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「……はああんと、うーんなるべく柔軟性の固まりだって思い込んでいた私でも、しっくりきませんね」小川はもだえる。「つまり、噂を嫌い、新製品の売り上げを守るために社長、林さんでしたか、その人は事実を警察に打ち明けることを拒んだ。そればかりじゃないですよ、停電も青い光だって仕組まれた罠の一端だった……。刑事さんたちも知らせたんですか、店長の推理?」 「すべてを話す必要はないよ。その社長だって、口を噤んだ」店主は肩を竦める。「僕だって真実を隠したい」 従業員に解散を命じた。 あんぱんの加糖がもたらす生命維持や生体機能の若干の回復はかりそめであって、すぐに化けの皮が剥れるのだから、早急に体力の回復、それ…
「なぜ、上空で操縦桿を握るパイロットが階下の明かり、それもブルーの明かりを見て、新製品の端末だと明確に言い当てることができたのだろうか。商品の発売前にディスプレイが光を放つ、青く光るというプロモーションは一切公開を控えていたんだ。驚かせるために発表の場で機能を紹介したかったんだろうね。つまりだ、飛行船が空に飛び立ち、ブルー・ウィステリアの上空付近で停電が起きた時刻に漂う場合、地上とは隔絶され、色の情報は絶対に知ることはできないんだ。パイロットが口にした青の言葉は、彼が事前に新製品の内容を知っていたことになり、しかも、事件当日に腕輪の使用を許されていたのは、日本支社社長の林という人物だった。彼が…
「これを読んで店長はあの刑事さんたちに助言をしなかったんですか?」店主の回想が終わると、堰を切った小川が溜め込み思いついた考えをぶつけた。女性に関する内容に感化されたのかもしれない。しかし、店主は彼女の勢いを向いいれる態度と正反対に、疲労に似た気だるさを全面に押し出して応えた。 「僕は犯人を知っている、とは一言も言っていないよ。事件について意見を聞かれたので、感じたことを喋った」 「ですけど、犯人の検討はついますって顔でしたよ。どこの辺りで気がついたんですか?追加の事実からですか?できれば私に思考のプロセスを教えてください」 「光だよ」店主は三人を視界に収めるため数度首を振った、極めて指向性の…
「お互い、様か」一言がぎこちなく読点をを求めた。 稗田は声に黄色を混ぜた、ぐっと踏ん張って、力を溜めて、解き放った。「ねえ、明日さ、会社で私の話し相手になってくれる?」 「二十年前、似たようなお願いをされた」 「誘ったのは、だって私だもん」 「変わらない」 「進歩が足りないんだね、私」かすかな笑い声。 「いや、あなたとの関係が変わらない」 「言ってくれるわね、トースト冷めるよ」 「コーヒーはとっくに飲み干した。お代わりは?それに食べたという嘘は私の皿に注ぐ視線で悟れる」 「いつか、隠し事は知られてしまうのかあ、この歳になって一つ学んだ、歳を重ねるもの案外、うん、悪くない。すいませーん」 「はい…
ようこそ、当スナックへお越しくださいました。 私はマスターの、「素姓乱雑(そせいらんぞう)」です。 前回までお話しした 「かいこ」 は、”「いや、事故が起きるまでをつぶさに知るものはいたがや」 「誰なんです、その人は」 翔梧は勢い込んで聞いた。「人と言うよりも一頭と言った方がいいだろう」 今ここにあるはずもない村人が手渡したという箱の中の、蚕がよみがえり蠢(うごめ)いた気がした。“ という内容までで...
