メインカテゴリーを選択しなおす
因幡堂(因幡薬師)の名前で知られている、京都市下京区にある平等寺で普段非公開の本尊(薬師如来)が特別公開されているのをテレビのニュースで知った。歩いて行ける場所なので行って来た。住所は京都市下京区不明門通(あけずどおり)松原上ル因幡堂・因幡薬師京都十二薬師霊場各札所寺院、特別公開10月7日~10月22日いつもは烏丸通を五条通りから四条通へ右側を歩いていると、「因幡薬師」の灯籠が見え、そこが因幡堂だと分かる。不明門通の突き当りにある。薬師如来とは左手に薬壺を持ち、病気を治す仏様として尊崇されている。因幡薬師として知られている平等寺のご本尊も、病封じの仏さまとして信仰を集めているようだ。本堂は何度か火災に合い、そのたび再建された。特に幕末の蛤御門の変の時のどんど焼けでは堂宇ほとんどが焼失し、現在のものは明治1...平等寺(因幡堂)特別公開
今日は愛知県あま市にある 甚目寺 について紹介します。 まず宗派なのですが真言宗智山派と言われておりますが、総本山 智積院HPには記載されておりませんので現在は違うのかもしれません。 それはと
南林山 普門院 蓮花寺(れんげじ→神奈川県川崎市高津区久末)は、室町時代の応永年間(→1394年~1428年)に僧の頼意法印が開山したと伝わる真言宗智山派寺院です。戦国時代には戦乱で寺が荒廃したようですが、徳川家康の関東入封後の1596(慶長元)年に小田原北条氏とともに滅亡した世田谷吉良氏の旧臣森弥五郎が中興に尽力したようです。江戸時代には、本山・末寺の制により致航山 感応院 満願寺(→東京都世田谷区等々力3丁目)の末寺とし...
長唱山 実相寺 蓮乗院(→神奈川県川崎市高津区子母口)は、江戸時代前期の1661(寛文元)年8月7日に死去した浄蓮坊得蔵によって創建されたと伝わる真言宗智山派寺院です。旧本堂と旧本尊(→薬師如来像)は太平洋戦争末期の空襲で焼失しましたが、仏像疎開させていた準提観世音菩薩を新本尊として1956(昭和31)年に本堂を再建し、以後諸堂宇の復興が果たされたといいます。境内には鎌倉時代後期の「正応五年」(→1293年)と南北朝時代の...
青木山 東福寺(→東京都多摩市落合2丁目)は、江戸時代前期の元和年間(→1615年~1624年)にもと永福寺の住職で白山社(→現在の落合白山神社)の創建にも名を連ねる僧の円能が創建したという真言宗智山派寺院です。創建当初は上落合村の「堀合堰」という場所にあったと記されますので、遅くとも文政年間(→1818年~1831年)までに、現在地に移されたことが分かります。江戸時代には、本山・末寺の制により高幡山 明王院 金剛寺(いわゆる高...
諏訪山 明王院 円能寺(→神奈川県川崎市高津区諏訪3丁目)は創建の詳細は不詳ですが、中世の頃に龍宿山 金剛院 西明寺(→神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目)の門徒が創建したと伝わる真言宗智山派寺院です。戦国時代には住職不在で、堂宇が大破していたようですが、慶長年間(→1596年~1615年)に良識という僧が定住し、中興したと記されます。本山・末寺の制により江戸時代前期の1668(寛文8)年に西明寺の末寺となり、隣接する諏訪神...
大栄山 東樹院 多聞寺(→神奈川県川崎市中原区宮内1丁目)は、創建の詳細は不明ですが、天正年間(安土桃山時代→1573年~1592年)に小田原北条氏の家臣石井源左衛門が中興開基したと伝わる真言宗智山派寺院です。石井氏は北条氏滅亡後も当地に残り帰農したようです。もともとは多摩川寄りにあったようですが洪水の被害を受け、現在地に移転したと記されます。江戸時代には龍宿山 金剛院 西明寺(→神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目)...
白王山 正福寺(→神奈川県川崎市高津区北見方2丁目)は開基者は不明ですが、江戸時代前期に僧の快雅が開山したと伝わる真言宗智山派寺院です。江戸時代の頃は龍宿山 金剛院 西明寺(→神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目)の末寺として幕藩体制の一翼を担う一方、白髭神社(しらひげじんじゃ→神奈川県川崎市高津区北見方2丁目)の別当寺として祭祀を司りました。この頃は白髭神社の神体は正福寺に安置されていたと記されます。宝物の中...
白髭神社(しらひげじんじゃ→神奈川県川崎市高津区北見方2丁目)は、創建の詳細は不明ですが、江戸時代前期の1610(慶長15)年に北見方村の鎮守(→北見方総社)として伊勢猿田彦神社(→三重県伊勢市宇治浦田2丁目)を勧請して建てられたと伝わります。北見方にあるので「北見方白髭神社」とも呼ばれます。江戸時代には真言宗智山派寺院の白王山 正福寺(→神奈川県川崎市高津区北見方2丁目)が別当寺として祭祀を司りましたが、たびたび多摩川...
今回はその名も 蜂須賀城【尾張国】の紹介です。 名称の通り戦国時代に豊臣秀吉の家臣から大名へと成り上がった小六こと蜂須賀正勝の生誕地にて城があったそうです。 現在はその正勝と子の家政の菩提寺で
天輪山 無量院 安養寺(→神奈川県川崎市中原区上新城1丁目)は、戦国時代中期の1567(永禄10)年に僧の宥和が開山したと伝わる真言宗智山派寺院です。1567(永禄10)年は武田勝頼公の嫡子信勝、真田昌幸の次男信繁(→いわゆる幸村)、伊達輝宗の嫡子政宗らが生まれた年でもあります。江戸時代には、本山・末寺の制により龍宿山 金剛院 西明寺(→神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目)の末寺となり幕藩体制の一翼を担い、天満宮(→新城神社の...
