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#4125 真心のあるかなきかはほふり出す腹の血しおの色にこそ知れ
令和6年1月22日(月) 【旧 一二月一二日 大安】・大寒 欵冬華(ふきのはなさく)真心のあるかなきかはほふり出す腹の血しおの色にこそ知れ ~林忠崇(1848-1941)明治元年に詠んだ辞世真心の有無は切腹の血を見ればわかってもらえるであろう。 林忠崇《はやしただたか》は江
#4116 夜もすがら契りしことを忘れずは恋ひむ涙の色ぞゆかしき
令和6年1月13日(土) 【旧 一二月三日 友引】・小寒 水泉動(しみずあたたかをふくむ)いかにして過ぎにしかたを過ぐしけむ暮らしわづらふ昨日今日かな ~皇后宮定子(977-1001)『千載和歌集』 巻16-0966 雑歌どうして過ぎ去った日々を過ごしてきたのか、日暮れまで過ごすの
令和5年12月3日(日) 【旧 一〇月二一日 赤口】・小雪 橘始黄(たちばなはじめてきばむ)家康に過ぎたるものは二つあり唐《から》の頭《かしら》に本多平八 ~小杉左近(武田信玄の近習)家康の身の程に過ぎたものが二つある。唐の頭と本多平八郎だ。 「唐の頭」とはヤクの
令和5年9月16日(土) 【旧 八月二日 先負】・白露・鶺鴒鳴く(せきれいなく)早涼至花ながす昔を汲みて山水の一葉をさそふ秋の涼しさ ~朝倉義景(1533-1573)『戦国時代和歌集』桜の花びらを水に浮かべた昔の貴族の雅を汲み取るように、今は山水を流れる一葉が秋の涼しさを
#3909 うち渡る野洲の川原に鳴く千鳥さやかにみえずあけぐれの空
令和5年6月20日(火) 【旧 五月三日 先勝】・芒種・梅子黄(うめのみきばむ)うち渡る野洲《やす》の川原に鳴く千鳥さやかにみえずあけぐれの空 ~源頼政(1104-1180)『近江百人一首』一面にひろがる野洲の川原に鳴く千鳥よ。はっきりと見えない朝夕の空に。Photo:平等院鳳
#3871 誰も見よ満つればやがて欠く月のいざよひの空や人の世の中
令和5年5月13日(土) 【旧 三月二四日 友引】・立夏・蚯蚓出(みみずいづる)誰も見よ満つればやがて欠く月のいざよひの空や人の世の中 ~武田信玄(1521-1573)『甲陽軍鑑』誰も皆見てみよ、満ちてはやがて欠けてゆく月の十六夜の空のようなものなのだ、人の世というものは
令和5年2月6日(月) 【旧 一月十六日 仏滅】・立春・東風解凍(はるかぜこおりをとく)もののふの覚悟もかかる時にこそ心の知らぬ名のみ惜しけれ ~梶原景時(1140?-1200)辞世武士の覚悟はこのような時にこそ表れるものだ。その心も知られず汚名を残すのは口惜しいことだ
「辞世」の和歌や俳句などに見る死に直面した人の心の風景(その4)平安時代
団塊世代の私も73歳を過ぎると、同期入社した人や自分より若い人の訃報にたびたび接するようになりました。そのためもあってか、最近は人生の最期である「死」を身近に感じるようになりました。「あと何度桜を見ることができるのだろうか」などと感傷に耽っ
「辞世」の和歌や俳句などに見る死に直面した人の心の風景(その3)平安時代
団塊世代の私も73歳を過ぎると、同期入社した人や自分より若い人の訃報にたびたび接するようになりました。そのためもあってか、最近は人生の最期である「死」を身近に感じるようになりました。「あと何度桜を見ることができるのだろうか」などと感傷に耽っ
「辞世」の和歌や俳句などに見る死に直面した人の心の風景(その1)
団塊世代の私も73歳を過ぎると、同期入社した人や自分より若い人の訃報にたびたび接するようになりました。そのためもあってか、最近は人生の最期である「死」を身近に感じるようになりました。「あと何度桜を見ることができるのだろうか」などと感傷に耽っ
「辞世」の和歌や俳句などに見る死に直面した人の心の風景(その2)奈良時代
団塊世代の私も73歳を過ぎると、同期入社した人や自分より若い人の訃報にたびたび接するようになりました。そのためもあってか、最近は人生の最期である「死」を身近に感じるようになりました。「あと何度桜を見ることができるのだろうか」などと感傷に耽っ
二十一回猛士!吉田松陰先生終焉の地 - 十思公園の吉田松陰辞世の句(留魂録)の碑
東京都中央区日本橋小伝馬町にある十思(じゅっし)公園は吉田松陰が斬首された江戸伝馬町処刑場跡です。 吉田松陰 辞世の碑 十思公園 「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ぬとも 留置まし 大和魂 」 二十一回猛士 江戸伝馬町処刑場跡 平成31年(2019年)4月13日 村内伸弘撮影 ...