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ブログタイトル
神社仏閣そぞろ歩き
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https://templeswalk.blog.fc2.com/
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大阪、奈良、和歌山の神社仏閣を中心に巡ります。
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27回 / 146日(平均1.3回/週)

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NORIさんの新着記事

1件〜30件

  • 矢田坐久志玉比古神社

    今回訪れたのはこちら矢田坐久志玉比古神社です。【所在地】奈良県大和郡山市矢田町965【主祭神】久志玉比古神(櫛玉饒速日命)【社格等】式内社(大社)【矢田坐久志玉比古神社】本殿は一間社春日造、檜皮葺。小社ですが木割りは荘重で、蟇股、木鼻の彫刻、脇格子にはめられた吹寄格子など、細部の手法も優秀です。当社の創建の年代は明らかではありませんが、貞観元年(859)に神戸を賜った記録があり、また、延喜式では大社に列し...

  • 矢田寺

    今回訪れたのはこちら矢田寺です。正式名称は金剛山寺。【所在】奈良県大和郡山市矢田町3506【山号】矢田山【宗派】高野山真言宗【開基】智通、天武天皇(勅願)【本尊】地蔵菩薩【矢田寺の歴史と由来】今から約1300年前、大海人皇子(おおあまのみこ…後の天武天皇)が、 壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登られ、即位後の白鳳4年、智通僧上に勅せられ、 七堂伽欄48カ所坊を造営されたのが当山の開基です。当初は十一面観世音菩薩...

  • 東明寺

    今回訪れたのはこちら東明寺です。【所在】奈良県大和郡山市矢田町2230【山号】鍋藏山(鍋蔵山)【宗派】高野山真言宗【開基】(伝)舎人親王【本尊】薬師如来【東明寺略縁起】東明寺は、天武天皇の第三皇子で「日本書紀」の撰者として名高い舎人親王の開創である。宗派は、高野山真言宗。舎人親王は、母である持統天皇が眼病に悩まされているのを哀しみ、その回復を祈って諸寺所社に日参していたが、夢枕に老翁に姿を変えた白髭明...

  • 長岳寺

    今回訪れたのはこちら長岳寺です。(訪問日 令和元年十月二十日)【所在】奈良県天理市柳本町508【山号】釜の口山【宗派】高野山真言宗【開基】伝・空海、淳和天皇(勅願)【本尊】阿弥陀如来【長岳寺沿革】山の辺の道に残る長岳寺は天長元年(824)淳和天皇の勅願により弘法大師が大和神社の神宮寺として創建された古刹であり、盛時には塔中四十八ヶ坊、衆徒三百余名を数えました。以来、幾多の栄枯盛衰を重ねながらも、千百八十...

  • 根来寺

    今回訪れたのはこちら根来寺です。(訪問日 令和元年十月十八日)【所在】和歌山県岩出市根来2286【山号】一乗山【宗派】新義真言宗【開基】覚鑁(興教大師)【本尊】大日如来【根来寺の歴史】根來寺を開創された覚鑁上人は13歳で京都・仁和寺の寛助僧正に従い出家得度し、奈良と京都を往復しながら仏教を学び、20歳になると高野山に登り、真言密教の復興に努力しました。やがて鳥羽上皇の庇護を受け、長承元年(1132)に学問探究の...

  • 丹生都比売神社

    今回訪れたのはこちら丹生都比売神社です。(訪問日 令和元年九月二十九日)【所在地】和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230【主祭神】丹生都比売大神     高野御子大神     大食津比売大神     市杵島比売大神【社格等】式内社(名神大)     紀伊国一宮     旧官幣大社     別表神社【丹生都比売神社御由緒】紀ノ川より紀伊山地に入り標高四五〇メートルの盆地天野に当社が創建されたのは古く、今...

  • 興国寺

    今回訪れたのは、興国寺です。(訪問日 令和元年九月十五日)【所在】和歌山県日高郡由良町門前801【山号】鷲峰山【宗派】臨済宗妙心寺派【開基】葛山景倫(願性)【本尊】釈迦如来【興国寺縁起】興国寺の歴史は、安貞元年(1227年)葛山五郎景倫(願性)が鎌倉幕府三代目将軍であった源実朝の菩提を弔うために真言宗「西方寺」として建立されました。正嘉2年(1258)心地覚心(法燈国師)が宗旨を禅宗に改め「関南第一禅林」とし...

