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#続100名城
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美濃国 苗木城 [ NAEGI CASTLE ]
2024/11/27 07:55
続100名城
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高田城(新潟県)
越後国高田城[タカダジョウ]別称鮫ヶ城・関城・高陽城城郭構造輪郭式平城築城年1614年廃城年1871年指定史跡指定なし住所上越市本城町[MAP]スタンプ設置場所高田城三重櫓09:00~17:00御上院販売場所上越市立歴史博物館09:00~17:00概要高田城は慶長19年(1614)に越後太守松平忠輝の居城として築城されたもので、石垣や天守はなく、御殿を中心に広大な城郭で構成されている平城です。築城は、幕府の命により国役普請で、仙台藩主伊達政宗ら13大名によって行われ、関川・青田川・儀明川の流路を変え、天然の地形を効果的に利用して築城されました。陸軍第十三師団が入城する際、土塁の大半を崩して堀を埋める工事が行われたことによって改変されているものの、三重櫓や極楽橋など復元され、現在は高田城址公園として市民の散...高田城(新潟県)
2024/06/27 16:26
白石城
東北旅行6日目。続日本100名城登城41城目は、宮城県の白石しろいし城です。 白石城について 歴史 白石城の築城時期や築城者についてははっきりしたことは判っていないようですが、戦国時代には奥州藤原氏の末裔とされる刈田氏が白石氏と名を改め居城
2024/04/01 17:03
米沢城
旅行5日目は、仙台から米沢まで足を伸ばします。続100名城登城40城目、山形県の米沢城です。続100名城選定前に一度訪問したことがあるのですが、前回訪問から10年以上経って記憶が薄れてきたこともあり、スタンプ回収だけではなく城全域を改めて見
2024/03/20 22:51
九戸城
旅行4日目、早朝に秋田を新幹線で出発。目指すのは続100名城登城39城目、岩手県の九戸城です。 九戸城について 歴史 九戸城の築城については、九戸光政くのへ みつまさによるものだとか、九戸信実くのへ のぶざねによるものだとか、九戸政実くのへ
2024/03/19 20:36
脇本城
旅行3日目は、続100名城登城38城目となる秋田県の脇本城です。 脇本城について 歴史 脇本城は、安土桃山時代の天正5年(1577年)、安東愛季あんどう ちかすえが脇本城を大規模に修復し、檜山城から拠点を移したことで知られていますが、最初に
2024/03/17 16:08
秋田城跡歴史資料館
秋田城跡の次は、バス停のすぐ近くにある秋田城跡歴史資料館を見学します。 展示室1 展示室1は『漆紙文書の謎』と題した小さな展示室です。 第10号漆紙文書。暗灰色の皮のように見えますが、文字が書かれています。この先の展示室で文字を見ることが出
2024/03/14 10:50
秋田城
日本族100名城登城37城目は、秋田県の秋田城です。戦国時代~江戸時代の城ではなく、律令時代に築かれた城柵です。 秋田城について 歴史 奈良時代~平安時代、東北地方には蝦夷支配などを目的としていくつかの城柵が築かれました。秋田城はその中でも
2024/03/14 01:13
鶴ヶ岡城
続100名城登城36城目は、山形県鶴岡市の鶴ヶ岡城(108番)です。現地(大手門跡)案内パネルより鶴ヶ岡城について歴史鎌倉時代、出羽国大泉荘の地頭に任じられた武藤氏が、室町時代になってこの地に築いた大宝寺城が鶴ヶ岡城の前身となりました。大宝
2024/02/08 19:29
続日本100名城<No.162 出石城>
2月に入りましたが、今週なんと!コロナ陽性となり、現在引き籠り生活中です。 人生2回目の感染 症状は軽い風邪症状とほぼ同じで、前回感染時に比べれば天国のような症状です。 ちなみに前回感染時のブログが➡20
2024/02/03 23:03
本多忠勝 大喜多城 続日本100名城