大谷山 和光院 宝蔵寺(→神奈川県川崎市中原区上小田中1丁目)は、戦国時代中期の1520(永正17)年に小田原北条氏の有力国衆である吉良氏朝(→世田谷城主)に仕えた原勘解由左衛門勝光(はらかげゆざえもんかつみつ→1606年死去)が開基、僧の法印賢祐(→1533年死去)が開山した真言宗智山派寺院と伝わります。1590(天正18)年の小田原合戦で北条氏に与した吉良氏が滅亡したため、原勝光は上小田中村に移住して帰農し、原氏の祈願所として宝蔵...
吉祥院 武相四十八観音霊場第四十六番札所 多摩八十八ヵ所霊場 第六十七番札所 八王子七福神 吉祥天
東京都八王子市長房町58-3八王子七福神吉祥天の吉祥院(きちじょういん)です。JR中央線西八王子駅から徒歩15分ほど・・・・のはずですが途中からわかりづら...
延命寺 多摩八十八ヵ所霊場 第八十三番札所 日野七福神 寿老尊
東京都日野市川辺堀之内595日野七福神寿老尊の延命寺です。どの駅から行っても遠いです。一番近い京王線南平駅から20分、京王線高幡不動駅またはJR豊田駅から...
安養寺 多摩八十八ヵ所霊場 第八十五番札所 関東八十八ヵ所霊場 第六十八番札所 日野七福神 毘沙門天
東京都日野市万願寺4-20-8日野七福神毘沙門天の安養寺です。多摩都市モノレール万願寺駅から5分ほどのところにあります。田村山とは昔のこのあたりの地名で、...
龍宿山 金剛院 西明寺(→神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目)は創建の詳細は不詳で様々な俗説が伝わりますが、川崎市教育委員会の調査によると室町時代中期の嘉吉(→1441年~1444年)・文安(→1444年~1449年)年間に川崎市宮前区有馬から現在地に移築されたという真言宗智山派寺院です。寺伝では西福寺は鎌倉幕府5代執権北条時頼の創建といいますが、真偽の程は定かではありません。ただし、有馬郷は鎌倉時代には鎌倉北条氏の荘園が...
今年も1年過ぎようとしています 日々コロナ感染者の推移を見ながら注意して過ごしてきました。 モモちゃん元気に1年過ごせました 病院には、耳下の水を抜きに数…
恵日山 成就院(→神奈川県川崎市中原区小杉陣屋町1丁目)は創建の詳細は不明ですが、江戸時代前期に僧の尊秀が創建した真言宗智山派寺院です。尊秀は江戸時代前期の1662(寛文2)年に死去しているので創建はそれ以前であることが分かります。創建時の本尊は大日如来でしたが、現在は阿弥陀如来となっています。江戸時代には本山・末寺の制により龍宿山 金剛院 西明寺(→神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目)の末寺として幕藩体制の一翼...
瑠璃光山 薬王院 長福寺(→神奈川県川崎市中原区上小田中6丁目)は大日如来を本尊とする真言宗智山派寺院です。創建の詳細は不詳ですが、過去帳(→故人の俗名・戒名・死亡年月日などを記した帳簿)に戦国時代中期の1554(天文23)年7月18日に死去した良僅という僧侶の名が記されているため、戦国時代には長福寺、もしくは前身となる寺院が建立されていたことが分かります。1554(天文23)年頃のこの辺りは小田原北条氏(→当主は3代北条氏康)...
真野寺のライトアップマルシェ 行ってきましたよ。 とはいっても23・24日は、 両日とも台風直撃で、、 マルシェの出店はすべて中止 まあ当然でしょうね。 強風でテントが飛ばされ、 商品もびしょ濡れになりますからね。 境内のライトアップも 中止だったのは残念だが。 これも仕方ないですね。 でも自分的には今回は、 芝居が見たかっただけなので。 まったく問題はなかったけど。 芝居は芥川龍之介の 「藪の中」という作品。 お堂の中での公演だったが、 外から聞こえる虫の声と、どしゃ降りの雨の音が、 作品の内容と相まって、 物語がよりミステリアスに感じた! とても心地の良い時間でした。 真野寺は初めて行った…
読者のみなさま、おこんばんわ m(_ _ )m本日もご訪問ありがとうございます。 幸運エネルギーをONにして人生を書換える一生開運アチューメント2800名以上…
熊野山観音院 玉泉寺(→東京都狛江市東和泉3丁目)は、飛鳥時代前期の634(舒明天皇6)年に僧の浄慶法印が薬師如来と文殊菩薩を安置して開基した大輪寺という寺が前身の天台宗寺院ですが、鎌倉時代に廻国伝説をもつ5代執権北条時頼(ほうじょうときより→北条泰時の孫)が諸国行脚の折に、荒廃した堂宇を再造営したという寺伝を持ちます。そのためか山門の瓦には北条氏の家紋である三鱗紋が、本堂の瓦や寺紋には丸に三鱗紋が用いられてい...
今回の寺院は 智積院【真言宗智山派】であります。 それは昨年11月の上洛の旅で訪れたもので、ここでは宿坊にも泊まり朝のお勤めも体験もしました。 もちろん寺の建築物や名勝庭園、またなんと言っても