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文学のお散歩 https://masapn2.hatenablog.jp/

東京近郊、近代文学を中心に作家、作品ゆかりの地をご紹介します。

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2022/08/23

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  • 慈眼寺~芥川龍之介の墓

    JR山手線の巣鴨~駒込間にある「染井霊園」の先に、「慈眼寺」という日蓮宗のお寺があります。どちらかというと、おばあちゃんの原宿でお馴染みの巣鴨から行った方が近いのですが、あえて駒込で下車。というのも、慈眼寺には芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)のお墓があり、田端に住んでいた芥川家の人々は、隣の駒込からお墓参りに向かっていたからです。 芥川龍之介の妻文(明治33.7.8~昭和43.9.11)は、『追想芥川龍之介』(1975.2.15 筑摩書房)で、 「慈眼寺は染井の墓地の中を通り抜けた所にあります。染井の墓地も駒込から八丁といわれて歩くとかなりの距離ですが、その街を貫く一本…

  • 幻の門~慶応義塾その6

    「幻の門ここすぎて叡智の丘に我等立つ」(堀口大學作詞・山田耕筰作曲『幻の門』)と歌われたのは、慶応義塾大学三田キャンパス東館奥にあるこの門。 旧島原藩中屋敷跡地に建つ慶応義塾大学三田キャンパスは、大正2年に中屋敷時代からあった木造の門を改造して、左右に花崗岩の門柱を4本据え、鉄の門扉を付けてこの門を正門としていました。 昭和34年の南校舎竣工と同時に南門ができると、正門の名を南に譲り、この門は東門として使われていくことに。 「幻の門」といわれるようになったいわれは、「門標が掲げられていなかったから」などといわれることもあるようですが、やはり冒頭にあげた応援歌の『幻の門』によるというのが一般的な…

  • 「芥川龍之介と美の世界 二人の先達ー夏目漱石、菅虎雄」展~於:神奈川県立近代美術館は山

    只今、神奈川県立近代美術館葉山館では、「芥川龍之介と美の世界 二人の先達ー夏目漱石、菅虎雄」展が開催されています。 美術に関心の深かった芥川龍之介。その師夏目漱石と菅虎雄にまつわる展覧会です。 それぞれの師との交流を軸に、芥川の美への眼差しと、作品世界に投影された美術作品に注目していきます。 芥川の師であり、漱石の友人である菅の筆による、二人の書斎に掲げられたそれぞれの扁額「我鬼窟」と「我猫庵」など、見どころたくさん!書簡や自筆原稿、初版本、絵画作品も豊富に展示されています。 館内にいる5匹の河童をみつけると「芥川河童ステッカー」が貰える、「河童三昧」というチャーミングなイベントも開催中です。…

  • 『走れメロス』パン

    近所のショッピングモールで行われていた「ご当地パンフェスタ」で見つけた、その名も『走れメロス』パン! 太宰治(明治42.6.19~昭和23.6.13 小説家)の故郷青森の工藤パンが作っているご当地パンです。 太宰もびっくりしそうな、18.5×13㎝というビッグなサイズは、単行本の形を模して作られているのだそうです。 でっかい板状のパン! この大きさで260円。お手頃価格ですね。 袋の脇が、本の背表紙のようにもなっています。 お味は「黒糖カステラ」。 間にチョコレートクリームがサンドされています。 なぜにメロスパンが、黒糖&チョコ味なのかは不明です。 ちょっとぱさっとした感じの軽いカステラ生地に…

  • 回向院~芥川龍之介生育の地その3

    両国にある回向院は、江戸時代に起きた明暦の大火(振袖火事)で亡くなった方々を、供養するために開かれた浄土宗のお寺です。 江戸市街の6割が焼失し、10万人もの命が失われた明暦の大火。亡くなった方々ほとんどの身元や身寄りがわからなくなってしまっていたので、当時の将軍徳川家綱(寛永18.8.3~延宝8.5.8 第4代将軍)が、隅田川の東岸に万人塚を設け、大法要を行わせたのがこのお寺のはじまり。「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説く」ことを理念とする当院には、明暦の大火をはじめ、安政の大地震、関東大震災、その他飢饉や水難事故等、さまざまな災害で亡くなった方々の…

  • 両国小学校と吉良邸跡~芥川龍之介生育の地その2

    両国4丁目にある墨田区立両国小学校は、もとは両国回向院の民屋を借り受けて開校された学校で、かつては江東尋常小学校と呼ばれていました。近くに養家のあった芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)の母校としても知られている学校です。 小学校の一角には卒業生芥川を記念して、芥川の年少文学の名作「杜子春」(大正9.7.1 『赤い鳥』)の文学碑が設置されています。 小学校時代の芥川は、非常に読書欲が旺盛で、「小説を書き出したのは友人の煽動に負ふ所が多い」(大正8.1.1『新潮』)によると、 小学校に通つてゐる頃、私の近所にあつた貸本屋の高い棚に、講釈の本などが、沢山並んでゐた。それを私は何…

  • 芥川龍之介生育の地

    JR総武線両国駅東口を出て、横綱横丁を抜けると「芥川龍之介生育の地」があります。 左側に、 この案内板。 芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)は、生後約7カ月で母ふく(万延元.9.8(陰暦)~明治35.11.28)発狂のため、ここ両国の地にあった、ふくの実家である芥川家に引き取られ、養育されるようになりました。 龍之介が引き取られた芥川家には、ふくの兄芥川道章(嘉永2.1.6(陰暦)~3.6.27)とその妻とも(安政4.4.11(陰暦)~昭和12.5.14)、道章の妹でふくの姉のふき(安政3.8.29~昭和13.8.4)が住んでおり、龍之介は3人の伯父伯母によって育てられて…