「私に、いいたいことがあるでしょう?」稗田が尋ねた、改まった声。 「先週も聞いた質問だ」 「心境は、だって、移り変わる。相場が決まってるんだから」 「甘ったるい喋りも心境の変化がもたらしたあなたであるから、私のここまでの印象」 「抜け目がない、それは嫌悪の対象だって、わかっているくせに。もっと後輩をいたわるべき」 「話が飛んだ」 「回答をはぐらかしたのは、そっち」 「……私には生命が宿った、一時的に。その時期はたぶんあなたの付き合う時期と重なっていた。驚かないでくれる、最後まで言わせて。誰のためでもなかった、私のためだ、生命を一つ、いいえ一人殺したの。はい、殺人ね。痛みと心労は日を追って回復に…
「私のセリフ」 「言われ続けるといつか真実を帯びる、その実験」 「変なことを試してるわね、いいなあ、私とは大違い」稗田は言葉を垂らした。真下に食いついて欲しいのだろうか、それかこちらの存在に気がついたのか、あたりに散らばった彼女たちの気配が切り替わる、周囲を探る周波数で今度は跳ね返る対象物を捕まえ始めた。想像である。気配の探りあいは刑事にとっては、侍と軍人と殺し屋に次いで実生活で適度な間隔で身に降りかかる体験なのだ。よって、目に見えない意識をしばらく消した。アンテナの感度を落す、一階全体の音声を拾うことになる、しばらくはかすかに聞こえる音声による報告。 「……私が別れた理由を教えてあげようか?…
水曜日。午後二時三十六分。S駅北口コンコース内。喫茶店ルバーブ、一階、水槽前。気温十二度、うす曇、肌寒い、昨日は雨、乾燥した店内は暖房の稼働が要因。運良く、彼女たち隣に席を確保した。 「ごめん、休みの日に呼び出しちゃって」低音で多少のかさつく声が稗田真紀子。 「深夜便で近隣諸国に旅出る気力とリフレッシュの意味は未だに見出せていないもの、私用は午前中で済ませた」そっけない口調のもう一人が、真下眞子。二人は通信機器販売会社・レッドリール、駅前通り支店の社員である。 「ご注文は、いかがいたしましょう?」これはビンと弾いた弦楽器の低音みたいなウエイター。 「コーヒーとハムサンドのセットを」 「お客様、…
「あるいは、警察がね」店主は言い添える。 「ええっ、警察もグルう?」大げさに小川が声を出す。 「結局、店長の推理は屋上で殺害が敢行されて死体が発生し、従業員が外界と遮断、その後警察が駆けつけ、夜明けまで搬出を待った」顎に手を乗せた国見が女流棋士のごとく盤面を見据える。 「あの刑事さんたちもそれぐらいは予測していたんじゃないんですかね?」小川は言う。床を見つめる国見と店主を交互に見やった。「なのに、店長に捜査の行く末を聞きに訪れた。手詰まりだったにしても、捜査権が制限されたにしても、店長の推理を聞いたにしても、もらされた内容は実に一般的、というか、内容を紐解いて綺麗に並べ直しただけのことですよね…
「与えられた情報を手がかりにした、犯行場所の特定は僕には不可能だ、超能力者でもない限り、イメージで情報を呼び出す技能は持ち合わせてない、よって犯行はどこかで行われたと、ここからはじめる。死体はそれほど出血が多くなかった、死体を持ち運ぶには好都合だね、ただしだ、マスコミの目を気にしていたという事件後の証言を忘れるわけにはいかない。料理の盛り付けは配膳係りのバランスで崩れてしまうかもしれないんだ、見つかる危険を冒してまで、死体を当然ならが死体とはわからないよう包み込み、屋上に持ち上げた、これは非現実的だ。テーブルに運び目の前で、料理と対面を果たす創作・先鋭的な料理も存在はするけれど、死体を数人がか…
「従業員と警察が現場の工作に動いた、料理の工程ではどういう場面ですか?」小川が尋ねた。 「強引に食材の味を引き出す化学調味料を使用することと、出来上がりの料理に不ぞろいな彩を添えること」 「は、はああぁ」 「ひれ伏したみたい……感心なら、ほほうだろうが」 「下ろす下ろさないのくだりはどうやって説明を?」国見がいう。彼女のあんぱんは消息が不明だった。確か、電卓の横に置いてあったと思う。 「それも警察と従業員のやり取りに含まれるかな。尖った味を出来合いの調味料で覆い隠した、元の味がわからないほどの量をね」 「ちょっと苦しいですね」小川がいう。 「そうかな?そもそも死体は作られたという前提で話してい…
この記事を読んで頂きありがとうございます。皆様に読んで頂くことがモチベーションですはじめての方はこちらをご覧下さい。 『自己紹介をさせて下さい。』この記事を見…