どうする家康で国替により家臣が城持ちの大名になりました。現在、関東には、あまり絵になる城、天守閣は残念ながらありません。千葉県に国換えの時、本多忠勝が築上した大喜多城が在ります。再建ですが、天守閣のある立派な城です。ここは、続100名城にもなっております。本多忠勝の娘は小松姫👸、真田家に嫁ぎ波乱万丈でした。孫はあの豊臣秀頼の正妻千姫👸と結婚しました。忠勝歴戦の勇者で生涯かすり傷もしなかった猛将です。城ひとつでも、いろいろな歴史的背景を思い出します。宜しければポチお願いします。にほんブログ村過去の投稿記事です。どうする家康石川数正国宝松本城-リタイアじーじの徒然絵日記どうする家康いよいよ佳境に近づいて来ました。今までにないストーリーではありますが、毎回楽しみに見ています。国宝松本城は立地といいとても綺麗なお...本多忠勝大喜多城続日本100名城
2023/10/02 08:22
要害山城
続100名城登城33城目は、山梨県甲府市の要害山城(128番)です。登城口の案内パネルより要害山城について歴史要害山城は、永正17年(1520年)、武田信玄の父・武田信虎たけだ のぶとらによって築かれました。信虎は自らの本拠地を躑躅ヶ崎館に
2023/08/15 17:34
要害山城 その2
大型曲輪が連続井戸跡不動曲輪から少し上って、後述の(6)門跡の手前の分岐を左に折れて進んでいくと、井戸跡が見られます。築城に際し、諏訪大明神に祈願して掘られた井戸といわれており、諏訪水の別名でも呼ばれています。現在も、写真にも写っている石造
要害山城 その3
主郭門跡小さな曲輪をいくつか経て、いよいよ本丸虎口(説明地図(11)門跡)にたどり着きました。こちらが大手側、ということでいいのかな。ここも石積がしっかり残っています。よく観ると石積が上下二段になっています。主郭主郭部は山上とは思えないほど
2023/08/15 17:33
韮崎市民俗資料館
韮崎市民俗資料館新府城に行く前に、続100名城スタンプのある韮崎市民俗資料館を訪れました。最寄り駅はJR韮崎駅ですが、駅から道程2km・上り90m弱と徒歩でアクセスするのはかなり大変です。というわけでまたしてもタクシー利用、870円でした。
新府城
続100名城登城34城目は、山梨県韮崎市の新府城(127番)です。本丸解説パネルより新府城について歴史新府城は、天正9年(1581年)頃に武田勝頼の命によって築城が開始されたといわれています。同年年末、勝頼は躑躅ヶ崎館から新府城へ本拠地を移
2023/08/15 17:32
村上城 その1
続100名城登城35城目は、新潟県村上市の村上城(131番)です。村上城について歴史最初にこの地に城が築かれたのは戦国時代、越後の武将本庄氏によって、と言われています。この時代は越後本庄城と呼ばれていました。本庄氏は上杉氏の家臣でしたが、永
村上城 その2
本丸冠木門本丸の入口にあたる冠木御門。名前は『冠木御門』ですが、冠木門ではなく高麗門と櫓門によって枡形が構成されていました。写真の最初の階段を上った位置に高麗門、直角に曲がった先に(たぶん左手の石垣と奥の石垣にまたがって)櫓門がありました。
興国寺城
続100名城登城32城目は、静岡県沼津市の興国寺城こうこくじじょう(145番)です。本丸の解説パネルより興国寺城について歴史興国寺城の築城年や築城主は判っていません。が、長享元年(1487年)頃に今川家の武将だった伊勢盛時いせ もりとき(伊
2023/08/08 10:25
諏訪原城 その2
本曲輪ゾーン二の曲輪を突っ切って本曲輪に向かいます。虎口二の曲輪と本曲輪は内堀によって区切られ、土橋で接続されています。本曲輪へ上り下りなしで入れる経路はここだけのようです。本曲輪本曲輪は100m×100mほどの正方形に近い形状をしています
2023/08/06 00:20
諏訪原城 その1
続100名城登城31乗目は、静岡県の諏訪原城すわはらじょう(146番)です。諏訪原城ビジターセンター解説パネルより諏訪原城について歴史諏訪原城は、天正元年(1573年)、病死した武田信玄から家督を継いだばかりの武田勝頼が、馬場春信に命じて築
2023/08/06 00:19
高天神城 その2
東峰井戸曲輪まで戻り、次は東峰にむかいます。井戸曲輪の途中には高天神歌碑がありました。『もろ羽張り 鶴のそら飛ぶ 姿かな たか天神山 又の名 鶴翁山』作者は松本亀治郎という人だそうです。東峰の中心部はこのような配置になっています。この図の範
高天神城 その1
続100名城登城30城目は、静岡県の高天神城です。高天神城について歴史高天神城の築城時期は不明ですが、判明している最も古い城主は今川氏の家臣の福島左衛門尉助春で、16世紀初頭のことでした。その後福島氏が没落したため、今川の家臣となった小笠原
訪城記 ~角牟礼城~ 【2023.5.2】