  • 手付け最中 学問のすゝめ

    三田のお土産として人気の「学問のすゝめ最中」。 販売しているのは、慶応義塾大学東館(東門)隣の「文銭堂本舗」です。 本の形を模した箱の中には、 手付け最中が入っています。 手付けなので皮はパリッと香ばしく、甘さ控えめの餡子は、ちょっと欲張って詰めちゃっても重くならず、とっても美味しい最中です。 詰める作業も楽しい最中。 文銭堂、目印は諭吉のお顔です。 三田にお越しの際は、ぜひどうぞ。 オンラインショップはこちら↓ bunsendohompo.raku-uru.jp 文銭堂本舗 三田店 東京都港区三田2-13-9 ☎0334516604 https://bunsendohompo.com 営業時…

  • 三田演説館~慶応義塾その5

    慶応義塾大学三田キャンパスの南校舎隣り、稲荷山にある「三田演説館」は、日本最古の演説会堂です。 演説、スピーチ、ディベートというと、今では自分の意思を多数の相手に伝える手段として広く行われていることですが、日本に初めてこの方法を伝えたのは、福沢諭吉とその門下生たちでした。 西洋で行われている演説を、日本に広める必要性を強く感じた福沢諭吉は、明治7年に三田演説会を組織し一般に公開。演説や討論の仕方の手ほどきを記した書籍等を発表し、普及に努めました。スピーチを「演説」、ディベートをと「討論」と翻訳したのも福沢です。 日本初の演説会堂となるこの三田演説館は、明治8年5月1日に開館。 建物は、木造瓦葺…

  • 福沢諭吉終焉の地

    2月3日は「雪池忌(ゆきちき)」。 福沢諭吉(天保5.12.12(陰暦)~明治34.2.3 啓蒙思想家・教育者)の命日です。 慶應義塾の創設者である福沢諭吉の終焉の地は、慶應義塾大学三田キャンパスの東南の側。ちょうど図書館(新館)の裏側にあります。 福沢は、義塾を芝・新鮮座から三田に移したさい、自宅も三田に置き、その最後もここで迎えました。 享年68歳。死因は脳出血でした。 三田の福沢邸は、元は約400坪ある大きな邸宅でしたが、昭和12年の東京都市計画で敷地を削られ、その後東京大空襲で焼失してしまいました。 現在ここは、ささやかながら「福沢公園」として整備され、知る人ぞ知る憩いの場となっていま…

  • 芥川龍之介生誕の地

    築地、聖路加国際病院の北側辺りに「芥川龍之介生誕の地」があります。 芥川龍之介は明治25年3月1日、新原敏三(嘉永3.9.6(陰暦)~大正8.3.16 耕牧舎経営業)ふく(万延元.9.8(陰暦)~明治35.11.28)の長男として、この地、東京市京橋区入船町8丁目1番地(現:東京都中央区明石町1-25辺り)に生まれました。 辰年辰月辰日辰刻に生まれたため「龍之介」と命名。 父新原敏三は山口県の出身で、明治8年頃に上京。渋沢栄一(天保11.2.13(陰暦)~昭和6.11.11 実業家)の経営する箱根の牧場で働いていましたが、その才覚を買われて、明治16年からここ入船町の耕牧舎の経営を任されるよう…

  • 新富座跡

    東京メトロ有楽町線新富町駅からすぐ、築地橋を渡った京橋税務署の角に「新富座跡」があります。 新富座は、江戸三座(中村座・市村座・森田座)のうち、森田座を守田座と改称し、明治5年に12代目守田勘弥が、浅草猿若町から京橋新富町に移設し開場した歌舞伎劇場です。 「新富座」と改称したのは明治8年。 市川団十郎、尾上菊五郎、市川左団次などの名優を集め、積極的な興行をしましたが、明治9年、京橋区数寄屋町から始まった大火で類焼してしまいます。 けれども明治11年には、ガス灯などの設備を備えた近代的歌舞伎劇場として再建。 太政大臣や各国大使を招く、盛大な西洋風落成式が華やかに行われました。 (三代目歌川広重「…

  • 築地小劇場跡

    東京メトロ日比谷線築地駅を出てほど近い、築地2丁目11番地辺りに「築地小劇場跡」があります。 築地小劇場は、今からちょうど100年前の大正13(1924)年に開設された、日本で初めての新劇の常設劇場です。 100坪弱の平屋建て、468の客席を持つこの劇場は、ドイツの演出家マックス・ラインハルト(1873.9.9~1943.10.31 俳優・舞台監督・演出家)の小劇場をモデルに作られた、ゴシック・ロマネスク様式の建物で、内装・外装共にグレーで統一された洒落た建物でした。 電気を用いた世界初の照明施設を持ち、高い天井にクッペル・ホリゾントと呼ばれる湾曲壁、可動式舞台を備える、「演劇の実験室」とも呼…

  • 鎌倉大仏殿高徳院

    かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな 与謝野晶子(明治11.12.7~昭和17.5.29 歌人)がこう詠んだのは、鎌倉長谷にある高徳院の大仏。 鎌倉といえば、この大仏を真っ先に思い浮かべる人も、きっと多いことでしょう。 今ではすっかり外国人観光客で溢れかえっている高徳院ですが、高徳院にはこの有名すぎる大仏の他に、ひっそりといくつかの文学碑が佇んでいます。 与謝野晶子が詠んだ先の大仏の歌の歌碑は、境内の奥、大仏の左側の廻廊の裏を進んだ先にある、売店や観月堂の奥にあります。 晶子がこの歌を詠んだのは、明治37年に鎌倉を訪れたとき。『恋衣』(山川登美子・増田雅子・与謝野晶…

  • 文学の丘~慶應義塾その3

    慶応義塾大学三田図書館旧館八角塔脇の小道を入っていくと・・・(入っていいんだろうか?と、一瞬躊躇してしまうような裏道感のある所ですが・・・入っていいんですw) 何やら小高くなっている所があります。 ここは「文学の丘」(丘?っていうか、石が積まれ土がこんもり盛り上がっているだけのような・・・いや、でも丘なんですw)。慶應ゆかりの文人たちの、文学碑や石像の並んでいる丘です。 まず目に入ってくるのは、吉野秀雄(明治35.7.3~昭和42.7.13 歌人・書家)の歌碑。 図書館の 前に沈丁咲くころは 恋も試験も 苦しかりにき 群馬県高崎出身の吉野は、『福翁自伝』(福沢諭吉 明治31.7.1~32.2.…

