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小台稲荷神社・八幡神社(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
小台稲荷神社・八幡神社(→神奈川県川崎市宮前区宮前平2丁目)は、創建年代の詳細は不明ですが、江戸時代中期には徳川将軍家の旗本川勝主税(かわかつちから)の所領に創建され、村民が祭祀を司ったと記される八幡社です。明治時代末期の1910(明治43)年に国の一村一社政策および神社統合令を受け馬絹神社(→神奈川県川崎市宮前区馬絹5丁目)に合祀されましたが、そこから小台八幡神社として分祀され今に至るといいます。〖八幡神社の祭神...
平栄山 泉福寺(→神奈川県川崎市宮前区馬絹2丁目)は義天法印によって創建された天台宗寺院で、創建は江戸時代前期と推察されます。江戸時代には浮岳山 昌楽院 深大寺(→東京都調布市深大寺元町5丁目)の末寺として幕藩体制の一翼を担うとともに、女体権現社(→現在の馬絹神社)の別当寺として祭祀を司りました。泉福寺には川崎市重要歴史記念物に指定される「板面着色・絵馬・泉福寺薬師会図」と「板面着色・絵馬・泉福寺境内相撲図」が...
平栄山 泉福寺(→神奈川県川崎市宮前区馬絹2丁目)は、生没年不詳の僧・義天法印によって創建された天台宗寺院です。境内の文化財などから江戸時代前期に創建されたと考えられます。江戸時代には本山・末寺の制により浮岳山 昌楽院 深大寺(→東京都調布市深大寺元町5丁目)の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。また、馬絹(まぎぬ)神社(→神奈川県川崎市宮前区馬絹5丁目)の前身である女体権現社の別当寺として祭祀を司りました。泉...
馬絹白山神社(→神奈川県川崎市宮前区馬絹5丁目)は、明治時代後期の1910(明治43)年に八幡神社・三嶋神社・熊野神社とともに神明神社(→のちの馬絹神社)に合祀された白山神社から分祀して建てられた神社です。境内社の矢中稲荷明神は、馬絹神社の氏子組織である「馬絹神社奉賛会」の矢中講の有志が創建したと石碑に書かれています。この地域は、昭和時代前期の1934(昭和9)年の資料では「橘樹郡宮前(みささき)村矢中」と書かれており、...
馬絹神社(まぎぬじんじゃ→神奈川県川崎市宮前区馬絹5丁目)は、江戸時代前期の元禄年間(→1688年~1704年)以前に創建された旧馬絹村の総鎮守で、神仏習合当時は女体権現社といい、本山・末寺の制により平栄山 泉福寺(→神奈川県川崎市宮前区馬絹2丁目)が別当寺として祭祀を司っていました。女体権現社は1868(明治元)年の神仏分離令により女体神社と改称し、1910(明治43)年3月には国の一村一社政策により近隣の八幡神社・三嶋神社・熊...