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井の頭公園を訪ねたついでに、隣接する井の頭自然文化園、通称井の頭動物園で遊んできました。 動物園で写真を撮るには望遠レンズが必需品なので、今回の井の頭遠征(笑)にはPENTAX K-3IIIとHD DA55-300mm PLMを持参しました
歌川広重「名所江戸百景」の八十八景は 井の頭の池弁天の社、元の絵はこちらです。 ただでさえ間に数百年の断絶を挟んで文字通り「隔世の感」が強いのに、名所江戸百景「秋の部」に入るあたりから、広重画伯の構図への凝り方が尋常ではなくなってきて、青息
歌川広重「名所江戸百景」の三十二景は 柳しま。元の絵はこちらです。 北十間川と横十間川(いずれも江戸時代に防火と水運のために開かれた運河)の合流地点にかかる橋が柳島橋、という情報を得ることができたので、場所の特定が簡単で助かりました。とりあ
歌川広重「名所江戸百景」の第三十一景は、吾嬬の森連理の梓(あじゅのもりれんりのあずさ)。元の絵はこちらです。 現地は今の墨田区立花あたりです。難しいタイトルの意味ですが、連理は同じ根から2本の木が伸びたり、2本の木の枝がつながってしまったり
歌川広重「名所江戸百景」の二十景は、川口のわたし善光寺。元の絵はこちらです。 今の東京都北区・足立区と埼玉県川口市の3自治体が荒川と新芝川を挟んで境界を接するあたり、広重の時代には橋がかかっていなくて船で渡っていたようですね。「名所江戸百景
歌川広重の「名所江戸百景」の二十一景は芝愛宕山、元の絵はこちらです。 港区の真ん中に愛宕山は現存するし、てっぺんの愛宕神社も健在だからこれはなんとか似た雰囲気の写真撮れるかなと思ったのですが、意外な展開でこんな絵面になりました。 そう、百年
歌川広重の「名所江戸百景」の十六景、千駄木団子坂花屋敷。元の絵はこちらです。 これはもう先に言い訳しておくとですね、現代の東京に幸い千駄木という街も団子坂も現存しますが、肝心の花屋敷は影も形もありません。広重の絵が団子坂のどのあたりからどち
歌川広重の「名所江戸百景」の十九景、王子音無川堰埭世俗大滝ト唱。元の絵はこちらです。 版画のタイトルがむつかしいですが、まず音無川は今も東京都北区・王子あたりを流れる石神井川の別称。堰埭は当地に灌漑目的で作られた大きな石堰のことで、この堰の
歌川広重の「名所江戸百景」の十七景は、飛鳥山北の眺望。元の絵はこちらです。 北区・にある飛鳥山公園は現代も桜の名所として有名ですから、撮影場所の特定までは簡単でした。で、JR王寺駅のすぐ脇にある飛鳥山の上に登って、公園の北端から東北方向を眺
歌川広重の「名所江戸百景」の十一景は、上野清水堂不忍池です。元の絵はこちら。 この絵のポイントは、まず清水堂、次に満開の桜、変な形の松の木、そして松の向こうに広がる不忍池、の4つでしょう。この「百景散歩」では、なかなか往時の景色の風物が現代
ゴールデンウィークの最中に季節感無視の記事で恐縮です。掲載順の関係で、前回記事で御殿山あたりを歩いてやっと今年の桜の写真をアップできるターンになりました。 品川・御殿山ヒルズの2つの高層タワーの足元にこじんまりとした庭園が設けられています。
歌川広重の「名所江戸百景」の二十八景は、品川御殿やま。元の絵はこちらです。 いきなり二十八と項番が飛びました。百景の春の部(一景から四十二景)では花の名所がたくさん題材になっていて、ことに桜の花を抜きにして撮るのがどうにも忍びない風景が少な