  • 慶応義塾大学三田図書館旧館

    慶應義塾大学三田図書館旧館。 赤レンガ造りネオ・ゴシック様式の美しい建物です。 正面入口上部には「創立五十年記念慶應義塾図書館」とあります。 この図書館は、明治40年に迎えた慶應義塾開設50年を記念して建設されたもので(竣工は明治45年)、開館当時は地上2階地下1階、20万冊の収蔵能力と200席の閲覧室を持つ施設で、同時代の大学図書館としては、他に類を見ないものでした。 明治45年5月18日に行われた開館式には、800名もの来賓が訪れ、三田通の商家の軒先には塾旗が掲げられ、街をあげてのお祝いムードになるほどだったのだそうです。 この図書館が建設されたころの慶應は、ちょうど文科の刷新時期。森鷗外…

  • 大佛次郎記念館

    横浜山手の港の見える丘公園、神奈川近代文学館の隣、沈床花壇の前に、とても特徴的なデザインの、赤いレンガタイルの洋館が建っています。 この建物は「大佛次郎記念館」。 横浜の出身の作家大佛次郎(明治30.10.9~昭和48.4.30 小説家)の記念館です。 (大佛次郎) 大佛次郎は、横浜英町(現・中区英町)に生まれました。この記念館のある港の見える丘公園から、谷戸坂を下った先にある、山下公園前のクラッシックホテル「ホテルニューグランド」に仕事場を置いたり、結婚したのち鎌倉に居を定めるなど、神奈川にゆかりの深い作家、まさに神奈川が生んだ小説家です。 「大佛次郎・おさらぎじろう」というペンネームも、鎌…

  • 「没後50年 大佛次郎展ー戦後の仕事」展 於:神奈川近代文学館

    横浜港の見える丘公園奥にある「神奈川近代文学館」では、只今コーナー展示「没後50年 大佛次郎展ー戦後の仕事」展開催中です。 (大佛次郎展)神奈川近代文学館では12/2から常設展と併設で「没後50年大佛次郎展―戦後の仕事―」を開催。チラシをゲット。「天皇の世紀」を読むと命とは何なのか。考えさせられます。えっ?そこで切腹しちゃうの?事実は壮絶です。#大佛次郎 #天皇の世紀 #パリ燃ゆ pic.twitter.com/rCZjVQkpCC — かなぶん@神奈川近代文学館 (@Kanabun84) November 23, 2023 「鞍馬天狗」シリーズでお馴染みの大佛次郎(明治30.10.9~昭和4…

  • そば処浅野屋~田端その5

    田端文士村記念館横の江戸坂を上って、コンビニの角を右折し進んで行くと、 右手に「そば処浅野屋」というお蕎麦屋さんが見えてきます。 ここは芥川龍之介が贔屓にしていた、といわれているお蕎麦屋さんです。 創業は大正5年。芥川が田端に住み始めたのが大正3年なので、その2年後に開業したお店ですね。 店内は、どこか懐かしさのある、落ち着いた暖かみのある雰囲気。 芥川が好んで食べていたのは、天ぷらそばだったのだそうです。 こちら↑が「上天ぷらそば」。 大葉とかぼちゃと茄子の天ぷらがひとつずつ、大きな海老の天ぷらが2本入っています。結構なボリューム。出汁は濃い目の関東風。冷えた体に、熱いおそばが染みわたります…

  • 『古典的作品の再現者 芥川龍之介「宇治拾遺物語」から「千夜一夜物語」まで』展 於:田端文士村記念館

    改修工事のため、4月から休館していた田端文士村記念館が、11月から再開館しています。 再開初の企画展示はやっぱりこの人、田端のスター芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)です。 (芥川龍之介) 今回の企画展は、『古典的作品の再現者 芥川龍之介「宇治拾遺物語」から「千夜一夜物語」まで』展。 芥川には「羅生門」(大正4.1.1『帝国文学』)や「地獄変」(大正7.5.1~22 『大阪毎日新聞』)をはじめ、「かちかち山」や「桃太郎」(大正13.7.1『サンデー毎日』)などのお伽噺等、古典を材料にした小説が多数あります。 本展は『宇治拾遺物語集』から『千夜一夜物語』まで、和漢洋の古典に…

  • 慶應の銀杏

    ひともと銀杏葉は枯れて 庭を埋めて散りしけば 冬の試験も近づきぬ 一句も解けずフランス語 (「酒、歌、煙草、また女ー三田の学生時代を唄へる歌」『閑談半日』昭和9.7 白水社) (佐藤春夫) 佐藤春夫(明治25.4.9~昭和39.5.6 詩人・小説家)がこう唄ったのは、慶應義塾大学三田キャンパスの銀杏の木。 慶應の三田キャンパスには銀杏の木が何本もあるので、どの木を詠んだのか特定されてはいませんが、三田の銀杏といえばこの中庭の大銀杏。 この銀杏が金色に色づいてくると、春夫のこの詩を思い出します。 詩人も、試験には苦労したんですね。 三田キャンパスの大銀杏。 もう一本は、塾監局玄関前の銀杏の木。 …

  • 旧加賀谷邸~山口瞳旧居

    甘縄神明神社の目の前にある「旧加賀谷邸」。 屋根に宝珠の棟飾りを付けた洋館と和館からなる、鎌倉市の景観重要建築物に指定されている建物です。 建てられたのは大正時代(14年?)。白塗りの壁にグリーンのラインが、可愛らしくも美しいこの和洋折衷の館は、戦後借家になっていた時期があり、その時、後に作家・エッセイスト・サントリーのコピーライターとしても有名になる山口瞳(大正15.1.19~平成7.8.30 小説家・随筆家)が、一家で住んでいたことがあるのだそうです。 (山口瞳) その頃山口は20代。映画・演劇界に多くの人材を輩出した、鎌倉アカデミアという私立学校に在籍していました。 この邸宅の目と鼻の先…

