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歌川広重「名所江戸百景」の四十五景は 鎧のわたし小網町、元の絵はこちらです。 江戸橋の南西側、現在は鎧橋が架かっていますが、それ以前はここには渡し舟が行き交う場所でした。対岸(箱崎・人形町側)には隅田川や運河の水運を使う商人の蔵がずらりと並
歌川広重「名所江戸百景」の三十二景は 柳しま。元の絵はこちらです。 北十間川と横十間川(いずれも江戸時代に防火と水運のために開かれた運河)の合流地点にかかる橋が柳島橋、という情報を得ることができたので、場所の特定が簡単で助かりました。とりあ
歌川広重「名所江戸百景」の第三十一景は、吾嬬の森連理の梓(あじゅのもりれんりのあずさ)。元の絵はこちらです。 現地は今の墨田区立花あたりです。難しいタイトルの意味ですが、連理は同じ根から2本の木が伸びたり、2本の木の枝がつながってしまったり
歌川広重「名所江戸百景」の二十景は、川口のわたし善光寺。元の絵はこちらです。 今の東京都北区・足立区と埼玉県川口市の3自治体が荒川と新芝川を挟んで境界を接するあたり、広重の時代には橋がかかっていなくて船で渡っていたようですね。「名所江戸百景
歌川広重の「名所江戸百景」の二十一景は芝愛宕山、元の絵はこちらです。 港区の真ん中に愛宕山は現存するし、てっぺんの愛宕神社も健在だからこれはなんとか似た雰囲気の写真撮れるかなと思ったのですが、意外な展開でこんな絵面になりました。 そう、百年
歌川広重の「名所江戸百景」の十六景、千駄木団子坂花屋敷。元の絵はこちらです。 これはもう先に言い訳しておくとですね、現代の東京に幸い千駄木という街も団子坂も現存しますが、肝心の花屋敷は影も形もありません。広重の絵が団子坂のどのあたりからどち
歌川広重 名所江戸百景の十五景は日暮里(ひぐらしのさと)諏訪の台、元の絵はこちらです。 前回の十四景につづいて日暮しの里こと旧道灌山からの眺めです。今の西日暮里駅のすぐ近く、おそらく十四景・十五景の現地の距離は昔も今も、歩いて2分足らずの距
歌川広重 名所江戸百景の十四景 日暮里(ひぐらしのさと)寺院の林泉、元の絵はこちらです。 道灌山の上からの景色が素晴らしくて、眺めていると日の暮れるのを忘れて見入ってしまうほどだということで、このあたりは日暮しの里と呼ばれたのだそうです。そ
歌川広重 名所江戸百景の十三景は下谷広小路、元の絵はこちらです。 こういう絵だと判りやすくて助かります。広小路に面して大店を構えているのは名古屋の呉服商松坂屋ですね。つまり今の上野広小路・松坂屋デパートを右手に見て上野山方向を望んで撮れば良
歌川広重 名所江戸百景の十二景は上野山した、元の絵はこちらです。 今でいえばJR上野駅不忍口のあたり、広小路から上野の山につきあたって登り口方向を眺めた絵のようです。"山下"はこのへん一帯に設けられていた火除け地の呼び名
歌川広重 名所江戸百景の十景は神田明神曙之景、元の絵はこちらです。 神田明神は今も昔も同じ場所におわします。実にわかりやすくてよろしい。 元の絵に忠実に撮るなら曙之景なので明け方に訪ねなければならぬところですが、そこはまあ現代の怠惰な写真愛
歌川広重 名所江戸百景の九景は筋違内八ツ小路です。元の絵はこちら。 中仙道から外濠を渡って江戸市街に入る場所に設けられた城門と橋がそれぞれ筋違見附、筋違橋(すじかいばし)でした。江戸城内から上野方面に行く道と中山道方面の道が橋の北側で交差す
歌川広重 名所江戸百景の七景は大てんま町木綿店。元の絵はこちらです。 現在の中央区日本橋大伝馬町1丁目のあたりに木綿店(もめんだな)が軒を連ねていた時代があったそうです。広重の版画では整然とお店が並ぶ中を綺麗な女性たちが歩く華やかな絵柄にな
歌川広重 名所江戸百景の三十景は亀戸梅屋舗。元の絵はこちらです。 浮世絵は版画なので、刷によってはもう少し明るい色味のものもあるようです。この絵はゴッホが衝撃を受けて油絵で模写したことで知られています。アムステルダムのファン・ゴッホ美術館に