「そうかな。出来上がりを想像し、そこから手順を後に戻る。目的地を定めずに歩き出しても到達は、……するはずはないよね。ご丁寧に標識が行き先を何気に誘導してくれる優しさや商業目的の誘いは影も足跡すら、皆無だ」首をかしげた、たんにこわばった肩をほぐしたのだ。僕は続きを話す。「出来上がる死体は翌日の朝に発見された、と報告にある。それまで死体は屋上で見つかることを避けたように偶然従業員が仕事上、屋上に上る機会に恵まれ、事態が発覚した。レセプションは光を湛えたらしい、店の入り口、通り沿いの壁がライトアップされた、光の届かない、屋上は明かりが作り出した最も見えにくい影に隠されたのだろうね、夜道が車のヘッドラ…
「レシピ?」高い声で頭の上に疑問符を浮かべる小川。 「死体を調理の産物に見立てる。想像は控えて欲しい、鮮明に絵が描くほど気分が悪くなる。出来上がった死体は幾つかの工程を経て、屋上に倒れていた。まず、屋上で死体が見つかった場面を検証してみよう」 「なんだか、料理の講習を受けてるみたい」と、小川。 「静かに」と、館山。 「死体がひとりでに歩いて、梯子を上ることは考えにくい。死体は屋上で人から死体となった、または屋上以外の場所で死体となり、運ばれた、この二つの選択が作られた。片方ずつ追って考えることにしよう。まず死体が屋上で死体と名称を変えた場合、手を下す人物の介入が必要なるね。隣接するビルからコン…
「うん、地上にいた人物ならね」 「ああ」館山が大きく頷いた。 「先輩、驚かせないでください」 「だってほら、上空に飛行船が飛んでたって……」 「飛行船は飛ばさなかった、飛行船の会社は否定してました」国見が自信を持って意見を保管する。 「お疲れ様です」隣の樽前が、顔を出した。かなり疲れた様子だ、その証拠にぐるぐると肩をまわしていた。「まだ残ってますか?」 「はい。どうぞ、警備にはこちらが応対しますので」閉店後、店の従業員は巡回警備員のチェックに立ち会わなくてはならない決まりだった。 「ええ、どうぞ、たぶん元栓のチェックだけでしょうから」 「お手数かけます」 「はい」 「樽前さん、一人で店を回して…
「なんとなく……。ようは、その場所に犯人がいたという事実じゃなくて、死体とか現場の状況とか、犯人しか知りえない情報をですよ、こうぺろっと口を滑らした、とまあ、こういった寸法です」 「また、あんたは適当に言っちゃって、少しはね、料理のほかに使用用途を見出せよな、この頭」指先で小川の側頭部が弾かれる。 「あたっつ。もうっ、痛いなあ。地下鉄の改札まで一人で行ってくださいよ。あそこは幽霊が出るって噂でしたよね、へへへへ。一番新しい路線だから、深いんです、こうぐわーっとエスカレーターが深部に誘い込むように、くふふふ」 「あながち小川さんの発言間違ってはいないよ」店主は言った。 「店長、あの私の幽霊話は噂…
「ですよね、店長は……、当然知らないですか、すいません、聞いた私が浅はかでした」 「ブルー・ウィステリアなら、昨日営業を再開したわよ」国見は話を聞いていたらしい。 「蘭さん、情報通。もしかして、店に足を運んだとか?」 「店長に渡した端末の代用品を探しにね」 「うーん、いつの間に。抜け駆けですよ」 「使えないものをもらって喜ぶ人はいないわ。それに、持ち歩くわずらわしさが腕輪の最大の売り、機能を果たせないとしたら他の機種に変えてもらう心理はむしろ、一般的な動機だよ。考えすぎてるのはどちらでしょうね」 「な、なーにを言ってるんですかね。私にはだれのことやら」 「機種変更は受け入れられました?」国見が…
それから二週間後。 ビルの新装開店の日取りに、移転先の店を開けた。店名はワンハーフポイントと名づけた。二号店でもなく、一号店とはいいにくく、しかし店のコンセプトは正しく継承してる意味合いを込めた。まあ、店名などその場所に店があれば、お客は来るのである。言わずもがな、ホームページやメディアの取材は受けない。情報誌の掲載も断る、唯一ビルのパンフッレトに営業時間と店名を載せた、もちろんしぶしぶである。ささやかな抵抗は、メニューの明記を拒んだことぐらいか。それでもたぶんお客が情報を蚊のように、食べた、見た、並んだ経験を媒介してくれるだろう。対象のお客は、この町に定期的にそれこそ毎日通う人たち、何気なく…
調理器具の到着、その連絡の二十二分後に四杯分の料金を支払い、店主は仕事に戻った。ちょうどテイクアウトの樽前に搬入器具の説明が終わった場面に飛び込み、それから三十分ほど宇木林に設置器具のメーカー、ヘルメットを被る内装業者と細かな不具合と使い勝手等、調理に関わる諸事項を打ち合わせた。電気式のピザ釜で作るピザの味はまったく懸念材料には上がらない、むしろ宇木林や調理器具メーカー側が気にかけたぐらいだ、彼らはうちの店の売りをピザと認識してるらしい、貴重なデータである。懸念は従業員からも聞こえた。しかし、使用器具の良し悪しを口にすれば、それこそ世間はいたるところで不満が蔓延している。常連客に見放されるかも…