  • 観心寺

    今回訪れたのはこちら観心寺です。(訪問日 令和元年九月十四日)【所在】大阪府河内長野市寺元475【山号】檜尾山【宗派】高野山真言宗【開基】実恵【本尊】如意輪観音【観心寺草創・開基】観心寺は、文武天皇の大宝元年(701年)、役小角によって開かれ、初め雲心寺とよばれていた。その後、平安時代の初め大同三年(808年)に弘法大師空海が当寺を訪ねられた時、境内に北斗七星を勧請され、弘仁六年(815年) 衆生の除厄のために本尊...

  • 當麻寺 奥院

    當麻寺西南院の後訪れたのはこちら當麻寺奥院です。【所在】奈良県葛城市當麻1263【山号】二上山【宗派】浄土宗【開山】誓阿普観上人【本尊】法然上人像【當麻寺奥院】當麻寺塔頭奥院は 、浄土宗総本山知恩院の『奥之院』として建立された寺で、最初は往生院と呼ばれていました。知恩院第十二代誓阿普観上人が知恩院のご本尊として安置されていた法然上人像(重文)を後光厳天皇の勅許を得て応安三年(1370)当地に遷座して建立した寺...

  • 當麻寺 西南院

    當麻寺の堂塔伽藍を拝観した後訪れたのはこちら塔頭の西南院です。【所在】奈良県葛城市當麻1263【山号】二上山【宗派】高野山真言宗【開基】恵灌【本尊】十一面観音【西南院草創】當麻寺 塔頭 西南院は、當麻真人国見が麻呂子親王によって草創された萬法蔵院を、白鳳12年 百済の僧正恵潅を導師に迎え當麻寺として還造した時、坤(裏鬼門)の守の寺院として創建されたのが始まりで、西塔の別当となった。その後、弘仁14年に弘法...

  • 當麻寺

    今回訪れたのは、當麻寺です。(訪問日 令和元年九月七日)【所在】奈良県葛城市當麻1263【山号】二上山【宗派】真言宗、浄土宗【開基】伝・麻呂古王【本尊】当麻曼荼羅【當麻寺御由緒】當麻寺は、古代大和の“西方”に位置し、白鳳・天平様式の大伽藍を有する古刹。金堂の弥勒仏や四天王、梵鐘などの白鳳美術を今に伝えるほか、古代の三重塔が東西一対で残る全国唯一の寺としても知られています。本尊として祀られる「當麻曼荼羅」...

  • 安倍文殊院

    今回訪れたのはこちら安倍文殊院です。(訪問日 令和元年九月一日)【所在】奈良県桜井市阿部645【山号】安倍山【宗派】華厳宗【開基】安倍倉梯麻呂【本尊】文殊菩薩【安倍文殊院御由緒】孝徳天皇の勅願によって大化改新の時に、左大臣となった安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が安倍一族の氏寺として建立したのが「安倍山崇敬寺」(安倍寺)です。永禄六年(1563)松永弾正の兵火を受け一山ほとんどが火災で焼失、約100年後の...

  • 長谷寺 ー西国三十三所観音霊場・第八番札所ー

    今回訪れたのはこちら長谷寺です。(訪問日 令和元年九月一日)長谷寺(奈良県桜井市初瀬731-1)【山号】豊山【宗派】真言宗豊山派【開基】道明【本尊】十一面観音【長谷寺略縁起】当山は山号を豊山(ぶさん)と称し、寺号を長谷寺(はせでら)と言い、正式には豊山神楽院長谷寺と申します。「隠国(こもりく)の泊瀬(はつせ)」と万葉集にうたわれていますように、この地を昔は豊初瀬(とよはつせ)、泊瀬など美しい名でよばれて...

  • 榮山寺

    今回訪れたのはこちら榮山寺です。(訪問日 令和元年八月十七日)榮山寺(奈良県五條市小島町503)【山号】学晶山(學晶山)【宗派】真言宗豊山派【開基】伝 藤原武智麻呂【本尊】薬師如来【榮山寺】寺の創建は遠く養老3年(719年)藤原南家初代武智麻呂公の開創にかかり、その菩提寺として変遷幾星霜を閲し、今にその法灯を伝える南和の名所である。吉野川の清流を膝下に静かにたたずまいをみせる。境内地にはその子、仲麻呂の考...

