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岡上神社(→神奈川県川崎市麻生区岡上)は、明治時代後期の1909(明治42)年3月16日に、国の一村一社政策により、剣明神社・日枝神社・宝殿稲荷社・関戸神社の4社を岡上村の中央にあった諏訪神社に合祀し、地名をとって「岡上神社」としたと伝わります。現在の岡上は周囲を東京都町田市と神奈川県横浜市青葉区に囲まれていますが、川崎市麻生区の飛び地となっています。合祀元となった剣神明社と諏訪神社は、どちらも創建年代等の詳細...
月読神社(→神奈川県川崎市麻生区上麻生)は、戦国時代の1534(天文3)年に麻生郷の領主小島佐渡守が伊勢神宮別宮の月読宮を勧請じ、居所の亀井城(→月読神社の敷地内)の東に社(やしろ)を建てたのが始まりです。江戸時代には上麻生村と下麻生村の鎮守社として崇敬を集めていたといいます。明治時代後期の1906(明治39)年に一村一社の勅令が発布され、全国的に「一村一社運動」が展開されます。月読神社も近隣の白山神社(山口谷)・熊野神...
土橋神社(つちはしじんじゃ→神奈川県川崎市宮前区土橋1丁目)は、創建年代等の詳細は不明ですが、神奈川県神社庁によると江戸時代前期の寛文(→1661年~1673年)以前の創建といい、往時は「神明社」あるいは「神明宮」と称していたようです。明治時代後期の1907(明治40)年に国の一村一社政策を受け、土橋村内の神明社他10社を合併して土橋神社と改称したと記されます。現在の社殿は1973(昭和48)年4月に、奥殿は1995(平成7)年にそれぞ...
小台稲荷神社・八幡神社(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
小台稲荷神社・八幡神社(→神奈川県川崎市宮前区宮前平2丁目)は、創建年代の詳細は不明ですが、江戸時代中期には徳川将軍家の旗本川勝主税(かわかつちから)の所領に創建され、村民が祭祀を司ったと記される八幡社です。明治時代末期の1910(明治43)年に国の一村一社政策および神社統合令を受け馬絹神社(→神奈川県川崎市宮前区馬絹5丁目)に合祀されましたが、そこから小台八幡神社として分祀され今に至るといいます。〖八幡神社の祭神...
有馬神明神社(→神奈川県川崎市宮前区有馬5丁目)は、創建年代等の詳細は不明ですが、江戸時代後期の1845(弘化2)年12月の再建とあり、同年12月の「有馬村明細帳」によれば、当時村内には神明社2社と杉山社の計3社があったといい、これらが明治時代後期の1910(明治43)年に国の一村一社政策を受けて合祀し、有馬神明神社になったと記されます。もとの神明社2社は、江戸時代には旗本の遠山政之助(とおやままさのすけ)と曾根主税(そねち...
唐木田稲荷神社(→東京都多摩市唐木田1丁目)は、江戸時代後期の1843(天保14)年に上落合村の組頭(→村方三役の1つ、名主の補佐役)の横倉重衛門が記したものを下落合村の有山文衛門が書き写したという『落合旧記』によると、現在も唐木田に住んでいる唐木田三家(→横倉家・高村家・古沢家)が江戸時代初期に稲荷社を氏神として祀ったことから始まります。明治時代後期には国の一村一社政策を受けて近くの秋葉社を合祀したようです。現在...
山神社(→東京都多摩市桜ケ丘4丁目)は、戦国時代の1557(弘治3)年に吉祥山 寿徳寺の僧守頓坊が、出身地の山城国(→京都府)から取り寄せた岩石を神体として寺域に創建したと伝わります。江戸時代前期の1648(慶安元)に寺方村の鎮守社と幕府に認められ、寿徳寺が別当寺として祭祀を司りました。記録には、1826(文政9)年と1839(天保9)年に寺方村・原関戸村・新田村の3村で屋根の葺き替えと太鼓の張替えを行い、ペリー来航の7年前にあたる1...
白髭神社(しらひげじんじゃ→神奈川県川崎市高津区北見方2丁目)は、創建の詳細は不明ですが、江戸時代前期の1610(慶長15)年に北見方村の鎮守(→北見方総社)として伊勢猿田彦神社(→三重県伊勢市宇治浦田2丁目)を勧請して建てられたと伝わります。北見方にあるので「北見方白髭神社」とも呼ばれます。江戸時代には真言宗智山派寺院の白王山 正福寺(→神奈川県川崎市高津区北見方2丁目)が別当寺として祭祀を司りましたが、たびたび多摩川...
神木天満宮(しぼくてんまんぐう→神奈川県川崎市宮前区神木本町3丁目)は、創建年代等は不詳ですが江戸時代には赤城社と呼ばれ、天台宗寺院の神木山 等覚院 長徳寺(→神奈川県川崎市宮前区神木本町1丁目)が別当寺として祭祀を司っていました。神仏習合の頃に五所権現社と呼ばれていた長尾神社(→神奈川県川崎市多摩区長尾3丁目)と隔年で例祭を実施していたと記されます。1868(明治元)年に明治政府の神仏分離令により等覚院との別当関係...