  • 「山の音」~甘縄神明神社と川端康成邸

    鎌倉長谷にある甘縄神明神社。 和銅3年に行基が草創し、豪族染谷太郎時忠が創建したといわれる、鎌倉最古の神社です。 天照大御神、伊邪那岐尊、倉稲魂命、武甕槌命、菅原道真公を祀り、源頼朝が相模守として下向したさいに参詣し、八幡太郎義家を授かったことから、源家によって篤く崇敬された神社です。 同じ境内には秋葉神社。 五所神社。 万葉の歌碑などもあります。 鎌倉の山を背景にして建つこの神社は、川端康成(明治32.6.14~昭和47.4.16 小説家)の「山の音」(昭和24.9 『改造文藝』)の舞台となった場所でもあります。 (川端康成) 鎌倉のいわゆる谷の奥で、波が聞こえる夜もあるから、信吾は海の音か…

  • 弥生美術館 竹久夢二美術館

    本郷、言問通りから別れる暗闇坂を入っていくと、東京大学弥生門のほぼ斜向かいに見えてくるのが「弥生美術館 竹久夢二美術館」。 1984年に、弁護士鹿野琢見(大正8.4.15~平成21.10.23 弁護士)によって創設された、私設の美術館です。 鹿野琢見は9歳の時、当時一世を風靡していた挿絵画家高畠華宵(明治21.4.6~昭和41.7.31 画家)の絵を見て大いに感動。長じて後、戦中戦後華々しい活躍ができなくなり、すっかり生活に困窮していた華宵に手紙を送ったのをきっかけに、半ば鹿野が華宵を支援するような形で、2人の交流がはじまります。華宵亡きあとは、鹿野が華宵作品の著作権を得ることになり、この「弥…

  • 『千駄木の鴎外と漱石~二人の交流と作品を歩く』展~於:森鷗外記念館

    現在、千駄木団子坂上の森鷗外記念館では、『千駄木の鴎外と漱石~二人の交流と作品を歩く』展開催中です。 明治を代表する二大文豪、森鷗外と夏目漱石。 二人が実際に会ったのはほんの数回でしたが、互いに意識し合い、才能を認め合い、自著を贈るやり取りや、そのお礼の手紙のやり取りなどの交流は、細やかにあったそうです。 また期を異にして、偶然にも二人が住んだ千駄木58番地の家、通称「猫の家」(漱石がこの家でデビュー作「吾輩は猫である」を書いたことからこう呼ばれる。詳しくはこちら↓)や、 masapn2.hatenablog.jp 千駄木を舞台にしたそれぞれ小説、その登場人物らの交錯から、二人の関わりをこの展…

  • 『芥川龍之介がみた江戸・東京』展 於:たばこと塩の博物館

    東京・墨田区にある「たばこと塩の博物館」で、只今『芥川龍之介がみた江戸・東京』展開催中です。 芥川龍之介(明治24.3.1~昭和2.7.24 小説家)は、東京市京橋区入船町(現・中央区明石町)に生まれましたが、生後約半年で母方の実家芥川家に預けられ、後養子として育てられます。 当時、養家の芥川家があったのは本所両国。大川(隅田川)の流れとともに、江戸情緒を色濃く残しながらも、鉄道や工場、学校の建設など、近代化の波も続々と押し寄せてくる地域でした。そんな大川端で、18歳までの少年期を過ごした芥川。大川はじめ、この地への愛着も深く、長じて作家になってからも、「大川の水」(大正3.4.1 『心の花』…

  • 『没後30年 井伏鱒二展 アチラコチラデブンガクカタル』 於:神奈川近代文学館

    横浜港の見える丘公園奥にある「神奈川近代文学館」では、只今『没後30年 井伏鱒二展 アチラコチラデブンガクカタル」開催中です。 (井伏鱒二展情報)明日(9/30)から神奈川近代文学館で井伏展が始まります。井伏から開高へ伝授された「福田蘭堂開発鮎餌釣技法」の秘伝巻子本を見たいな。蘭堂の父はあの青木繁なんだよね。 文アル情報もまもなく掲載されるのかな。#井伏鱒二 #開高健 #文アル #福田蘭堂https://t.co/uNZsfDopai pic.twitter.com/eojp2RpYpl — かなぶん@神奈川近代文学館 (@Kanabun84) September 29, 2023 高校の教科…

  • 和田塚~芥川龍之介居住跡

    江ノ電和田塚駅。鎌倉の隣の無人駅。江ノ電の中でも、特にこぢんまりとした駅です。 和田塚には、その名の通り「和田塚」があります。 「和田塚」は、鎌倉前期の建暦3年、鎌倉で起きた和田義盛の乱で、北条義時と戦って敗死した和田義盛とその一族を埋葬したお墓です。 和田一族を供養する、複数の石碑や小さな五輪塔が静かに並んでいます。 この和田塚の近くには、大正5年11月下旬から翌6年の9月まで、芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)が住んでいた場所があります。 (芥川龍之介) 芥川龍之介の家は、東京田端にありましたが、大正5年、東京帝国大学英吉利文学科を卒業後(引き続き同大学院に籍を置きま…

