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宇治の地は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていました。現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる嵯峨源氏の左大臣・源融が営んだ別荘だったものが陽成天皇、宇多天皇に渡り、朱雀天皇の離宮「宇治院」となり、それが宇多天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、摂政・藤原道長の別荘「宇治殿」となったもの。表門道長は万寿4年(1027)に亡くなったため、当...
11月11日(土)、友達と泊りがけで「比叡山」に行って来ました! 大比叡 - 2023年11月11日 [登山・山行記録]-ヤマレコ (yamareco.com) ↓ 1本だけ見事な紅葉! ↓ まだまだです ↓ 薄い色もキレイ ↓ 落葉でドラえもんw ↓ 阿弥陀堂 参拝 ↓ 解説は声優の野沢雅子さ
【奈良県桜井市慈恩寺】かつて玉列神社の神宮寺だった『阿弥陀堂』
前回紹介した大神神社・摂社の玉列神社ですが、その隣に『阿弥陀堂』というお堂があります。阿弥陀堂は高野山真言宗のお寺で、江戸時代以前は玉列神社の神宮寺だったようです。慈恩寺という名前でも呼ばれており、慈恩寺はこの辺りの土地の名前でもあります。御本尊は『阿弥
白水阿弥陀堂・みちのくの姫の美しき御堂 <トラキチ旅のエッセイ>第4話
桜がほころび始めた頃。やわらかな日差しの中、いわきの白水阿弥陀堂を訪れた。 やや南に「勿来の関」があったこの辺り。みちのくの南端。古代から中世にかけては、奥州と関東、ふたつの広大な世界が接する境界だった。 そんな土地に暮らす豪族のもとへ、はるか北の地からひとりの姫が嫁いできたという。 彼女は奥州平泉からやってきた。名は徳姫。 その父は――奥州の王といっていい。藤原氏三代の初代清衡(きよひら)。平泉という、華麗なみちのくのみやこを築いた人物である。 阿弥陀堂を訪れたこの日、境内にはまるで人影がなかった。 時折ひびく鳥の声と、うららかな春の光ばかりが、緑の谷戸に満ちあふれていた。 阿弥陀堂は、丹塗…
国宝浄土寺浄土堂で阿弥陀如来三尊像を鑑賞 劇的空間!劇的瞬間!!
国宝 阿弥陀三尊立像 - Three Statues of the Amida Buddha(A Naional Treasure) 浄土思想の究極!阿弥陀来迎が目の前で!極楽浄土へ行ける! 国宝・阿弥陀如来三尊像(快慶作) 国宝・阿弥陀如来像(快慶作) 国宝・浄土寺浄土堂...
大蔵山 安全寺(→東京都町田市大蔵町)は、創設年代は不詳ですが室町時代中期の1428(正長元)年に武蔵国都築郡小机領片平村の夏蒐山 修廣寺(→神奈川県川崎市麻生区片平2丁目)の住職・孤岩伊俊(こがんいしゅん)が再興した曹洞宗寺院と伝わります。江戸時代まではその夏蒐山 修廣寺の末寺で幕府から寺領8石を拝領しました。以前の本堂は江戸時代中期の1773(安永2)年に建てられたものでしたが、現在の本堂は1989(平成元)年に新しく建てか...
大蔵春日神社(→東京都町田市大蔵町)は、江戸時代前期の1707(宝永4)年9月に別当寺(→神仏習合の時代に神社の祭祀を司った寺)の関本山 蔵福寺の僧頼盛によって創建された春日大社(→奈良県奈良市春日野町)の分霊を祀る神社です。宝永4年は犬公方(いぬくぼう)こと5代将軍徳川綱吉(つなよし)による政治が行われていた時代で、江戸幕府から寺領8石が蔵福寺に与えられ、そのうち3石が大蔵春日神社の社領に充てられたようです。江戸時...