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↑東京都青梅市に所在する、旧稲葉家住宅(東京都指定有形民俗文化財)を探訪しました。概要は、青梅市郷土博物館の解説を以下に引用させて頂きました。旧稲葉家住宅は江戸時代に青梅宿の町年寄を勤めた稲葉家の旧宅です。稲葉家は青梅でも有数の豪商で、材木商や青梅縞の仲買問屋を営んでいました。 「店蔵」と呼ばれる土蔵造りの母屋は、建築様式から江戸時代後期(18世紀後半~19世紀初め頃)に建てられたと考えられています。...
医王山 金剛寺(→神奈川県横浜市港北区小机町)は、江戸時代中期の1748(寛延元)年に長谷川道全という人物が開基し、約40年後の1786(天明6)年に大継良智(→本山の雲松院19代住職)が曹洞宗寺院として開山したと伝わります。創建の時期は天明の飢饉により多くの死者が出ていた頃と重なります。この地にはもともと北条氏綱(→小田原北条氏2代目)統治下の1540(天文9)年に明翁永寿という僧が創建した草庵があったようです。真偽の程は定かで...
令和5年5月18日、三河三谷温泉に出かけました。 音羽蒲郡インターから蒲郡クラシックホテルへ向かい、ここで昼食をとりました。このホテルの料亭竹島で食事をしたか…
青木山 東福寺(→東京都多摩市落合2丁目)は、江戸時代前期の元和年間(→1615年~1624年)にもと永福寺の住職で白山社(→現在の落合白山神社)の創建にも名を連ねる僧の円能が創建したという真言宗智山派寺院です。創建当初は上落合村の「堀合堰」という場所にあったと記されますので、遅くとも文政年間(→1818年~1831年)までに、現在地に移されたことが分かります。江戸時代には、本山・末寺の制により高幡山 明王院 金剛寺(いわゆる高...
汁守神社(→神奈川県川崎市麻生区黒川1丁目)は創建年代は不詳ながら神仏習合時代には不動尊を本地仏(→神の本体)として祀る汁守神明社として崇敬されていました。江戸時代には金剛寺が別当寺として祭祀を司っていたようです。国の一村一社政策により1914(大正3)年に近隣の日枝神社などが合祀され、神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんしゃ→勅令に基づき例祭に神奈川県知事から金銭が贈られる神社)に指定されました...
法観寺 (八坂の塔) 参拝日:令和3年(2021年)12月24日 八坂庚申堂 金剛寺 通年開閉時間 アクセス 法観寺 (八坂の塔) 受付時間 拝観料 アクセス 圓徳院より徒歩で六波羅蜜寺に向かう途中に八坂の塔があるので立ち寄りました。 何やら人だかりが有る場所に来ました。 八坂庚申堂 金剛寺 お堂にはカラフルな「くくり猿」がいっぱい お堂いっぱいにくくり猿が吊るされてカラフルです。 八坂庚申堂 金剛寺 金剛寺は、京都市東山区にある天台宗の寺院。山号は大黒山。正式には大黒山 金剛寺 庚申堂と号し、通称は八坂庚申堂という。大阪の四天王寺庚申堂、東京の入谷庚申堂とともに日本三庚申の一つとされている。…
今回訪れたのはこちら金剛寺です。【所在】奈良県五條市野原西3丁目2-14【山号】小松山【宗派】高野山真言宗【開基】平重盛【本尊】薬師如来【金剛寺】金剛寺は今から八百年前、平安期の文化人、小松内大臣、平重盛公の創建による古寺と伝えられています。江戸時代初期から、野原城主の畠山期義春公の菩提寺として復興、奈良朝の末期、宇智の大野に流されてきた光仁天皇の皇后、井上内親王とその子の他戸親王(おさべしんのう)の...