  • 力餅屋

    江ノ電長谷駅を海側へ出て、極楽寺方向へ進んで行くと右手に、まるでタイムスリップしたかのような、古色を帯びたお店が見えてきます。 「力餅屋」。 創業は江戸元禄年間の、由緒ある和菓子屋さんです。 平安時代の武将、権五郎景政の武勇を伝え偲ぶよすがにと、代々伝えられてきた「権五郎力餅」が名物。近くには権五郎の御霊を祀った御霊神社もあります。 「権五郎力餅」。 つきたてのお餅に、控えめな程よい甘さのこし餡が載っています。 箱にきっちり詰まっていますが、ひとつひとつは小ぶりなお餅です。 餡とお餅のバランスがよく、何個でも食べられてしまいそうです。 この権五郎力餅は、鎌倉文士たちにもこよなく愛され、大正5年…

  • 「プロレタリア文化運動の光芒」「川端康成が見出した作家たち」~於:日本近代文学館

    駒場公園内「日本近代文学館」では、秋季特別展「プロレタリア文化運動の光芒」開催中です。 【秋季特別展開催中】本日9/18(月)は祝日につき開館しております。展示室では「プロレタリア文化運動の光芒」、「川端康成が見出した作家たち」を開催中。残暑厳しい中ですが、ぜひご覧ください。京王井の頭線「駒場東大前」駅徒歩7分開館・9時半~16時半(最終入場16時)https://t.co/qbrV3mFyT2 pic.twitter.com/nyn9Yienb8 — 日本近代文学館 (@bungakukan) September 18, 2023 (小林多喜二) 同時開催は、「川端康成が見出した作家たち」。…

  • 糸瓜忌 子規庵特別展示のお知らせ

    9月19日は糸瓜忌。正岡子規(慶応3.9.17(陰暦)~明治35.9.19 俳人・歌人)の命日です。 根岸の子規庵では、糸瓜忌特別展示が開催中されています。 2023糸瓜忌特別展示開催中。目玉は初公開の明治30年1月2日の歳旦帳ですが、子規の日常生活に使用した遺品も同時に展示しています。明後日9月19日は子規の命日です。今日の午前中も50人近いお客様がご来庵。まだまだ暑いので、熱中症に気をつけてお出かけください。#糸瓜忌 #獺祭忌 #子規 pic.twitter.com/yvOGRP9C1f — 子規庵 (@shikian1) September 17, 2023 明日以降の糸瓜忌特別展示公開…

  • 長谷寺

    江ノ電長谷駅から大仏に向かう手前にある長谷寺。 天平8年創建の、いわずと知れた鎌倉有数の名古刹。 紫陽花寺としても有名で、修学旅行や遠足の子どもから外国人観光客まで、人足の絶えることない人気のお寺です。 そんな多くの参拝客で賑わう長谷寺の、入り口入ってすぐの所に、ほとんど誰も見向きもしない像がぽつんと立っています。 久米正雄(明治24.11.23~昭和27.3.1 小説家)の胸像です。 久米正雄は夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9 小説家)の門弟で、同門の松岡譲(明治24.9.28~昭和44.7.22 小説家)と漱石の娘筆子をめぐって、三角関係の恋に破れてしまったことでも知られ…

  • 日本近代文学館

    京王井の頭線駒場東大前駅からほど近い、駒場公園内にある「日本近代文学館」。 明治以降の日本文学の資料を、収集・保存・展示する資料館です。 所蔵品は、9万3千点余りの原稿や草稿、日記、遺品、48万冊を超える書籍、2万8千タイトル60万冊を超える雑誌という膨大な量を誇り、芥川龍之介文庫や太宰治文庫、志賀直哉コレクションや有島武郎・生馬コレクションなどなどの、文庫・コレクションも160を超える豊かさです。 資料のほとんどが、作家や遺族、出版社からの寄贈によるものなのだそうです。 一般向けの公開講座や、文学館職員・大学院生対象の文学館演習などの教育活動も盛んで、展示室は通年開設。季節によって展示内容が…

  • 根津神社~根津裏門坂・権現坂

    日本医科大学付属病院と東大弥生キャンパスの間に位置する「根津神社」。 日本武尊が創祀したという古い伝承を持つこの神社は、朱塗りの社殿に唐門、透塀など、権現造りといわれる江戸時代の遺構が良く保存された神社で、文学作品にも良く登場します。 宝永3年、五代将軍徳川綱吉が、綱豊に世継ぎしたときに造営された社殿は、7棟の建物が、重要文化財に指定されています。また、境内の斜面に植えられた、約2千本のつつじが咲き誇る5月のつつじまつりや、乙女稲荷神社の奉納鳥居のトンネルなども有名です。 楼門の脇には、近くに住んでいた森鷗外(文久2.1.19(陰暦)~大正11.7.9)や夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正…

  • 夏目漱石旧居跡~猫の家

    薮下通りを下り切り、根津裏門坂に突き当たると左右が日本医科大学。 masapn2.hatenablog.jp 右手本郷通に向かって坂を登って行き、日本医大前の信号(一炉庵という和菓子屋がある所)を右折し、進んで行くと日医大同窓会橘桜会の建物の敷地内に、「夏目漱石旧居跡」があります。 ここは、夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9 小説家)がイギリス留学から帰国した明治36年の3月から明治39年12月まで暮らした家があった所です。 漱石がこの地に暮らしたのは、わずか3年と10カ月でしたが、この地は漱石の作家デビューの地。あの「猫伝」こと「吾輩は猫である」(明治38.1~39.8 『ホ…

  • 『「おまけ」と「ふろく」展ー子どもの夢の小宇宙』~於:神奈川近代文学館

    横浜港の見える丘公園奥にある「神奈川近代文学館」では、只今『「おまけ」と「ふろく」展ー子どもの夢の小宇宙』開催中です。 (おまけ展情報)神奈川近代文学館では7/29~9/24まで「『おまけ』と『ふろく』展-子どもの夢の小宇宙」を開催します。 ポケットにグリコのおまけを詰め込んでいた子供の頃が懐かしいな。チラシをゲット。会期後半に北原照久氏の講演会も開催予定。#おまけ #ふろく #北原照久 #グリコ pic.twitter.com/8bc3CR0ICO — かなぶん@神奈川近代文学館 (@Kanabun84) June 10, 2023 子どもにとって、身近でささやかな宝物であるお菓子や雑誌の「…