歌川広重 名所江戸百景の十五景は日暮里(ひぐらしのさと)諏訪の台、元の絵はこちらです。 前回の十四景につづいて日暮しの里こと旧道灌山からの眺めです。今の西日暮里駅のすぐ近く、おそらく十四景・十五景の現地の距離は昔も今も、歩いて2分足らずの距
歌川広重 名所江戸百景の十四景 日暮里(ひぐらしのさと)寺院の林泉、元の絵はこちらです。 道灌山の上からの景色が素晴らしくて、眺めていると日の暮れるのを忘れて見入ってしまうほどだということで、このあたりは日暮しの里と呼ばれたのだそうです。そ
歌川広重 名所江戸百景の十三景は下谷広小路、元の絵はこちらです。 こういう絵だと判りやすくて助かります。広小路に面して大店を構えているのは名古屋の呉服商松坂屋ですね。つまり今の上野広小路・松坂屋デパートを右手に見て上野山方向を望んで撮れば良
歌川広重 名所江戸百景の十二景は上野山した、元の絵はこちらです。 今でいえばJR上野駅不忍口のあたり、広小路から上野の山につきあたって登り口方向を眺めた絵のようです。"山下"はこのへん一帯に設けられていた火除け地の呼び名
歌川広重 名所江戸百景の十景は神田明神曙之景、元の絵はこちらです。 神田明神は今も昔も同じ場所におわします。実にわかりやすくてよろしい。 元の絵に忠実に撮るなら曙之景なので明け方に訪ねなければならぬところですが、そこはまあ現代の怠惰な写真愛
歌川広重 名所江戸百景の九景は筋違内八ツ小路です。元の絵はこちら。 中仙道から外濠を渡って江戸市街に入る場所に設けられた城門と橋がそれぞれ筋違見附、筋違橋(すじかいばし)でした。江戸城内から上野方面に行く道と中山道方面の道が橋の北側で交差す
歌川広重 名所江戸百景の七景は大てんま町木綿店。元の絵はこちらです。 現在の中央区日本橋大伝馬町1丁目のあたりに木綿店(もめんだな)が軒を連ねていた時代があったそうです。広重の版画では整然とお店が並ぶ中を綺麗な女性たちが歩く華やかな絵柄にな
歌川広重 名所江戸百景の三十景は亀戸梅屋舗。元の絵はこちらです。 浮世絵は版画なので、刷によってはもう少し明るい色味のものもあるようです。この絵はゴッホが衝撃を受けて油絵で模写したことで知られています。アムステルダムのファン・ゴッホ美術館に
歌川広重 名所江戸百景の二十二景は「広尾ふる川」です。元の絵はこちら。 近くを通りかかる用事があったので、いきなり項番が飛んで二十二景ですが、まあご容赦いただきたく。 それにしても、江戸とはいっても街中でなく郊外に来るとさすがは「名所百景」
歌川広重作 名所江戸百景の六景は「馬喰町初音の馬場」です。 この場所に出掛けて行って往時と見比べる写真を撮るというのがわたしの撮り歩きの趣旨ですが、もうね今回は最初からバンザイ、お手上げです。馬場も、作中に描かれた火の見櫓ももちろん現存せず
歌川広重作、名所江戸百景の五景は「両ごく回向院元柳橋」です。 回向院は両国に現存する寺院で、江戸市中を襲った明歴の大火の後、四代将軍家綱公が亡くなった人を手厚く葬るように大法要を営んだ際に建てられたと伝わっています。広重の絵は勧進相撲の開催
歌川広重 名所江戸百景 四景永代橋佃しま 元の絵はこちらです。 昔の佃島と言えば、わたしは故古今亭志ん朝師匠が漁師の島・佃島の様子を活き活きと語る「佃祭」を思い出します。広重の絵でも船がたくさん係留されているところを見ると、やはり漁が盛んで
歌川広重 名所江戸百景の第三景、山下町日比谷外さくら田 元の絵はこちらです。 山下町は今の帝国ホテルが建っているあたりだそうで、現在の住所だと千代田区内幸町ということになりそうです。広重の時代には山下町(内幸町)まで江戸城の濠が巡らされてい