  • 岡寺 ー西国三十三所観音霊場・第七番札所ー

    今回訪れたのはこちら岡寺です。(訪問日 令和元年八月十二日)岡寺(奈良県高市郡明日香村岡806)【山号】東光山【宗派】真言宗豊山派【開基】伝・義淵【本尊】如意輪観音【岡寺】西国三十三所観音霊場の第七番札所として西国霊場草創1300年来、第七番の観音様として信仰を集めており、また日本最初やくよけ霊場としても知られています。現在は真言宗豊山派に属しておりますが、創建当初より江戸時代までは開山の義淵僧正が法相...

  • 般若寺

    今回訪れたのはこちら般若寺です。寺号標どこかにあったのかな?見つけれませんでした。(訪問日 令和元年八月十二日)般若寺(奈良県奈良市般若寺町221)【山号】法性山【宗派】真言律宗【開基】伝・慧灌【本尊】文殊菩薩【般若寺】般若寺は飛鳥時代、高句麗の慧灌法師によって開かれた。都が奈良に遷って天平7年(735年)、聖武天皇が平城京の鬼門を守るため『大般若経』を塔の基壇に収め卒塔婆を建てられたのが寺名の起...

  • 壷阪寺 ー西国三十三所観音霊場・第六番札所ー

    今回訪れたのはこちら壷阪寺です。(訪問日 令和元年八月十一日)壷阪寺(奈良県高市郡高取町壷阪3)【山号】壺阪山【宗派】真言宗系単立【開基】弁基上人【本尊】十一面千手観世音菩薩【壷阪寺縁起】創建は寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりといわれる。平安期には、長谷寺...

  • 葛井寺 ー西国三十三所観音霊場・第五番札所ー

    今回訪れたのはこちら葛井寺です。(訪問日 令和元年八月四日)葛井寺(大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21)【山号】紫雲山【宗派】真言宗御室派【開基】伝・行基、聖武天皇(勅願)【本尊】十一面千手千眼観音菩薩【葛井寺】葛井寺(ふじいでら)は古代氏族葛井氏の氏寺として、7世紀後半の白鳳期に建立されました。 西国三十三箇所観音霊場の第五番札所として信仰を集め、多くの巡礼者が訪れています。 本尊の国宝乾漆千手観音坐像...

  • 霊山寺

    今回訪れたのはこちら霊山寺です。(訪問日 令和元年七月二十八日)霊山寺(奈良県奈良市中町3879)【山号】登美山・鼻高山【宗派】霊山寺真言宗【開基】行基・菩提僊那【本尊】薬師如来【霊山寺縁起】霊山寺の所在する富雄の里は、古事記には「登美」であり、日本書紀では「鳥見」の地となっています。敏達天皇の頃より、この地方は小野家の領有でした。右大臣小野富人(遣隋使・小野妹子の息子と伝わる)は壬申の乱に関与したた...

  • 談山神社

    今回訪れたのはこちら談山神社です。(訪問日 令和元年七月二十五日)【談山神社縁起】舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。 この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、 聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみ...

  • 慈尊院

    今回訪れたのはこちら慈尊院です。(訪問日 令和元年七月十五日)【慈尊院】慈尊院は、弘仁七年(816)、弘法大師が、高野山開創の時に、高野山参詣の要所に当たるこの地に、表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とされました。大師の御母公(玉依御前 : たまよりごぜん)が香川県善通寺より、我が子の開いている山を一目見たいとの一念から、ご高齢にも関わらず当院...

  • 喜光寺

    今回訪れたのは、喜光寺です。唐招提寺の後立ち寄った喜光寺、雨はどしゃ降りとはいかないまでもシトシト降り続きます。そして南大門を潜った直後に気付きます。「もうすぐ拝観時間終りやんか・・・」【喜光寺】養老5年(721)行基菩薩は、この地に住んでいた寺史乙丸という人物から平城京右京三条三坊の土地の寄進を受けられ、翌年にお寺を建てました。これが喜光寺です。行基菩薩は土地の名前から「菅原寺」と名づけられました。...

  • 唐招提寺 その弐

    その壱の続きです。再び金堂の前を通り過ぎ、東側に進むと経堂が見えてきます。【唐招提寺 経堂】礼堂の東側に宝蔵とともに並んで建つ高床式の校倉(あぜくら)で、小さいほうが経蔵です。唐招提寺創建以前の新田部親王邸の米倉を改造したものといわれ、唐招提寺で最も古い建造物であり、日本最古の校倉です。(唐招提寺HPより)経堂の左側には宝蔵です。【唐招提寺 宝蔵】経蔵とともに並んで建つ校倉で、北側の蔵です。唐招提寺...