「停電のあの日、私はあなたと同じ光を見た。ブルーとも紫ともいいがたい、色だったわ。綺麗だった、空に届いて光が居場所を見出した。みられたの、あなたと視線の先を合わせられた。それだけで十分だし、そこで理解した。ああ、私はあなたの視界を外れても、あなたが見たものがみたいのだと。透明な縄を振り回した私を消し去ったわ。そうしたら、もう、契約はどうでもよくなった。……パフォーマンスで体の欠損を演じたこれまでに、人の本心が透けて見えたの、誰もが自らの居場所が最優先だって。だから、私はあなたを見てる景色ぐらいの共有で、引き下がって見つめるの。いいよ、どこへでも誰の元でも行ってよろしい。けれど、一度だけ紙に、神…
「私という付き合う恋人がいながら、他の人と付き合う。これは私にとってありえない、異常性の高い、目にあまる、耐えがたい光景だわ。認識はそれぞれ違って当然、あなたには私がそう見えた、私にはあなたがこう見えてる」 「……いつから?」 「いつ?はじめからよ」 「作戦は無駄に終わったってことか、手間暇かけたわりに得られたもは少ないかもって今更ながらに思っただろうね」 「私のすべてよ、あなたは」 「僕は一人の人に固執しない、いいや無理なんだ。病気だよ」 「私を見られるの、その目で、それとも、ねえ、見放す?」 「……難しいね。講師の職を捨てて、店を開く。ほら、そこのビルの一階に店を構える。従業員を二人、忙し…
もう一名のお客の性別は男だと判明した、店主の真後ろ、背もたれを挟む体温と低音の声が感じ取れる。盲目の女性の大立ち回りに応えた声が室内に散らばった無秩序をかろうじて取り集めた。レッテルが貼られた、あるいは名詞が冠された、とでも言おうか、男との対話以降は、そわそわと席を立たずとも、音量、声量は会話という括りに昇華した。 新しいコーヒーが運ばれる、ウエイトレスはまたもや中腰、よっぽど盲目の女性が異質に思えたんだろう。それか、以前に横暴な振る舞いのお客に出くわした。 水筒を受け取りに来た、彼女に手渡す。 大よその退出時間を聞かれた、最高の状態、つまり淹れたてに近い状態で保温を開始したい店側の配慮はもっ…
「発見時間のずれ、それからうーん、被害者の身元の発覚、それから、あなた方の到着と捜査の開始はおよそ、想定の範囲に収まったでしょう。店側に息のかかった人物が死体を発見、身元はいずれ発覚するように関係各所の微調整と連絡をつけた。進展状況などは小出しにする捜査資料や情報で行動をコントロールするのは容易い。仮に、お二人が予見された行動を逸脱しても、事件の核心には粉骨砕身、働いても到達は無理だった、ということがいえる」 「あなたも憶測で話すのですね」種田はいう。 「コーヒーの作り方と何が関係してるんだろう……」思い悩んでいるみたいに加熱ぶりに忙しい種田と対照的におっとりとした口調で鈴木が呟いた。 「まだ…
鈴木は店員を解放する。 「違うとは言い難い、ようです」鈴木は苦笑いを浮かべた。「うーんなんとも要領を得ないというか、豆によっても抽出ですか、お湯を注ぐ温度や湯量も異なって、機械を使った場合、あっと、わっとなんだったか、ハンドドリップだとかなりその工程に差は生まれるけれどもです、あのような作り方は大よそ理に適った作り方だろう、とのことでした、はい」ふう、と鈴木は灰皿に置いた煙草を手にとって吸い込んだ。 足並みが不ぞろい、種田が単独で話を引き戻した。「S市警察が組織の利害関係に帰属した事実の閉口、とあなたの見解ですが、事前に発言を禁じる、これがS市警察の妥当な応対ではないのでしょうか」 「S市警察…
作り方か、……より具体的に示したということか、うんうん。 「納得されたようなので、その考えを音声に変換しなさい」 「種田、おまえ、馬鹿っ、誰にでも通用すると思ったら大間違えだぞ」 「構いませんよ。意図的にこちらの感情を逆なでする、目的が明らかであると、何気ない無知な言葉遣いほど、汚らしさは感じない」この一本でどうか解放されますように、店主は二本目の指に挟む煙草に願いを込めた。短冊に自らの願いを、サンタクロースにプレゼントを誕生日に記念日に年中行事に占いに神に仏に、願ってばかりの人と比べても遜色なく僕の数十年に一度の願いは成就されてしかるべき。「いいでしょう。話しますよ」 「どうぞ」 「おい種田…