歌川広重の名所江戸百景 二景霞かせき はこちらの作品です。 昔は海岸線の位置が今よりもずっと手前だったというのは頭では理解できますが、それでも霞が関から海が見えるというのは簡単には受け入れがたい景色です。 広重の時代にはこのあたりは武家の御
歌川広重作 名所江戸百景のうち「第八景するがてふ」です。 本家本元の浮世絵はこちら。 現在は日本橋室町と呼ばれるこのあたり、広重の時代には美しい富士が望めることから駿河の国のようだということで駿河町と呼ばれたようです。第一景の日本橋を撮った
いきなりですが新春の東京・日本橋の風景です。 タイトルと違って「どこが雪晴やねん」と突っ込みたくなった皆さま、申し訳ありません。さしたる美観とも言えないこの景色に何の意味があるのか、と思われたでしょうか。 昨年末にふと、江戸時代の浮世絵師・
花の色どりの少ないこの季節にいつもいち早く愛らしい黄色い花と芳香を運んできてくれる蝋梅(ロウバイ)。まだちょっと早いかなと思いつつ、品川区の某公園に様子を見に行ったところ、蕾がめいっぱいに膨らんで咲き始めているではありませんか。 嬉しいので
前回、神楽坂の路地裏写真ばかり撮って回ってふと思いつきました。この静かな感じの風景は、少し前に上野公園でやったようにPENTAXのカスタムイメージ"里び(さとび)"を使ったら面白いかも、と。 カスタムイメージって、こうい
小石川後楽園を訪れたついでに、神楽坂界隈を散歩してきました。 このあたりには味わいのある路地裏風景が多くて、プロアマ問わずいろんな人がしばしば題材にされています。わたしも底辺アマチュアとしてトライしてみようかと。 前回のつづきなのでカメラは
ちょっとタイミングを逸した感がありますが、小石川後楽園でモミジ撮りしてきましたと言う記事です。 肩を痛めて以来、PENTAX K-3IIIの出番が少しずつ減りつつあります。重たい一眼レフを持ち出すのが億劫というか落としたりしないかと怖くなっ
タイトルからして、なんとなく古民家風の建物の中で江戸から明治あたりの生活風俗を再現する展示があって・・・みたいな雰囲気を想像される人が多いのではないかと思うのですが、東京都港区は予想の斜め上を往ってくれました。 白金台駅近くにある港区郷土歴
コンディション不良でしばらくダウンしておりましたが、心身そこそこの状態に復活しつつあります。とはいえ、ブログのネタにする撮り歩きのストックを使い果たしてしまったので、ぼちぼち、おそるおそるの連載再開であります。 今回は港区・白金あたりに用事
旧白洲次郎邸・武相荘を訪ねた話のつづきです。 現在ミュージアムとして公開されている母屋の入口から、表門の方向を振り返るとこんな眺めです。 秋空を背景に木々が色づき始めている初秋の景色が、なんとも美しいですねえ。 上の写真で左手前のResta
白洲次郎という人は、日本近現代史好きの人の間で仮に「昭和の偉人十傑を選ぶ」なんていう遊びをしたら確実に有力候補になるに違いない傑物だと思いますが、一般的な知名度はそれほど高くないように思います。日本史の教科書にも登場していないのではないかし
照ケ崎海岸のアオバトはなかなかの見ものでしたが、せっかく大磯まで足を伸ばしたのでこれだけで帰るのはアレかなと思い、付近を少し散歩しました。天気が良ければ富士が望める海岸なのですが、この日はこんな曇り空でした。まあ、そのおかげで海岸で焼死する
全国でも珍しい「海水を飲むハト」の生息地が湘南の大磯にあって、わりと近くまで寄って観察したり撮ったりできる、という話を聞きつけました。ふだん動きもの、ましてや生き物をほとんど撮らないわたしとしては無謀かなとも思ったのですが、ダメ元で行ってみ