  • 唐招提寺 その壱

    今回訪れたのはこちら唐招提寺です。(訪問日 令和元年七月十三日)誰もが一度は耳にしたことがあるであろうお方、鑑真さんが開基のお寺です。しかしまぁ今回も雨が降ったり止んだりの空模様、梅雨だから仕方ないですが、週末くらいスカッと晴れて欲しいもんです。【唐招提寺】唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山です。多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、新田部親王の旧宅地(...

  • 考恩寺 釘無堂

    今回訪れたのはこちら考恩寺、釘無堂です。大阪府貝塚市にある此処考恩寺釘無堂は、水間寺から車で数分の距離にあります。大阪府下最古の木造建築物を有する考恩寺、水間寺参拝後は当然行くしかないですね。こちらから登ります。さて、入りましょう。早速お堂が見えますが、まずは左に鐘楼です。奥に観音様。こちらの石仏は木陰に。石塔がそびえ立ちます。五輪塔は痛恨の撮り忘れ。こちらは新しそうです。そしてこちらが観音堂(釘...

  • 水間寺

    今回訪れたのはこちら水間寺です。(訪問日 令和元年七月六日)【水間寺の歴史】寺伝によれば、天平年間(729年-749年)に聖武天皇の勅願により行基が開創したものという。病床の聖武天皇の夢に現れた観音菩薩を求め、行基が2つの川が合流する「水間」にやってくると観音の化身である16人の童子に遭遇、誘われて滝に向かうと竜神が現れ聖観音像を授けられたと伝わっている。厄除橋から。架かる厄除橋を渡りすぐ左に見えるのが、少...

  • 施福寺 ー西国三十三所観音霊場・第四番札所ー

    今回訪れたのはこちら施福寺です。(訪問日 令和元年六月二十三日)大阪府和泉市にあるこの寺院は西国霊場の第四番札所であり、体力的な難所として知られます。本来なら土曜日に訪問予定でしたが急用が入り日曜日に変更、しかし天気予報は曇り時々雨。「頼むから降らんといて」そう願いながら参道を進みます。【施福寺】古くは槇尾山寺と呼ばれた山岳寺院で、葛城修験系の寺院として創建されたものとみられる。南北朝時代成立の寺...

  • 粉河寺 ー西国三十三所観音霊場・第三番札所ー

    今回訪れたのはこちら粉河寺です。(訪問日 令和元年六月一日)【粉河寺沿革】草創時この方、粉河寺は多くの人達の信仰をうけて繁栄し、鎌倉時代には七堂伽藍、五百五十ヶ坊、東西南北各々四キロ余の広大な境内地と寺領四万余石を有していたが、天正十三年(1585)豊臣秀吉の兵乱に遭遇し、偉容を誇った堂塔伽藍と多くの寺宝を焼失した。その後、紀州徳川家の庇護と信徒の寄進によって、江戸時代中期から後期に現存の諸堂が完成した...

  • 金剛寺 本坊

    続いてはこちら金剛寺、本坊へお邪魔します。蛙さんが出迎えてくれますよ。入ると視界に入るのが庭園です。【金剛寺本坊 庭園】一面の杉苔のなかに鶴島、亀島、枯れ瀧などを配した枯山水の庭。室町期の創成で、桃山期に阿波の蜂須賀家政公が手直しした。江戸期には、庭師雪舟流の家元谷千柳が改装した草行山水自然形の庭園である。(金剛寺リーフレットより)こちらは持仏堂です。さて、先へ進みましょう。先ずは宝物館へ向かいま...

  • 金剛寺

    今回訪れたのはこちら金剛寺です。(訪問日 令和元年五月二十五日)【金剛寺縁起】当山は聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創し、のち弘法大師が修行された霊蹟である。その後400年、寺運は衰微し、堂塔・伽藍は荒廃した。時に高野山の阿観上人が、後白河法皇と皇妹八条女院の帰依を受け、金堂等現存の伽藍を復興された。南北朝時代、後村上天皇が6年間食堂を正殿として大政を執られた。史上天野行宮天野殿と称するのはこれである...

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