平尾杉山神社(→東京都稲城市平尾)は鶴見川流域に72社ある杉山神社のうちの1社で、その中でも最も上流域にあるといわれています。創建年代は不詳ですが、神仏習合の頃の戦国時代前期の1492(延徳4)年に社殿を再建し、神体として「武州児玉郡金屋村住人中村五郎衛門家吉敬白延徳二年五月五日」と刻された不動明王の懸仏(かけぼとけ→鏡面に付けられた神像や仏像)が奉納されました。しかし、この懸仏の神体は江戸時代末期の幕末期に失わ...
野川神明社(→神奈川県川崎市宮前区野川)は、創建年代などは不詳ですが、江戸時代には韋駄天社(いだてんしゃ)と称しており、江戸時代には天台宗寺院の聚海山 正観院 西蔵寺(→神奈川県川崎市宮前区野川)が別当寺として祭祀を司っていました。明治時代後期の1908(明治41)年に国の一村一社政策を受けて近くの子神社(ねのじんじゃ)・神明宮・第六天社が合祀され、神明社(野川神明社)となりました。〖祭神〗・天照大神(あまてらすおおみ...
たちばな台子ノ神社(ねのじんじゃ→神奈川県横浜市青葉区たちばな台2丁目)は、創建年代は不詳ですが、江戸時代には成合村(→現在の成合町)の鎮守として記されており、明治時代後期の1908(明治41)年3月に国の一村一社政策を受けて近隣の浅間社を合祀して社殿を改築しました。さらに昭和時代後期の1976(昭和51)年5月に出雲大社(→島根県出雲市大社町杵築東)より祭神を勧請して社殿を新築し、成合町の産土神として地元の崇敬を集めていま...
みたけ台杉山神社(→神奈川県横浜市青葉区みたけ台)は、創建年代は不詳ですが社伝では戦国時代中期の天文年間(1532年~1555年)に創建されたと伝わります。他にも鎌倉幕府初代将軍の源頼朝が崇敬したという伝承も残りますが、これは後世の創作と思われます。江戸時代にはこの地の地頭(→領主)の渡辺氏が年初穂米1俵を寄進し、造営・修理などのたびに特別扶持米を奉納しています。また、医王山 薬王院 東光寺(→現在は廃寺、医薬神社の...
東方天満宮(→神奈川県横浜市都筑区)は、創建年代は不明ですがもとは字天神山(→神奈川県横浜市泉区字天神山)にあった社(やしろ)を安土桃山時代に現在地に移したと記されています。神仏習合の江戸時代には天神社と呼ばれ、高野山真言宗の高貴山 福聚院 正覚寺(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)が別当寺として祭祀を司っていました。明治時代末期の一村一社政策を受け、1909(明治42)年に近隣の八幡社・神明社・愛宕社・御嶽社・稲荷社と...
汁守神社(→神奈川県川崎市麻生区黒川1丁目)は創建年代は不詳ながら神仏習合時代には不動尊を本地仏(→神の本体)として祀る汁守神明社として崇敬されていました。江戸時代には金剛寺が別当寺として祭祀を司っていたようです。国の一村一社政策により1914(大正3)年に近隣の日枝神社などが合祀され、神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんしゃ→勅令に基づき例祭に神奈川県知事から金銭が贈られる神社)に指定されました...
早野子ノ神社(→神奈川県川崎市麻生区早野)は、江戸時代の1703(元禄16)年9月26日に創建された神社で、別当寺を持たず村民が祭祀を司ったと記されます。社殿は1734(享保19)年5月と1928(昭和3)年に再建されたようです。1921(大正10)年に国の一村一社政策を受け近くの稲荷社・浅間社が合祀されました。1928(昭和3)年には神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうじんしゃ)となり、勅令に基づいて神奈川県知事から例祭などの神...
大蔵春日神社(→東京都町田市大蔵町)は、江戸時代前期の1707(宝永4)年9月に別当寺(→神仏習合の時代に神社の祭祀を司った寺)の関本山 蔵福寺の僧頼盛によって創建された春日大社(→奈良県奈良市春日野町)の分霊を祀る神社です。宝永4年は犬公方(いぬくぼう)こと5代将軍徳川綱吉(つなよし)による政治が行われていた時代で、江戸幕府から寺領8石が蔵福寺に与えられ、そのうち3石が大蔵春日神社の社領に充てられたようです。江戸時...
栗木御嶽神社(→神奈川県川崎市麻生区栗木1丁目)は、旧武蔵国都築郡栗木村にあった日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭神とする村社御嶽神社と素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祭神とする無格社八雲神社(やくもじんじゃ)を、明治時代後期の1906(明治39)年に出された一村一社の勅令により、八雲神社の境内に両社を合祀して創建された神社です。現在の社殿は昭和時代後期の1987(昭和62)年に土地区画整備事業の一環で旧社殿の解体、遷座後...