只見線撮影行の第3日です。前日は始発列車が第一橋梁を渡るところを川岸の通称「船着き場ポイント」から狙いましたが、川霧に阻まれて水墨画もどきの写真しか撮れませんでした。この日は朝から既に薄日が差しているので、視界と光量については悪くないコンデ
前回、「只見線を3日だけ撮る男」第2日が、真奈川橋梁での撮影でようやく正午を回ったところまできました。昼時だし、次の列車の運行まで1時間以上あるし、というわけで昼食休憩を兼ねて只見駅に向かいました。せっかくここまで来て只見線の只見駅を見てお
前回記事のラストでは、本名駅で列車の発着風景を撮った後、30分以内に第四只見川橋梁(会津水沼-会津中川間)撮りでスタンバイできるか?間に合うか?というところでした。結構厳しいかなと思ったのですが、あくまで安全運転の範囲で移動して、なんとか間
第2日の朝、早起きして空を眺めるとまだ雲が晴れておらず見通しが利きにくい状況でした。あらら。これでは始発列車が第一只見川橋梁(会津桧原ー会津西方間)を通過する時刻には有名な山の上の「第一橋梁ビューポイント」は雲の中だろうと見限って、対岸の「
旅鉄ライト層を自称する通り、若干ですが血中「鉄」濃度が高めなわたしです。5月中旬に休暇をとって、只見線を撮りに行ってきました。昨年秋に再開通した頃に行って以来、二度目の撮影行です。前回と同じく休暇は3日間なので「只見線を3日だけ撮る男」アゲ
目下のところ、あしかがフラワーパークは春の「大藤まつり」と冬の「花の光の庭イルミネーション」が2大看板のようです。わたしもご多分に漏れず藤の花に釣られて出向いたわけで、永世ビギナーとしてのその成果?が前回までのお目汚しとなった藤花写真でござ
というわけで、あしかがフラワーパーク夜の部の巻です。ゴールデンウィークのピークを外して来場したつもりで居ましたが、しかしお客さん多いですね。老若男女が国内外から押し寄せてきてます。花の園なのでやはり比率としては女性客の方が多いかな。もちろん
以前から一度行ってみたいと思っていたあしかがフラワーパークに行ってきました。ゴールデンウィークに花の盛りになって客足が本格化する前に訪ねておこうと、少し早く4月下旬に行ってきたのですが、入場客の方は既に十分以上に本格化していて、なかなか大変
PENTAX K-3III monochrome 発売に寄せて
発売されましたね。PENTAX K-3III monochrome愛好家の間ではけっこうな話題を集めているようなので、PENTAX使いとして少しは言及しておきたいと思って、以下駄文を連ねます。改めて言うのもなんですが、例のPENTAXの”ス
東京では今年はソメイヨシノの盛りが雨にたたられました。多くの写真愛好家のみなさまにとって、気持ちよく春の桜を撮り歩くことはなかなか難しかったのではないでしょうか。少なくともわたしはそうでした。とはいうものの、曇天の下で七分咲きの花を撮ったわ
たいていのPENTAX愛好家にとってはとっくに通過済みのネタで、新鮮味もなにも無いのですが、こういうのは参加することに意義があるのでわたしも一応試してみました。今シーズン新搭載のカスタムイメージ「春紅(Harubeni)」東京都内で桜がまだ
東京ではソメイヨシノは既に潔く散った後でしょうか。世の中の写真ブログはサクラの写真が席巻している頃かと思いますが、当ブログ世界は時の歩みが遅いのでまだサクラは咲いておりません。そしてサクラの前に楽しめるこの花を忘れるわけにはいけません。ウメ