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洞雲山 王林寺(→神奈川県川崎市多摩区菅馬場2丁目)は、僧の蔵雲西庵が開山した臨済宗建長寺派寺院です。蔵雲西庵は江戸時代前期の1619(元和5)年1月22日に死去しているため、創建はそれ以前であることが分かります。江戸時代には本山・末寺の制により仙谷山 寿福寺(→神奈川県川崎市多摩区菅仙谷1丁目)の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。王林寺は巨福山 建長興国禅寺(→建長寺、神奈川県鎌倉市山ノ内)と同じく地蔵菩薩を本尊と...
金剛山 福昌寺(→神奈川県川崎市多摩区菅北浦5丁目)は、寺伝によると安土桃山時代前期の1573(天正元)年に僧の恵賢が開山したと伝わる天台宗寺院です。当初は現在の野戸呂稲荷神社(→神奈川県川崎市多摩区菅野戸呂)あたりに建立されたようですが、江戸時代初期に現在地に移転したようです。戦国時代の小沢七村は、小田原北条氏の家臣佐保田河内守某・佐保田山城守政房父子が治めていたため、野戸呂稲荷社あたりへの建立は佐保田氏が行...
菅北浦子之神社(すげきらうらねのじんじゃ→神奈川県川崎市多摩区菅北浦5丁目)は、創建年代などは不詳ですが、鎌倉時代には前身となる社(やしろ)が稲毛領小沢郷7ヶ村の総鎮守であったと記されています。小沢郷は、旧橘樹郡菅村・細山村・金程村(→現在の川崎市多摩区・麻生区)、旧多磨郡坂浜村(→現在の東京都稲城市)付近にかかる範囲と推定されます。これらには鎌倉時代前期の御家人稲毛三郎重成(→小山田有重の子、北条時政の娘婿、...