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こんにちは、めいですお元気ですか 沼田城。 真田信之公と小松姫様のもとへ参上しためい。 参上は「目上の人の所に行くこと」の謙譲語です。 真田犬めいは 単…
戦国時代に存在感を示した真田氏と難攻不落の上田城を訪ねる「上田城跡」(長野県上田市)
「上田城」は真田昌幸にによって戦国時代に築城された平城である。真田氏はNHK大河ドラマでも登場した武家で、信州の小国にあって甲斐の武田信玄の家臣となり、武田家滅亡後は自立、織田信長、徳川家康や北条氏、上杉氏、豊臣氏とも関係性を持ちながら戦国時代を生きた一
千曲川の段丘崖に拠って築かれた上田城。 徳川の大軍を2度退けたことで、真田氏の城として認識されています。 実際、始発の新幹線で降り立った上田は、圧倒的な「真田推し」。 ただ、真田氏の上田城は関ヶ原の戦い後破却されており、真田信之は三の丸の跡地に新たに居館を築きました。 現在の上田高校がその跡地。 真田氏転封後も使用され、堀と土塁、表門と塀が残ります。 そしてその北側に古屋敷と絵図に記載のある屋敷跡があります。 現在は上田市立清明小学校になっています。 二の丸の堀端、東虎口に出ました。 城内に入る前に、堀底に降りてみます。 堀底は現在遊歩道になっていますが、1972年までは上田交通真田傍陽線が走…
稲姫は徳川家康の家臣である本多忠勝の娘で、家康の養女となり、真田信幸(のち信之)に嫁ぎました。小松姫、小松殿とも称されています。犬伏で、夫の真田信幸と袂を分かった真田昌幸・信繁父子が、上田城に戻る際、沼田城に立ち寄り、舅の昌幸が、孫の顔が見たいので城の中に入れて欲しいと頼みますが、「舅といえども、今は敵。夫の留守中に入れることはできない。」と、稲姫は開門を拒否。この稲姫の行動に、「さすがは武士の妻...
本堂の西側に、上田城主・仙石氏の霊廟があります。霊廟とは、墓とその霊魂を祀るお堂の一体をいうもので、江戸時代初期から中期にかけ、大名たちは家柄や禄高に応じた規模の霊廟をよく菩提寺などに建てていたそうです。仙石氏は三代にわたり、84年間上田に在城しました。真田信幸に代わり上田城主になった小諸城主の仙石忠政は、常福寺を修築し、小諸の菩提寺・宝仙寺をここに移し、その翌年、父・秀久の墓を改装し、秀久の戒名「...
長野県上田市の芳泉寺は、歴代の上田藩主の菩提寺で、真田信幸(之)の正室・稲姫(小松姫)の墓がある寺院です。後に真田氏に代わって、入封した仙石氏が改称するまでは、常福寺という名の寺でした。山門芳泉寺山門には六文銭と三つ葉葵の紋が入っており、徳川・真田の関係を表しています。 真田家の六文銭の紋徳川家の三つ葉葵の紋仙石氏の永楽通宝銭の紋浄土宗月影杏葉の宗紋境内から見た山門不見の岩(別名:天狗の岩)参道に沿...
上田城の3つの櫓の見学を終え、お城の周りをぐるっと散策。花木園では、ツツジ、ハナミズキをはじめ、春の花が満開でした。上田招魂社当招魂社は、戊辰戦役従軍の戦死者をはじめ、日清・日露戦争から大東亜戦争に至る間国家のために亡くなった人々の英霊を祀っています。お濠に沿って歩いていると、隅欠(すみおとし)という看板が見えてきます。隅欠は、上田城の特徴のひとつで、鬼門の方角である北東の隅の土塁を切り込んで、鬼...
天正11年(1583)真田昌幸によって築城された上田城は、第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城として知られています。東虎口櫓門から城内に入ります。櫓門の手前から見た空堀。櫓門をくぐる前、右側の石垣の中に真田石があります。高さ2.5m、幅3mの城内最大の石です。真田信之が上田城から松代に移る際、父の形見として持ち去ろうとしたが動かなかったという伝説が残されています。この楼門は、北櫓と...
寒松山 大林寺(だいりんじ→長野県長野市松代町)は、江戸時代初期の1622(元和8)年に上田藩主真田信之(9万5000石)が松代藩(13万石)に加増の形で移封された際に、信之・信繁兄弟の生母山手殿(寒松院)の菩提寺として創建した曹洞宗寺院です。1613(慶長18)年6月に上田で死去した山手殿は上田の大輪寺(だいりんじ→長野県上田市中央北1丁目)に埋葬されましたが、松代移封にともない信之は改めて大林寺を菩提寺として墓所を作り直しました...
今日は真田で知られる 上田城【信濃国】を紹介します。 天下の徳川を2度までも撃退したと言うことで有名になったのがこの城でした。 しかしながら関ヶ原の戦い後にこの上田城は徹底的に破城されてしまい
今日は【紀伊国】真田庵(※善名称院)の紹介です。 ここはかの真田親子(※昌幸・信繁)が、関ヶ原の合戦にて負けた西軍側であったことからこの地に流され蟄居生活を送った際の建物があったと言われる場所で
沼田城跡で安土桃山~江戸時代(16世紀末~17世紀)に造られた天守の柱を支えていたと考えられる礎石が2基が発見された。 初代城主の真田信之時代と、5代信利時代の天守のものとみられるという。[上毛新聞]...
今回のお城は 松代城【信濃国】の紹介です。 この城の起源は、武田信玄と上杉謙信が覇権を争っていた「川中島の戦い」の際に武田方が最前線の拠点として築城したようで、当時は海津城と言う名称であった
5/2(日)2016年の大河ドラマ「真田丸」ハマったなぁ~。真田幸村(信繁)のお父さんの真田昌幸の城、上田城。いつか行きたい、行きたいと思いながら、、、やっと来たでー。上田合戦においては、徳川の大軍を2度にわたって撃墜した難攻不落の城。かっこええなぁ~。ドラマ中でも描かれていたお父さんの「真田が生き残るために」という強い気持ち。関ケ原の戦いで、お父さんと次男の信繁は西軍の石田三成側に。長男の信之は東軍の...