「質問を変えます。あの女の発言を紙にまとめた内容が一部不可解に思えて、理解に及びません」 「それを私に応えろと?」店主はいう。 「先ほどの質問は回答を拒否されたので」 「日常会話でも相手のプライバシーや当人が気に留める内容に触れた場合、黙秘を貫く権利は社会に残される、わずかならが信じてましたけれど、もう個人の領域は取れ払われたのですか?世知辛い世の中ですね」僕は二人を見た、そして煙草の灰を灰皿に落とす。 「市民は……」種田の発言を店主は奪った。 「市民は、警察に協力体制を惜しまない、それが日本国民の使命である」店主は肩を竦めてみせた。 「理解しているのならば、質問の回答をお聞かせ願いたい」 「…
「おそらく事件の公表は正当に情報開示が行われた。しかし、それと今回の集団卒倒を結びつける材料が極めて少ないのです」 「と、いいますと?」灰皿を叩いて、リズムを取った。僕は煙を吸い込む。 「ブルー・ウィステリアの番地ですよ」鈴木が言う。「明治の終わりから昭和の初期にかけて建造された建物は当時、番地という細かい区分けがなかったので、その時代につけられた番地がそのまま建物を示しているのです。建物を買い取った代々の企業が大手の有名どころで占められていたことも加味したんでしょうね、郵便物の配達があて先不明で送り返されずに、目立つ建物に届いた。<S市中央区3>、住所はここで終わります」 「新聞等のニュース…
「その方に家族は?」 「ええ、妻と娘がいます。被害届けは……、はい、提出されてませんね。会社側が異常事態だと奥さんに告げても、取り合ってもらえなかったということです。なんでも、以前から外泊が多くて、家に帰ることは少なかったと。仕事の煩雑期は自宅に帰る時間を惜しんで、ホテルや支店の二階に泊まり込んでいた様子です」 「何者が私たちを誘導すると、言うのでしょうか、納得のいく説明が聞きたい」種田は半眼で睨みつける、肉を狙う獰猛な猫科の肉食獣にみえた。性別の関与だったら面白い、それは対抗心と名前がつく。 店主は斜め上を見つめた。 覚えてる記憶では、被害者と店の支店長は同一人物であると噂した喫茶店内の会話…
「伝えたときは事実でありました」 「なんら落ち度はなかった、そうおっしゃりたい?」 「いいえ、初めて飛行船協会を訪れた際に飛田の正体を見破れるでしょうか?」 「尋ねたのは私です」 不穏な空気を察して鈴木がフォロー。「正直、事件の翌日に飛行船協会の所在が浮かび上がったのはサイト上に蔓延した目撃情報が元です。現場周辺の聞き込みが禁じられて、僕らの打つ手が、停電と飛行船ぐらいだった。停電は電力会社をS市警察が調べるでしょうから、死亡時刻前後の屋上を望める位置は、周辺のビルか、上空しかなかった」 「なるほど、かろうじて理由は成り立ちますかね」 「店長さんの納得はこの際取っ払って、あの、我々の質問に明確…
「私が吸います」店主が言った。種田を見つめる、この程度の譲歩は受け入れて欲しい、そう目に意思を込めた。 ブラインドが下げられる。ウエイトレスが気を利かせたらしいが、僕はすぐに体をねじって、外が見える程度にブラインドの羽を調節してもらう。 体に縞模様が浮かんだ。 煙草を吸うつもりはなかった。立場の優位性を嫌ったのだ、ここは喫茶店で、相手は刑事、とはいえ僕の店ではない。よって、対等に接するための足場を作った、といえるか。自らの行動を振り返り、言葉に意味をつける店主。 僕が吸い、鈴木が後を追う。種田はコーヒーを口に運んだ、カップの接触面積、その滞在時間は極端に少ない。猫舌だろうか、店主は何の気なしに…
「店長さんが、その、なんといいますか」挨拶以後、種田との会話を見守る鈴木が言った。「集団卒倒の原因と、S市警察が疑いをかけてまして……」 「もう、屋上の死体の身元、犯人は捕まったのでしょうか?」店主は話題を変える、鈴木たちの質問に答える価値を見出せない、正面切った否定は種田という女性刑事の神経を逆なでするし、やんわりとした拒否は鈴木の余計な気遣いが始まる、聞いてはいるが返答を避ける、そのポーズで汲み取ってもらおう、僕は目を細めて視線を外に流した。 「私は集団卒倒の事情聴取に窺った、その点をお忘れなく」凄みを利かせた種田の目線だった。一度合わせて離す。 「ええ」 並べられたコーヒーを三人が各自の…