  • 生誕120年森茉莉~幸福な日々、書くという幸福~於:森鷗外記念館

    現在、千駄木団子坂上の森鷗外記念館では、「生誕120年森茉莉~幸福な日々、書くという幸福~」展開催中です。 【開幕】コレクション展「生誕120年 森茉莉~幸福な日々、書くという幸福~」当館新収蔵・初公開資料や『森茉莉全集』未収録原稿を含む50余点を、2部構成で展覧しています。鴎外の長女として生まれ、現在も多くの人々を魅了する作家へと成長した茉莉の姿をご覧ください。10月1日までの開催です。 pic.twitter.com/OYwN3TTd48 — 文京区立森鴎外記念館 (@bunkyo_moriogai) July 14, 2023 森茉莉(明治36.1.7~昭和62.6.6 小説家・エッセイ…

  • 芥川龍之介記念館建設開始⁉

    田端の芥川龍之介旧居跡の隣地に、ずっと建設予定だった「芥川龍之介記念館」が、ようやく着工へ向けて始動しそうです。 www.asahi.com 北区が平成30年から建設を予定していた「芥川龍之介記念館」。 コロナ禍を挟んで、ずっと建設が延期されたままになっていましたが、いよいよ始まると、先日北区より発表がありました。 開館は、令和8年予定しているとのこと。 本来の開館予定は、昨年令和4年のはずだったので、ずいぶんと遅れてしまいましたが(このまま立ち消えになってしまわないかと心配になってしまったほど)、話が進んでいるようでよかったです。 建築費の一部は、クラウドファンディングで賄うそうです。 ww…

  • 薮下通り

    団子坂上の鷗外記念館から、根津神社方面へ下っていく坂道が「薮下通り」。 昔は本郷台地の中腹から根津方面に抜ける間路であり、踏み分け道であったこの道は、 江戸時代の切絵図(区分地図)を片手に、日和下駄を履いて蝙蝠傘を持って、東京市中の路地や坂道を、方々歩いていた永井荷風(明治12.12.3~昭和34.4.30 小説家)の、お気に入りの道でした。 荷風はこの薮下通りを通って、敬慕する鴎外の観潮楼に通っていました。 今ではすっかり整備され、立派な住宅が立ち並び、踏み分け道の感はどこにもありませんが、かつては道幅も狭く、雪の日には積もった雪の重みでしなった笹竹で、通るのも困難になるほどの道だったそうで…

  • 森鷗外記念館

    千駄木の団子坂を上りきると、左手に「森鷗外記念館」(旧・鴎外記念本郷図書館)があります。 森鷗外(文久2.1.19(陰暦)~大正11.7.9 小説家・医師)が、明治25年から大正11年に亡くなるまで、30年に渡って居住した「観潮楼」跡地です。 「観潮楼」とは、潮を観る楼(建物)。 昔はここ千駄木から、品川沖を臨むことができたそうです。 確かに団子坂を上り切った高台。団子坂にも汐見坂という別名がありますが、遮る物がなければ、ここから海が見えるのでしょう。 現在は遮る物だらけで、残念ながら海は見えません。 藪下通り側の入り口には、「観潮楼址」のプレートが。 津和野藩(現・島根県鹿足群津和野)典医の…

  • 団子坂

    東京メトロ千代田線千駄木駅を出ると、すぐ西に上がる坂が「団子坂」。 名前の由来は、昔、坂の下に団子屋があったからとか、急な坂なので雨降りのとき、転ぶと泥団子のようになるから等々、いわれのある坂道です。 他にも「潮見坂」「千駄木坂」「七面坂」という異名もあります。 団子坂はこれまで、数多くの文学作品の舞台となってきました。 有名どころでは、江戸川乱歩(明治27.10.21~昭和40.7.28 小説家)の「D坂の殺人事件」(大正14.1 『新青年』)。 (江戸川乱歩) 「D坂」とはもちろん団子坂のこと。D坂の古本屋で起きた密室殺人事件を、素人探偵明智小五郎が解き明かす推理小説です。乱歩が生み出した…

  • 上の坂から与楽寺坂、天然自笑軒跡~田端その4

    田端の高台にある芥川龍之介居住跡から東南に下っていくと、 masapn2.hatenablog.jp 階段状の細い小さな坂道があります。 看板をみると「上の坂」。 坂の名の由来は不詳だそうです。 近くに住んでいた芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)、香取秀真(明治7.1.1~昭和29.1.31 鋳金家・歌人)らの名前と、芥川の田端の家の庭を詠んだ歌が記されています。 坂の町田端らしい、ひっそりとした路地裏といった趣のある、階段の続く小さな坂道です。 この上の坂を下りきると、その先には芥川家のホームドクターであった下島勲(明治3. 8.25~昭和22.5.30 医者・俳人)の…

  • 喜久屋洋菓子舗

    横浜、元町商店街にある「喜久屋洋菓舗」。 大正13年創業の老舗洋菓子店です。 創業者は石橋豊吉。ヨーロッパ航路の貨客船で、パン職人、料理人を務めたのち、元町にこの店を開きました。 元町通りが、山手の外国人居留地と、山下町の外国人商館とを結ぶ通勤路として賑わいを見せていたころ。ヨーロッパのパンや菓子が、まだ日本では珍しかった時代に、石橋がヨーロッパ各地から持ち帰ったレシピで作る洋菓子やパンは、人気を博しました。 また、外国人居留地のスイスの婦人が持ち込んだケーキのレシピを石橋が再現すると、たちまち評判になり、それを機に各国のケーキのレシピが集まるようになり、当時どこの店よりも早く、ヨーロッパのケ…

