で書くかひらがなで書くか、百景の中で一貫せずタイトルごとに異なっていて厄介だなと思っていたら、ここでは「日本橋江戸はし」とひとつのタイトルの中で併用されてい
歌川広重「名所江戸百景」の三十二景は 柳しま。元の絵はこちらです。 北十間川と横十間川(いずれも江戸時代に防火と水運のために開かれた運河)の合流地点にかかる橋が柳島橋、という情報を得ることができたので、場所の特定が簡単で助かりました。とりあ
歌川広重「名所江戸百景」の第三十一景は、吾嬬の森連理の梓(あじゅのもりれんりのあずさ)。元の絵はこちらです。 現地は今の墨田区立花あたりです。難しいタイトルの意味ですが、連理は同じ根から2本の木が伸びたり、2本の木の枝がつながってしまったり
歌川広重「名所江戸百景」の二十景は、川口のわたし善光寺。元の絵はこちらです。 今の東京都北区・足立区と埼玉県川口市の3自治体が荒川と新芝川を挟んで境界を接するあたり、広重の時代には橋がかかっていなくて船で渡っていたようですね。「名所江戸百景
歌川広重の「名所江戸百景」の二十一景は芝愛宕山、元の絵はこちらです。 港区の真ん中に愛宕山は現存するし、てっぺんの愛宕神社も健在だからこれはなんとか似た雰囲気の写真撮れるかなと思ったのですが、意外な展開でこんな絵面になりました。 そう、百年
歌川広重の「名所江戸百景」の十六景、千駄木団子坂花屋敷。元の絵はこちらです。 これはもう先に言い訳しておくとですね、現代の東京に幸い千駄木という街も団子坂も現存しますが、肝心の花屋敷は影も形もありません。広重の絵が団子坂のどのあたりからどち
歌川広重の「名所江戸百景」の十九景、王子音無川堰埭世俗大滝ト唱。元の絵はこちらです。 版画のタイトルがむつかしいですが、まず音無川は今も東京都北区・王子あたりを流れる石神井川の別称。堰埭は当地に灌漑目的で作られた大きな石堰のことで、この堰の
歌川広重の「名所江戸百景」の十七景は、飛鳥山北の眺望。元の絵はこちらです。 北区・にある飛鳥山公園は現代も桜の名所として有名ですから、撮影場所の特定までは簡単でした。で、JR王寺駅のすぐ脇にある飛鳥山の上に登って、公園の北端から東北方向を眺
歌川広重の「名所江戸百景」の十一景は、上野清水堂不忍池です。元の絵はこちら。 この絵のポイントは、まず清水堂、次に満開の桜、変な形の松の木、そして松の向こうに広がる不忍池、の4つでしょう。この「百景散歩」では、なかなか往時の景色の風物が現代
歌川広重の「名所江戸百景」の二十八景は、品川御殿やま。元の絵はこちらです。 いきなり二十八と項番が飛びました。百景の春の部(一景から四十二景)では花の名所がたくさん題材になっていて、ことに桜の花を抜きにして撮るのがどうにも忍びない風景が少な
歌川広重 名所江戸百景の十五景は日暮里(ひぐらしのさと)諏訪の台、元の絵はこちらです。 前回の十四景につづいて日暮しの里こと旧道灌山からの眺めです。今の西日暮里駅のすぐ近く、おそらく十四景・十五景の現地の距離は昔も今も、歩いて2分足らずの距
歌川広重 名所江戸百景の十四景 日暮里(ひぐらしのさと)寺院の林泉、元の絵はこちらです。 道灌山の上からの景色が素晴らしくて、眺めていると日の暮れるのを忘れて見入ってしまうほどだということで、このあたりは日暮しの里と呼ばれたのだそうです。そ
歌川広重 名所江戸百景の十三景は下谷広小路、元の絵はこちらです。 こういう絵だと判りやすくて助かります。広小路に面して大店を構えているのは名古屋の呉服商松坂屋ですね。つまり今の上野広小路・松坂屋デパートを右手に見て上野山方向を望んで撮れば良
歌川広重 名所江戸百景の十二景は上野山した、元の絵はこちらです。 今でいえばJR上野駅不忍口のあたり、広小路から上野の山につきあたって登り口方向を眺めた絵のようです。"山下"はこのへん一帯に設けられていた火除け地の呼び名
