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あの世とこの世の境界線~出雲国風土記 意宇郡 『伊布夜社(揖夜神社)』と黄泉比良坂
松江市東出雲町に鎮座する揖夜神社は、出雲国風土記にも記載される古社であり、意宇六社の一つに数えられます。主祭神は伊弉冉命であり、黄泉比良坂伝説とも深く結びついています。
月読神社(→神奈川県川崎市麻生区上麻生)は、戦国時代の1534(天文3)年に麻生郷の領主小島佐渡守が伊勢神宮別宮の月読宮を勧請じ、居所の亀井城(→月読神社の敷地内)の東に社(やしろ)を建てたのが始まりです。江戸時代には上麻生村と下麻生村の鎮守社として崇敬を集めていたといいます。明治時代後期の1906(明治39)年に一村一社の勅令が発布され、全国的に「一村一社運動」が展開されます。月読神社も近隣の白山神社(山口谷)・熊野神...
落合白山神社(→東京都多摩市落合2丁目)は、創建年代は不詳ですが、江戸時代前期の1618(元和4)年11月11日に、甲斐武田氏の旧臣で徳川氏の旗本になった八王子代官小宮山助為と、もと永福寺の住職で青木山 東福寺(→東京都多摩市落合2丁目)を開山した円能が、能登国の白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ→石川県白山市三宮町)を勧請して東福寺領に再興したと伝わります。1648(慶安元)年7月19日に、幕府(→3代将軍徳川家光の頃)より社領10...
馬絹神社(まぎぬじんじゃ→神奈川県川崎市宮前区馬絹5丁目)は、江戸時代前期の元禄年間(→1688年~1704年)以前に創建された旧馬絹村の総鎮守で、神仏習合当時は女体権現社といい、本山・末寺の制により平栄山 泉福寺(→神奈川県川崎市宮前区馬絹2丁目)が別当寺として祭祀を司っていました。女体権現社は1868(明治元)年の神仏分離令により女体神社と改称し、1910(明治43)年3月には国の一村一社政策により近隣の八幡神社・三嶋神社・熊...
野川神明社(→神奈川県川崎市宮前区野川)は、創建年代などは不詳ですが、江戸時代には韋駄天社(いだてんしゃ)と称しており、江戸時代には天台宗寺院の聚海山 正観院 西蔵寺(→神奈川県川崎市宮前区野川)が別当寺として祭祀を司っていました。明治時代後期の1908(明治41)年に国の一村一社政策を受けて近くの子神社(ねのじんじゃ)・神明宮・第六天社が合祀され、神明社(野川神明社)となりました。〖祭神〗・天照大神(あまてらすおおみ...
寺家熊野神社(→神奈川県横浜市青葉区寺家町)は、創建年代は不詳ですが、鎌倉時代に編纂された『日本総風土記』には奈良時代前期の713(和銅6)年に撰上された『武蔵国風土記』(→現存せず)のことが写されてあり、「九尺二間の社(→熊野社)が寺家村熊野谷にあり」と記されています。熊野社が鎌倉時代にはあったことが分かります。『神奈川県神社誌』には、熊野社は熊野本宮(→和歌山県田辺市本宮町本宮)を勧請し、幕末期の1867(慶応3)年...
新羽杉山神社(→神奈川県横浜市港北区新羽町)は平安時代の延喜式神明帳に記載されている「武蔵国都筑郡杉山神社」に比定される神社の1つで、創建の詳細は不明ながら、この辺りが「上古根古屋の庄荷場の郷」と呼ばれる水郷だった景行天皇(古墳時代前期→12代天皇)の時代に、日本武尊(やまたとたけるのみこと)がこの地方を通過し、彼が死去したのち、村民がその遺徳を偲んで祠を建てたことが始まりとされます。江戸時代には補陀洛山 安...
大棚杉山神社(→神奈川県横浜市都筑区中川6丁目)は創建年代は不詳ですが、別当寺(→神仏習合の時代に神社の祭祀を司った寺院)の大杉山 龍福寺(→神奈川県横浜市都筑区大棚町)の近くにあった社殿を昭和時代後期の1983(昭和58)年の土地区画整理事業にともない現在地へ移されました。『神奈川県神社誌』によると、この場所にはもとは吾妻山吾妻社という神社があり、明治時代後期の一村一社政策により八幡社・神明社・吾妻社の3社が合祀さ...
※未来記事で投稿しています。 7月9日(土)参拝 なんにょじんじゃ住所:佐賀県佐賀市大和町大字久留間5109昨年の年末に知り合ったハーモニーさんのリクエストで…