  • 神奈川近代文学館

    横浜、港の見える丘公園から伸びた霧笛橋を渡った先に、ひっそりと佇む円形の建物。 ここは「県立神奈川近代文学館」。 神奈川にゆかりのある近代文学の作家・作品の資料を蒐集・保存・展示している文学館です。 開港の地横浜や、古都鎌倉を擁する神奈川には、多くの文士が居住し、神奈川の地を舞台にした数々の文学作品が生まれました。 神奈川近代文学館の展示室では、常設展とさまざまな企画展で、神奈川ゆかりの文学を、魅力的に紹介しています。 常設展示室に入って、まず目に付くのは「漱石山房」という夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9 小説家)の書斎を復元したコーナーです。 紫檀の文机やペルシャ絨毯、蒔絵…

  • 鎌倉文学館

    江ノ電由比ヶ浜駅から北へ7分ほど歩いていくと、緩やかな石畳の坂道があり、その先にあるのが「鎌倉文学館」。 加賀百万石藩主前田利家の系譜である、旧前田侯爵家の鎌倉別邸だった洋館です。 前田家の鎌倉別邸は、もとは明治23年に和風建築の館が建てられましたが、明治43年に焼失し洋風に再建。今ある建物はそれを昭和11年に全面改築したものなのだそうです。 ハーフティンバー様式に切妻屋根と深い軒出などを合わせた、和と洋が混在する独特なデザインの外観。内部もアールデコ調の洋風を基調としながら、随所に和風様式も取り入れた和洋折衷な建物で、国の登録有形文化財にもなっています。 第二次世界大戦後は一時期、デンマーク…

  • 芥川龍之介旧居跡~田端その3

    大正3年10月末、芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)一家が、北豊島郡滝野川町字田端435番地(現田端1丁目19-18)に家を新築し、引っ越してきました。 (一高時代の芥川龍之介) 芥川の家は、もとは本所両国にありましたが、明治43年の夏、本所界隈は大雨に見舞われ、約3000戸が浸水。芥川家もあと1㎝位で、水が床につくところまでくるという被害にあいました。これを機に、芥川家は水の多い本所から、高台の田端へ転居することになります。 芥川が、この地に越してきたのは22歳のとき。それから35歳で亡くなるまで(一時的に鎌倉・横須賀)に住んでいたことはありますが)、ここ田端の家が終の…

  • 古桑庵

    自由が丘駅正面口を出て右、お洒落なショップ建ち並ぶカトレア通りを、5分ばかり進んで行くと、ふと駅前の喧騒が晴れ、静かな住宅地の趣になり、右手に落ち着いた古民家が現れます。 突然、タイムスリップしたかのような景色。とても自由が丘とは思えない異空間です。 ここは「古桑庵」という茶房ギャラリー。 小説家松岡譲(明治24.9.28~昭和44.7.22 小説家)と友人の渡辺彦が、隠居後2人が楽しむ茶室として、昭和29年に作った建物です。 かつては住居として使われていたそうですが、平成11年に人形作家の渡辺芙久子が茶房としてオーブン。現在は、彦の孫で芙久子の娘にあたる方が、引き継いで運営しています。 「古…

  • 江戸坂から童橋公園~田端その2

    田端は坂の多い町です。 大正3年、田端に越してきたばかりの、当時まだ東京帝国大学の学生であった芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)が、友人の井川恭に宛てた手紙(大正3.11.30)で、 「たゞ厄介なのは田端の停車場へゆくのに可成急な坂がある事だ それが柳町の坂位長くつて路幅があの半分位しかない だから雨のふるときは足駄で下りるのは大分難渋だ そこで雨のふるときは一寸学校が休みたくなる」 と書いて送るほど。 (一高時代の芥川龍之介) 芥川が田端に引っ越してきた頃の田端駅は、けっこう長い間工事中で、現在の田端駅の場所とは違うところ(現在の田端駅より北西、京浜東北線と山手線が分岐…

  • うさぎの潜む空き地~KeMCo新春展2023

    慶應義塾ミュージアム・コモンズにて、ただいま「うさぎの潜む空き地 鏡花のお気に入りたち」展開催中です。 今年の干支である、卯にちなんだ展覧会。 泉鏡花(明治6.11.4~昭和14.9.7 小説家)は、向かい干支がうさぎであったことから、たくさんのうさぎ雑貨をコレクションしていました。 向かい干支とは、自分の干支から数えて7番目の干支。ちょうど時計回りに干支を並べていって、自分の干支と反対側にある干支のことを指します。 向かい干支は、裏干支、逆さ干支、守り干支とも呼ばれ、これをあしらった物を持つと幸福が訪れるという慣わしがあり、鏡花は最愛の母鈴から、水晶のうさぎを貰い受けたことから、うさぎグッズ…

  • 漱石山房記念館~夏目漱石終焉の地

    地下鉄東京メトロ東西線早稲田2番出口を出て東側、夏目坂とは反対方向へずんずん進んでいくと、「漱石山房通り」という標識があります。 masapn2.hatenablog.jp この標識沿いに進んでいくと、左手に見えるは「漱石山房記念館」。 「漱石山房」とは、夏目漱石が明治40年9月、本郷西片町から転居し、大正5年12月に亡くなるまでの9年間を過ごし、終の棲家となった家のことです。 漱石は、ここに転居した年の3月、東京帝国大学英文科講師などの教職をいっさい辞し、朝日新聞社に入社。職業作家として文筆に専心する決意を固めました。 「三四郎」(明治41.9.1~12.29)「それから」(明治42,6,2…

  • 夏目漱石誕生之地~夏目坂

    地下鉄早稲田駅(東京メトロ東西線)2番出口を出てすぐの交差点を、市谷方面に上がっていく坂道があります。 この坂道は「夏目坂」。 そう、あの文豪、夏目漱石の「夏目」です。 この「夏目坂」のふもと、地下鉄早稲田駅出てすぐの交差点の近くで、慶応3年1月5日、夏目漱石(本名夏目金之助)が生まれました。 夏目漱石が生まれた所だから、目の前の坂道が「夏目坂」と命名された?と、ぱっと見思ってしまいますが、実はそうではありません。 もちろん夏目漱石にゆかりはあるのですが、命名したのは漱石の実父の夏目小兵衛直克。直克は当時名主として、牛込馬場下横町など11か所を治めるかなりの勢力者でした。「夏目坂」という名称は…