幸い、開店間もない時間が功を奏したのかどうかは、正しい状況説明とはいえないけれど、ウエイトレスの特段に興味を湛えた視線、彼女の一人分の関心が留まったのだから、上出来だろう。正午過ぎのかきいれどきだったならば、目も当てられない、それこそこの端末の使用をやめるよう指摘を受けたかもしれないのだ。 一分も経っていない。店のドアが開く。窓際の奥の席、ドアを入って、左側に僕が見えただろう。他のお客の出入りに気分が損なわれない、そのために入り口に背を向けて座っている。 「失礼します」 「どうも、朝から押しかけてしまって」二人の刑事は特徴的な表情をそれぞれ浮かべ、席に着いた。鈴木が手を上げて、コーヒーを注文し…
見計らったと勘ぐるほどに席に着くと端末が震えた。慣れていないと飛び起きそう、心の準備が必要なぐらいだった、……通話後に設定を変えなくては。 「はい」電話の応答とウエイトレスの注文が重なる、メニューを指差して、一人にさせてもらった。僕は腕輪に呼びかる。 「おはようございます」 「ご用件は?」予定の時刻はそろそろであった。ただ、搬入口に面した店主が見下ろすとおりにトラックの姿は未確認。 「実は、厨房機器のメーカーが別の注文先に間違って配送したらしくて、二十分から三十分、そうですねえ、予定が遅れるかもわかりません」電話の相手は商業ビル改装のサンダーストーム代表の宇木林である。無駄にジェントルな声だ。…
僕の店を通り過ぎる。深夜から作業が行われ、日中は音の出る作業を控えて取り掛かるらしい、近隣店舗の兼ね合いがこうした密集区域では至上命題とも言えるし、これを怠ればギスギスした関係性が生まれ、大事に発展しかねない、とまあ、後半は最悪の事態、考えすぎたきらいはあるけれど、現実に起こった場面は過去に見てきた店主である、なので、リスクは事前に回避可能ならば、手を打つべきだろうと、桂木に話しあい、事前に左右、正面、斜向かいに手土産を持って挨拶を繰り出したのが、先週での土曜だった。出店の挨拶を省いたときとは事情が異なるのだから、その辺は僕も大人になったといえるだろうか。かなり遅い大人への第一歩である。 コー…
「ええ、今日からです。うるさいでしょうけれど、大目に見てください」 「いいえ、僕は後からやってきた新入りですので、意見なんて言えた立場ではありませんから、はい」樽前は気後れしたようで、数秒虚空を見つめるように、僕を視線を合わせた。背後で音声が鳴る。前のお客のコーヒーが出来上がったようだ、提供に応じた彼なりの選別方法があるようだ、天板のメニュー表にコーヒーの量と飲み干す大よその時間区分で勧めるコーヒーの種類が異なるらしい、店主はふんふんと首を縦に動かす。 「うちは量によって焙煎の種類を予め選んであります」興味深げに僕の動作が見えたらしい、前のお客にカップを手渡すと、樽前は説明を始めた。「特殊な豆…
店の斜向かい、テイクアウトの行列に店主は並んだ。前を通りかかったときは、ちょうど店のオーナー、樽前は背を向けていたので、こちらの存在には気がついていなかった。列は十人、いいや九人が並ぶ。朝方の六時過ぎ。こんな時間から働く人はいるものだ、そういう自分も早朝労働者の一員ではあるが、今日は気楽な身分、移転先のビルの完成具合を確かめに早々と家を出た。いつもの癖で目が覚めた、これが理由だった。とにかく、することがなかったのだ。料理を思いつくにも、提供の場があって、観測と翌日の課題・展開が生まれる。空想で作っても仕方がない。だったら自宅で作れば、そういった意見には、自宅は休息の場であり、仕事は仕事場で完遂…
しかし、地上に上がったはいいものの、店に入れるわけではないのだ。 昨日の日曜から耐震工事がとうとう、というか移転が決まるや否や、移転先の内装が決まったのが先々週の始め、路上で倒れた通行人の介抱に当った二日後で、その翌日には今日の日程が組まれたスケジュールを不動産屋の桂木が無理を承知で頼み込んだのだ。しかも、工事を請け負う業者にはスケジュールの日程を既に伝えてあるというのだから、これまた従業員、特にホール係兼経理担当の国見蘭の霹靂が落ちたことは記憶に新しい。ただ、そこは桂木の思惑に流され、僕は営業停止期間の売り上げ分は移転先の諸経費に回すことを提案した。その場での回答は見送られたが、後日数日後に…
S市の中央区仲通りで起きた集団卒倒は、通信端末ブルー・ウィステリアの新製品が要因と特定された。体調不良を訴える患者は全国で八百万人を超え、発症予備軍は更に三百万人との推定が経済省の調べで発覚した。現行は製品の使用中止を訴え、先週までに耳鳴り、めまい、気絶等の発症者数は減少傾向にあり、今後も注意を呼びかけていく、とブルー・ウィステリア会長は会見で語った。<現地時間午後八時十二分> 画面が切り替わった、台風の被害報告と再上陸の情報は見る価値もない。必要であればこちらから積極的に取得するのだ、店主は地下鉄の改札脇から足を踏み出した。数分ほど、いつもより滞在時間が長い。天気予報を見るつもりが、拡大鏡を…