歌川広重 名所江戸百景の二十二景は「広尾ふる川」です。元の絵はこちら。 近くを通りかかる用事があったので、いきなり項番が飛んで二十二景ですが、まあご容赦いただきたく。 それにしても、江戸とはいっても街中でなく郊外に来るとさすがは「名所百景」
歌川広重作 名所江戸百景の六景は「馬喰町初音の馬場」です。 この場所に出掛けて行って往時と見比べる写真を撮るというのがわたしの撮り歩きの趣旨ですが、もうね今回は最初からバンザイ、お手上げです。馬場も、作中に描かれた火の見櫓ももちろん現存せず
歌川広重作、名所江戸百景の五景は「両ごく回向院元柳橋」です。 回向院は両国に現存する寺院で、江戸市中を襲った明歴の大火の後、四代将軍家綱公が亡くなった人を手厚く葬るように大法要を営んだ際に建てられたと伝わっています。広重の絵は勧進相撲の開催
タイトルからして、なんとなく古民家風の建物の中で江戸から明治あたりの生活風俗を再現する展示があって・・・みたいな雰囲気を想像される人が多いのではないかと思うのですが、東京都港区は予想の斜め上を往ってくれました。 白金台駅近くにある港区郷土歴
コンディション不良でしばらくダウンしておりましたが、心身そこそこの状態に復活しつつあります。とはいえ、ブログのネタにする撮り歩きのストックを使い果たしてしまったので、ぼちぼち、おそるおそるの連載再開であります。 今回は港区・白金あたりに用事
旧白洲次郎邸・武相荘を訪ねた話のつづきです。 現在ミュージアムとして公開されている母屋の入口から、表門の方向を振り返るとこんな眺めです。 秋空を背景に木々が色づき始めている初秋の景色が、なんとも美しいですねえ。 上の写真で左手前のResta
白洲次郎という人は、日本近現代史好きの人の間で仮に「昭和の偉人十傑を選ぶ」なんていう遊びをしたら確実に有力候補になるに違いない傑物だと思いますが、一般的な知名度はそれほど高くないように思います。日本史の教科書にも登場していないのではないかし
照ケ崎海岸のアオバトはなかなかの見ものでしたが、せっかく大磯まで足を伸ばしたのでこれだけで帰るのはアレかなと思い、付近を少し散歩しました。天気が良ければ富士が望める海岸なのですが、この日はこんな曇り空でした。まあ、そのおかげで海岸で焼死する
前回まで、リアル雑司ヶ谷があの問題作とは全然違って静かで平和な街であることを確認した上で、さらに写真散歩を進めます。都電の線路沿いにこじんまりと佇む大鳥神社。阿形の狛犬越しで。SIGMA17-70はコントラストの強いシーンでは露出に気を付け
旧宣教師館が休館日で出鼻をくじかれたわたしの雑司ヶ谷散歩です。時間の頃合いがちょうど良かったので、どこかでいったんお昼にして一服してから態勢を立て直すことにしましょう。google mapで見てこのあたりで食事処がありそうな弦巻通りの方に歩
知ってるようで知らない、これまであまり歩いたことのない東京の街を訪ねるということに興味が湧いて、地図を眺めては何処へ行こうかあれこれ考える日々なわけです。今回は、豊島区の雑司ヶ谷あたりを歩いてみることにしました。雑司ヶ谷といえば夏目漱石「こ
江ノ電に乗って年末のひとり遠足。江ノ島を後に極楽寺にやってきました。鎌倉の極楽寺は、いろいろなコミック・ドラマ作品の舞台となってきたことで知られていますね。わたしにとっては、比較的新しいもので「海街diary(吉田秋生 2006-2018)
というわけで江ノ電に乗ってひとり遠足は続きます。鎌倉高校前駅から次の腰越駅まで、わずかひと駅の乗車ですが珍しいものを見ることができました。いまどき板張りの床の車両ですよ。地元の乗客の方々は慣れっこなのか関心のない様子でしたが、わたしは大興奮
あけましておめでとうございます。まずは新年のご挨拶らしい写真を。本年も何卒よろしくお願いいたします。稲村ケ崎から富士と江ノ島を望むの図。というのも、12月初めに江ノ島に出掛けた時には、天候に恵まれなかったり撮影データを失くしたりと散々な目に
最近ずっと只見の話ばかりしていましたが、他に何もしていなかったわけではないのです。といって大した撮り歩きもしていないので今回はほんの埋め草程度の記事。10月のある日わりと良い晴れ具合だなと思い、夕方に少し暇ができたので、えいやっと谷中まで出