  • カフヱーパウリスタ

    銀座に現存する最古の喫茶店「カフヱーパウリスタ」。 明治44年に、南鍋町(現在の銀座6丁目)にオープンしました。 創業者は水野龍。ブラジル移民を仲介する、皇国殖民合資会社の社長でした。 水野は、ブラジルへの日本人移送の見返り、及びブラジルコーヒーの宣伝普及のため、 サンパウロ州からコーヒー豆の無償提供を受け、大隈重信の協力もあって、パウリスタを開業。(ちなみに日本初の喫茶店は、明治21年黒門町(現在の上野1~3丁目辺り)にできた「可否茶館」。また明治44年には、同じく銀座に「カフェー・プランタン」や「カフェー・ライオン」も開業しています。) 「サンパウロっ子」という意味を持つ「パウリスタ」。 …

  • 羽二重団子

    「行きませう。上野にしますか。芋坂へ行って団子を食ひませうか。先生あすこの団子を食つた事がありますか。奥さん一返行つて食つて御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます。」⦅「吾輩は猫である(五)」夏目漱石『ホトトギス』第八巻第十号 明治38年7月1日⦆ 夏目漱石の通称「猫伝」こと「吾輩は猫である」に登場する、猫のご主人と多々良君の会話にでてくるお団子。それがこの「羽二重団子」です。 店名もズバリ『羽二重団子』は、江戸時代文政2年の創業。 東京は根岸、芋坂の脇にあるお団子屋さんです。 開業当初は『藤の木茶屋』と称していたそうですが、供する団子が絹の「羽二重(柔らかく光沢のある絹織物の一種)」のよう…

  • 子規庵

    台東区根岸二丁目。山手線の鶯谷駅を北口から出て、五分ほど歩いたところに、正岡子規(慶応3.9.17(陰暦)~明治35.9.19 俳人・歌人)の居住跡である「子規庵」があります。 四国は愛媛県松山の出身である正岡子規は、明治16年に上京したあと、都内で数回転居していますが、この根岸の子規庵が終の棲家となりました。 子規といえばわずか21歳で、当時まだ不治の病であった結核にかかり喀血。病は高じて結核菌は背骨まで侵し脊椎カリエスとなり、明治32年32歳以降は、この小さな庵で寝たきりの暮らしになります。 「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広すぎるのである。」(『病床六尺』19…

  • 『朔太郎・犀星・龍之介の友情と詩的精神』~田端文士村記念

    10月から田端文士村記念館の展示が変わりました。 『朔太郎・犀星・龍之介の友情と詩的精神~タバタ二サクタロウキタリ』と題した企画展で、萩原朔太郎没後80年、室生犀星没後60年、芥川龍之介生誕130年をそれぞれ記念した展示会です。 \今日から開幕/ 🐈 🐟 🐉◆企画展◆朔太郎・犀星・龍之介の友情と詩的精神~タバタニサクタロウキタリ~ #萩原朔太郎大全2022◆特別展◆🐉芥川龍之介と夏目漱石🐱🌕童謡に込められた雨情の詩心🦀ご来館記念にフォトスポットで記念撮影をどうぞ📷秋晴れの田端にぜひお越しください! pic.twitter.com/IP6n9D8p66 — 田端文士村記念館 (@bunshimu…

  • 田端文士村記念館

    東京都北区、山手線の田端駅北口を出てすぐのところに、「田端文士村記念館」があります。 かつて田端に住んでいた芸術家や文学者たちの、作品や原稿、書簡などを展示し、その業績や、田端での暮らしぶりを紹介する区立の施設です。 田端は明治中頃までは閑静な農村でしたが、明治33年に画家で歌人の小杉放菴(明治14.12.29~昭和39.4.16)が移り住んだのを皮切りに、数々の芸術家・文学者が住むようになりました。 放菴のあとには、明治36年に陶芸家の板谷波山(明治5.3.3~昭和38.10.10)が、40年に彫刻家の吉田三郎(明治22.5.25~昭和37.3.16)が、42年に鋳金家で歌人の香取秀真(明治…

  • うさぎや

    上野広小路にある「うさぎや」。 大正2年創業の和菓子屋さんです。 「どらやき」が有名な、現在でも行列の絶えない人気店です。 創業者は谷口喜作(明治35.6.16~昭和23.5.25)。 俳人でもあり、河東碧梧桐(明治6.2.26~昭和12.2.1)主宰の俳句雑誌『海紅』(創刊大正4.3)や、『三昧』(創刊大正14.3)などに、句やエッセイを掲載したこともある、文人趣味のある店主でした。 文化人との交流も多く、滝井考作(明治27.4.4~昭和59.11.21)の随筆集『風物誌』(砂子屋書房 昭和13.8.25)や、短編集『積雪』(改造社 昭和13.12.18)などの装丁にも関わっている人物です。…

  • はじめに

    学生時代、よく文学散歩をしていました。 友達と先生と、ときにはひとりで。 5、6人の少人数でまわることもあれば、学部と大学院のゼミ合同で、大人数でまわることも。 途中で裏道に入って変なものを見つけたり、男子は、ちょっと休憩といいながら、昼間からもう飲みだしたり・・・。 真面目に文学の話をしながらも、珍道中のおかしさもあって、楽しい思い出いっぱいの文学散歩でした。 そんな文学散歩ですが、結婚して子どもが生まれ、家庭のことにかまけているうち、すっかりご無沙汰に・・・。 今やっと、ようやく子どもの手もずいぶん離れるようになり、自分の時間が取れるようになってきました。 そこで、楽しかったあの文学散歩。…

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