歌川広重 名所江戸百景の十景は神田明神曙之景、元の絵はこちらです。 神田明神は今も昔も同じ場所におわします。実にわかりやすくてよろしい。 元の絵に忠実に撮るなら曙之景なので明け方に訪ねなければならぬところですが、そこはまあ現代の怠惰な写真愛
歌川広重 名所江戸百景の九景は筋違内八ツ小路です。元の絵はこちら。 中仙道から外濠を渡って江戸市街に入る場所に設けられた城門と橋がそれぞれ筋違見附、筋違橋(すじかいばし)でした。江戸城内から上野方面に行く道と中山道方面の道が橋の北側で交差す
歌川広重 名所江戸百景の七景は大てんま町木綿店。元の絵はこちらです。 現在の中央区日本橋大伝馬町1丁目のあたりに木綿店(もめんだな)が軒を連ねていた時代があったそうです。広重の版画では整然とお店が並ぶ中を綺麗な女性たちが歩く華やかな絵柄にな
歌川広重 名所江戸百景の三十景は亀戸梅屋舗。元の絵はこちらです。 浮世絵は版画なので、刷によってはもう少し明るい色味のものもあるようです。この絵はゴッホが衝撃を受けて油絵で模写したことで知られています。アムステルダムのファン・ゴッホ美術館に
歌川広重 名所江戸百景の二十二景は「広尾ふる川」です。元の絵はこちら。 近くを通りかかる用事があったので、いきなり項番が飛んで二十二景ですが、まあご容赦いただきたく。 それにしても、江戸とはいっても街中でなく郊外に来るとさすがは「名所百景」
歌川広重作 名所江戸百景の六景は「馬喰町初音の馬場」です。 この場所に出掛けて行って往時と見比べる写真を撮るというのがわたしの撮り歩きの趣旨ですが、もうね今回は最初からバンザイ、お手上げです。馬場も、作中に描かれた火の見櫓ももちろん現存せず
歌川広重作、名所江戸百景の五景は「両ごく回向院元柳橋」です。 回向院は両国に現存する寺院で、江戸市中を襲った明歴の大火の後、四代将軍家綱公が亡くなった人を手厚く葬るように大法要を営んだ際に建てられたと伝わっています。広重の絵は勧進相撲の開催
軽い思いつきから、歌川広重名所江戸百景の今昔写真を撮り歩きはじめたばかりのわたしですが、なにせ相手は江戸時代ですから大変です。 いつも紹介しているわたしの虎の子の種本はこちらです。百景を網羅してくれていて、全作品について、どこそこで何を描い
歌川広重 名所江戸百景 四景永代橋佃しま 元の絵はこちらです。 昔の佃島と言えば、わたしは故古今亭志ん朝師匠が漁師の島・佃島の様子を活き活きと語る「佃祭」を思い出します。広重の絵でも船がたくさん係留されているところを見ると、やはり漁が盛んで
歌川広重 名所江戸百景の第三景、山下町日比谷外さくら田 元の絵はこちらです。 山下町は今の帝国ホテルが建っているあたりだそうで、現在の住所だと千代田区内幸町ということになりそうです。広重の時代には山下町(内幸町)まで江戸城の濠が巡らされてい
歌川広重の名所江戸百景 二景霞かせき はこちらの作品です。 昔は海岸線の位置が今よりもずっと手前だったというのは頭では理解できますが、それでも霞が関から海が見えるというのは簡単には受け入れがたい景色です。 広重の時代にはこのあたりは武家の御
歌川広重作 名所江戸百景のうち「第八景するがてふ」です。 本家本元の浮世絵はこちら。 現在は日本橋室町と呼ばれるこのあたり、広重の時代には美しい富士が望めることから駿河の国のようだということで駿河町と呼ばれたようです。第一景の日本橋を撮った
いきなりですが新春の東京・日本橋の風景です。 タイトルと違って「どこが雪晴やねん」と突っ込みたくなった皆さま、申し訳ありません。さしたる美観とも言えないこの景色に何の意味があるのか、と思われたでしょうか。 昨年末にふと、江戸時代の浮世絵師・