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「はい」 「無事だったようね」数時間ぶりの再会?会ってないのだから、再会話とでも言おう。 「ええ、手荒なまねを受けました。あなたが出してくれたのですね」 「そういうことにしておいて。あまり電話では喋れないの」盗聴を警戒した発言、彼女の敵とは何者だろうか、僕は当てもなくアンテナを四方に向けた。 「飛行船場で何が起きたのかをこれから確かめます」 「お勧めはしない。いずれ知れることですし、あなたが足を運ぶ訪問先にあなたを見つけるや否や拘束に駆り立てる機能がインプットされた連中がひしめいてるわ。悪いことは言わない、自宅で静かに暮らしていて」 「あの家はいつまで借りられます?」 「気に入った?」 「地下…
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何のことだろう、従業員といえば、舞先しかいない。しかし、彼女は雇われた身分、要するに電話口で別れを告げた女性が派遣したこちらの内情を知る人物。いわれのない罪が降りかかろうとしている、けれど妙に達観した観測は続くらしい。だって、彼女の忠告と彼らの訪問した理由は違うのだから。笑いが増幅。 「なにがおかしい?」捜査員は言う。 「根拠、あるいはそれなりの証拠があって、拘束とプライバシーの侵害に踏み切ったのでしょうね、刑事さん」 「証拠は作り上げる。するとお前は罪を償い、拘束と侵害は合法の元に引き波に返され、大海原に飲み込まれる」 「詩人ですね」 「弁護士を雇っても状況は覆らない。決定的な証拠がここから…
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「じゃあ、ホットドックを用意してください。安っぽくて、妙に固く、しかし食べ応えと飽きのこない味のやつを」 「研究者って味覚の鋭敏さを嫌う人が多いのね、どうしてかしら、おいしさは思考過程で除外されるんだろうか……」彼女は電話口で考え込む、悠長に唸っている芝居が、たまらなく可笑しい。この非常時に僕は笑いをこらえる、そのことも笑みを増幅させるのだからしかたないではないか。 息を整えて、通告。「約束ですから、守ってくださいよ、ギブアンドテイクです」 「エネルギー保存の法則ね。覚えておくわ」 がちゃりと通話が切れる。僕は口元を緩めた、にやけるおかしな奴、という認識で見られるだろう。他人の視線を気にする、…
ご観覧をありがとう。忘れ物をなさいませんよう、今一度座席をお確かめになって9-4
「洗いざらい僕の身辺は洗ったんじゃないのですか?」 「そのつもりだけど」ポーンとエレベーターの着地音が受話器の彼女の背後に聞こえた、ビジョンが鮮明に浮かび上がる。やはりホテルにいるらしい。 「逃げるべきですかね」 ドアがノック。二回、叩かれた。この位置からドアは死角になる、ベッドの足元に移って短い廊下の先がドアだ。 「来ました」 「あれ、もう?思ったより早かったわね」 「アドバイスがあれが聞いておきますよ」 「なあに、危険を感じて肝が据わったの。ふうん、案外度胸は備わってるんだ」 「忠告でもこの際構いませんよ」落ち着いてる自分を一歩引いて僕は更に客観的に見つめる。緊張のピークに訪れる、稀有な現…
ご観覧をありがとう。忘れ物をなさいませんよう、今一度座席をお確かめになって9-3
「はい」 「あら、ごめんなさい。いい気分で眠っていた?」女性の声だ、低音で声に香水が含まれてるみたいに、艶やかだった。 「眠ってはいない。まだ、午前中ですよ」 「そうね。それにしても、チェックインの時間早々に部屋に篭ったっきり出てこないつもり?あなた、自分が置かれた状況がわかっているのかしら、……緩慢ね」棘のある言い方、節回し。だが、私には危険を伝える、という警告のみが内部に届く。表面的な言葉の使い方、その違いや正当性さえ、多くの人物が使用してまとめ上げた規定の元に成り立っているのは、つまり何者かが言葉の選択を担い、広めて、現在の使用を牛耳ってこれまで生きてきた。だったら、相手がいかにも低俗な…
ご観覧をありがとう。忘れ物をなさいませんよう、今一度座席をお確かめになって9-2
