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五所塚・権現台遺跡(→神奈川県川崎市宮前区五所塚1丁目)は、五所塚第1公園内に南北に並ぶ直径4ⅿ・高さ2ⅿ前後の5つの塚を中心とした遺跡群です。外観が古墳に似ているところから、江戸時代に編纂された地誌には墳墓と記されています。しかし、川崎市教育委員会の調査により、中世や近世になって尾根筋に築かれた平尾十三塚(→東京都稲城市平尾2丁目と神奈川県川崎市麻生区五カ田の境)と同様な「境信仰」の塚であったと考えられていま...
長尾神社(→神奈川県川崎市多摩区長尾3丁目)は創建年代等の詳細は不明ですが、小高い丘の頂上に位置し、神仏習合の頃は神社の南側に5つの古塚(→五所塚)があることから五所権現社、または五所神社とも呼ばれていました。神木山 等覚院 長徳寺(→神奈川県川崎市宮前区神木本町1丁目)が旧別当寺で、1868(明治元)年の神仏分離令により別当関係が解消されるまで長らく祭祀を司どってきました。五所神社は明治時代後期の1907(明治40)年に国...
神木天満宮(しぼくてんまんぐう→神奈川県川崎市宮前区神木本町3丁目)は、創建年代等は不詳ですが江戸時代には赤城社と呼ばれ、天台宗寺院の神木山 等覚院 長徳寺(→神奈川県川崎市宮前区神木本町1丁目)が別当寺として祭祀を司っていました。神仏習合の頃に五所権現社と呼ばれていた長尾神社(→神奈川県川崎市多摩区長尾3丁目)と隔年で例祭を実施していたと記されます。1868(明治元)年に明治政府の神仏分離令により等覚院との別当関係...
神木山 等覚院 長徳寺(→神奈川県川崎市宮前区神木本町1丁目)は、開山開基の詳細は不詳ですが、安土桃山時代初期の1573(元亀4)年に中興された天台宗寺院で、地元では等覚院の名で親しまれています。江戸時代には本山・末寺の制により浮岳山 昌楽院 深大寺(→東京都調布市深大寺元町5丁目)の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。現在の本堂は、将軍継嗣問題と通商条約締結に揺れた幕末期の安政年間(→1854年~1860年)に再建され、山...