豊後森駅に戻って、10:25発のまちなか循環バス(リラッくすばす)西回りに乗車。終点のわらべの館前で下車しました。 森藩久留島氏陣屋跡を通り抜けます。1601年に築かれた陣屋で、庭園が古の姿を伝えます。 庭園の背後からのびる、御長坂という石畳の坂道。一直線に続いています。 道が折れた先には立派な石垣。堅牢な城郭のようですが、石垣の上には末廣神社。 ここまでの土木量は陣屋というには過ぎたもののようですが、城持ち格ではなかった久留島氏の城を持つことへのこだわりがあらわれているとか。 末廣神社の背後に登山道がありました。 角埋山への登山道。斜面を直登するまっすぐな道が斜面を登っていきます。 よく見る…
2023/06/17 19:48
小倉城お城攻め(続日本100名城)
小倉城お城攻め小倉城🏯1602年細川忠興が築城した細川忠興(ほそかわただおき)豊臣秀吉に仕えた戦国武将明智光秀の娘「細川ガラシャ」を妻に迎え溺愛していた…
2023/05/05 22:17
続日本100名城<No.164 洲本城>
続日本100名城 4城目となるのは兵庫県淡路島にある洲本城! 洲本城の詳細は→Wikipedia_洲本城 久々の城めぐりのアップです。というか、城めぐりコロナ前以来となります 前回ブログに書いた通り、淡路島
2023/05/01 23:54
三春城
続100名城、登城28城目は、福島県の 三春城 です。三春城について歴史三春城がいつ築城されたのか、信頼できるはっきりした資料はないようですが、永年元年(1504年)に田村義顕たむら よしあきが築いたと言われています。義顕は平安時代の征夷大
2023/03/03 21:57
向羽黒山城 その2
弁天曲輪の近くには二曲輪周辺の地形図があります。これから歩く道は二曲輪の周りをぐるっと回り込むように続いているんですね。道沿いに見慣れない植物が。地面からまっすぐ人の背ほどまで茎が伸び、葉は下のほうにだけまとめて生え、上の方には緑色の実?が
2023/03/03 21:56
向羽黒山城 その1
続100名城登城29城目は、福島県の向羽黒山城です。向羽黒山城について歴史向羽黒山城は永禄4年(1561年)~永禄11年(1568年)に戦国大名の蘆名盛氏あしな もりうじによって築城されました。ちなみに蘆名盛氏は、三春城(昨日見学しました)
唐沢山城 その9(再び東側エリア)
避来矢山 四つ目堀に沿った道を上り、【避来矢(ひらいし)山】へ向かいます。避来矢山は南東側途中に2段の曲輪があります。こちらは下の段。地形以外、とくに遺構らしいものは残っていません。普通の公園のような風景です。上の段。このあたりには武具土蔵
2023/03/02 18:39
唐沢山城 その8(再び中央エリア)
虎口 長門丸と局曲輪の間の虎口。 初期方向正面は本丸です。 ハッキリとは判りませんが土塁が食い違い構造になっているようです。 ここで東部と中央部が区切られ、 本丸の搦手側を守っています。現在は関係者用の車道になっています。ここを通って、
唐沢山城 その7(東側エリア/二重の堀切~お花畑)
二重の堀切 【二重の堀切】現在は平坦な広場になっているので(畝を削って堀の底の高さに合わせたらしい)判りにくいですが、南東(初期方向)から北西に向かって二重の大規模な堀切が伸びています。これによって、北東にある【鳩の嶺曲輪】(現在はキャ
唐沢山城 その6(東側エリア/杉曲輪~北域)
杉曲輪 【杉曲輪】かつては仏殿があったとされています。 杉曲輪の上の段。昭和時代にここに青年の家が建てられたそうですが、平成19年に閉所。現在は何もありません。初期方向奥(曲輪東側)には土塁が残っています。曲輪の奥にある土塁の切れ目から
2023/03/02 18:38
唐沢山城 その5(東側エリア/車井戸~金の丸)
車井戸さらに奥へ進みます。社務所の横を進むと、城の東側の領域への抜け道があります。 道の途中にある【車井戸】。茶の湯に使用された井戸だそうです。別名【がんがん井戸】、深さは25mもあるそうです。 中を覗き込んでみましたが、水面は確認でき
唐沢山城 その4(中央エリア/二の丸~本丸)
高石垣~二の丸 【本丸高石垣】南城から二の丸に続く道からは、本丸の高石垣が観られます。関東ではこのような大規模な石垣は珍しいです。 このあたりには表御殿があったそうです。高石垣に沿って進んでいくと【二の丸南虎口】にたどり着きます。 こ
唐沢山城 その3(中央エリア/大手道~南城)
大手道四つ目切りをを超えて中央部に進みます。 【大手道】斜面を削って作ったような大手道。ちゃんと舗装されている緩やかな上りなので楽々歩けます。【さくらの馬場】馬場というからには馬の訓練をしたところのはずですが…他の城址でみる『馬場』に較べて
