メインカテゴリーを選択しなおす
関戸熊野神社(→東京都多摩市関戸5丁目)は、室町時代中期の1489(延徳元)年9月に紀伊国熊野三社(→熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)を勧請したといい、江戸時代後期の1786(天明6)年に名主の相沢源左衛門休郭が願主となり関戸村の鎮守「熊野三社宮」として社殿を建立したと伝わります。江戸時代には隣接していた尼寺の無量山 熊慶寺(ゆうけいじ→廃寺)が別当寺として祭祀を司りました。関戸熊野神社境内にある井戸は熊慶...
王子神社(→神奈川県横浜市緑区長津田7丁目)は、江戸時代にこの地を治めていた旗本岡本房恒が勧請したと伝わり、神仏習合の頃は「王子権現社」と称していました。岡野房恒は昨日ご紹介した慈雲山 大林寺(→神奈川県横浜市緑区長津田6丁目)を開基した人物でもあります。祭神の速玉男命(はやたまのをのみこと)は熊野権現とも呼ばれているので、熊野信仰の影響が窺えます。江戸時代には同じく岡野房房が開基した高野山真言宗寺院の薬王...
新羽杉山神社(→神奈川県横浜市港北区新羽町)は平安時代の延喜式神明帳に記載されている「武蔵国都筑郡杉山神社」に比定される神社の1つで、創建の詳細は不明ながら、この辺りが「上古根古屋の庄荷場の郷」と呼ばれる水郷だった景行天皇(古墳時代前期→12代天皇)の時代に、日本武尊(やまたとたけるのみこと)がこの地方を通過し、彼が死去したのち、村民がその遺徳を偲んで祠を建てたことが始まりとされます。江戸時代には補陀洛山 安...
糸島市二丈田中にご鎮座する熊野神社です。御祭神は伊弉冊命、速玉男命、事解男命。階段を登ってすぐに拝殿があります。以下、御由緒書きより転載。昔山越に祀っていたが、明治二十四年(一八九一)一月十九日現在地に御遷座した。伊弉冊尊は元官幣中社熊野那智大社の主祭神