選択肢はあまるほどに、手に持ちきれないほど、こぼれんばかりに、否、残されたものたちは私の無意識の選択によって予備予選なるものを通過してるんだ。仕方ない、無意識の仕業、これまでの私を形作る、いわば戦友だ。無下に扱っては罰が当る。そうだろうか?問い返す、男はベッドに寝転んだ。禁煙室を選んだが、かすかな煙草の残り香が鼻をつく。安さが売りの人気のホテル。 これまでの私をしかし、捨て去るべきが肝要だろうな。要、肝、似た言葉を並べた造り言葉。こうして言葉を強める。誰かが言い始めたんだろうな、私は薄ぼんやり、目を半眼に、天井のクロス、植物の模様、蔓を目で追い、左手でなぞった。そうだ、使い始めは世の中で自分の…
ご観覧をありがとう。忘れ物をなさいませんよう、今一度座席をお確かめになって9-1
もう駄目かもしれない、私の開発人生は幕を閉じようとしてる、今後の生活?ここが最到達点だ、これより下に下りたい、と誰が心底願えるのか、興味深い研究対象ではある。だが、私はせまり来る魔の手に抗う術を見出さなければ。 ホテルの一室、最上階のスイートに泊まる資金は潤沢に、余りあるが、寝室は適度に手狭な方に軍配がいつも上がる。しかも、老朽化が目立つホテルにいたっては古いという印象を越えたのちの新鮮さは何物にも変えがたく、それはデザインは不変である、これを如実に示している、といえよう。とにかく、小ぢんまり、収まりがいい室内が快適である、男は手荷物を隣に乗せたまま、ベッドでかれこれ二十分を過ごす。何をするで…
『機動新世紀GUNDAM X』の主人公はMSの操縦がうまいことを除けばどこにでもいそうな少年だ。作風も戦争では…
『機動新世紀GUNDAM X』の主人公はMSの操縦がうまいことを除けばどこにでもいそうな少年だ。作風も戦争ではなく、各個人の因縁による小競り合いという、規模の狭い物語ではあるが登場するMS群はかなり異色で強力な機体が多い中、主人公の乗るDXはそのもっともたるもので圧倒的な火力を誇る。ただし、条件がそろわないと使用できないという乱用できないような設定になっている。 MGとして模型化されたものは少なく、今のところ主人公機体のX、DXとXの三号機しかない。今回はその中のDXを紹介しよう。 Beam rifle、Beam saber、盾、差し替えの手。Saberは他のMGのただまっすぐに伸びたものでは…
名作に使われる背景音楽、それもまたまさに名曲と言って違わない
MG Wing Gundam Zero Ver.Kaを作成しているときにふと、気が付いたのは宇宙世紀作品のBGMや歌曲集 機動戦士Gundam、Z、ZZ、ν、U.C.、F91の通常BGMと交響曲を所持しているのにVを持っていないことに気が付いた。現在でも通常の価格で流通していたので迷いなく即購入した。 買ってから知ったことなのだが、VのBGMの作曲家は幅広い分野、『日曜美術館』等の一般教養番組や娯楽番組、映画から J-Animation、Video gameまで手掛けている千住明だった。 実際に聞いてみると他のGundam作品の音の広がりや曲調が明らかに違うのを感じられるがGundamの作中に…
ご観覧をありがとう。忘れ物をなさいませんよう、今一度座席をお確かめになって8-8
まだ店は営業を続ける、装着は閉店まで控える、通話は証明されたし、これ以上の機能が必要に思えない、必要かもしれないし、便利で生活を豊かに、一日の時間に余裕が姿を見せるのかも、ただ、現在の生活には不必要だろう。使ってもいないのに断定するべきではない、いくつか忌憚のない意見が聞こえそうだ。取り合わずにいよう。それが理想。 平茸、マッシュルームをふんだんに盛り込んだオムライスがランチの主役。 ご飯の味付けは何が最適だろうか。 切り替え。 きのこと合うのはデミグラス、醤油ベースも悪くない、ケチャップはありきたりだ。出汁をふんだんにとったかえしなんてのも乙。 腕輪の決め手はなんだったのか、店主はふと、レジ…
ご観覧をありがとう。忘れ物をなさいませんよう、今一度座席をお確かめになって8-7
「あっと、かかってきましたよう」手元の端末が青く、いいや紫に点滅、鳴動を繰り返す。初期設定ではこうした音声がデフォルトに設定されるのか、いいかげんに無音を通常の仕様に変更できないものだろうか、店主は色合いを濃い紫に断定した。離れれみると青く、近づけば紫。 「もしもし」重なる館山の低音が耳に届いた、狭い空間で声が反響したみたい。小川が館山と端末を挟んで耳を寄せた。 「おー、聞こえます、聞こえます。感度良好、こちら安佐です。どうも、どうぞ、どうか、どうして。本日は晴天なり。トウデイ、イズ、ア、ファイン、デイズ」 「馬鹿。運動会じゃないんだぞ、それも町内会の」館山が回線を切る。プープープー、と回線音…