唐沢山城 その2(西側エリア/大炊の井~西域)
大炊の井 さらに先に進むと、 築城から現在まで水が涸れたことがないという【大炊の井(おおいのい)】があります。現地の説明書きによると、『築城のさい厳島大明神に祈願をしその霊夢により掘ると水がこんこんとわき出た』とのこと。 大炊の井を別
唐沢山城 その1(西側エリア/虎口~武者詰)
唐沢山城について唐沢山城全体図(武者詰にあった案内板より)続100名城登城14城目(通算112城目)は、栃木県佐野市の【唐沢山城】です。構造唐沢山城は唐沢山山頂を本丸とし、尾根に沿って曲輪がほぼ一列に配置される【連郭式】の大規模な城郭です。
大多喜城 その3
その他の遺構博物館を出て、高校とは反対側の道を通って駅方面へ戻りながらその他の遺構を観ていきます。この【二の丸公園】から天守とは反対側に登ると鐘撞き堂などがあるらしく、復元ジオラマからするとそちらが本来の登城路(搦手)のような気がするのです
大多喜城 その2
本丸 というわけで試しに登ってみたら、あっというまに天守の下にたどり着きました。大井戸からこの写真の位置まで道程150mほど。車道を行くよりはるかに近いです。上から大井戸を見下ろすことも出来ます。天守周辺には土塀も復元されています。 よく見
大多喜城 その1
大多喜城について博物館下のゲート付近にあった図 続100名城登城13城目(通算111城目)は、 千葉県夷隅郡大多喜町の大多喜城です。構造 大多喜城は、現在いすみ鉄道大多喜駅のあるあたりから西に三の丸、現在大多喜高校のあるあたりが二の丸、山の
忍城時代祭
城めぐり・忍城登城の日は、ちょうど【忍城時代祭】の当日でした。市役所~産業文化会館周辺に多数の屋台が出るほか、ステージイベント等もあり賑わいました。そして目玉イベントがいくつか。武者行列まず、武者行列。10:50頃、産業文化会館前での出陣式
忍城
忍城について 忍城址内にある案内図より(通常の地図と逆に図の下方が北)続100名城登城12城目(通算110城目)は、映画にもなった【のぼうの城】の舞台、忍城です。 構造忍城は埼玉県北部の行田市内にある戦国時代の城です。広大な湿地帯に点在する
2023/03/02 18:37
沼田城 その3
捨曲輪 沼田公園の北西部。ここは【捨曲輪】という、敢えてなにも建物を置かない曲輪だったそうです。現在は天狗堂などがあります。【平八石】沼田氏12代当主沼田顕泰(あきやす)の側室の子、沼田平八郎景義(かげよし)に由来しています。平八郎は摩利支
沼田城 その2
二の丸沼田城二の丸には、城時代の遺構はほぼ残っていません。その代わり、旧生方家住宅などの明治~大正期の建築が保存されています。旧生方家住宅沼田藩の薬酒御用達を務めた商家である生方家の住宅が保存されています。17世紀末頃(というと将軍が徳川綱
沼田城 その1
沼田城について沼田公園入口付近の案内図より図の右方が北です。続100名城登城11城目(通算109城目)は沼田城です。沼田城は群馬県沼田市内、利根川と薄根川な合流点近く、河岸段丘の上に築かれた城です。歴史沼田城は享禄5年(1532年)、沼田氏
名胡桃城 その4
ささ郭 【ささ郭】名胡桃城の先端部にある小振りな郭です。崖に囲まれているとはいえ本丸の背後が剥きだしになることを避け、搦め手側を守るために作られた郭です。幅14m×長さ31mの細長い形状をしています。現地案内板の平面図。左方が本郭です。さ
名胡桃城 その3
本郭 【本郭】本郭は最大幅30m×長さ51mの洋ナシのような形をした郭。二郭にくらべて一回り小さいのですが、両側に崩落の跡があり、かつてはもっと広かったのではないかと考えられています。現在は崩落した斜面をコンクリートで補強してあります。中央
名胡桃城 その2
二郭【二郭南虎口】。両側に土塁が復元されています。 現地案内板の平面図。図の下方が三郭側です。この平面図によると、道だけでなく堀切も木橋の左右で食い違う(木橋の、二郭にむかって左側が右側に比べて4mほど三郭側にずれている)ように作られている
名胡桃城 その1
名胡桃城について現地案内板の全体図小旅行の2つ目の目的地・続100名城登城10城目(通算108城目)は、群馬県利根郡みなかみ町にある【名胡桃城(なぐるみじょう)】です。岩櫃城から電車で1時間、上越線後閑駅から直線距離で3kmほどの位置にある
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