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貝取山 大福寺(→東京都多摩市貝取1丁目)は、江戸時代前期に僧の起厳伝秀によって開山されたと伝わる曹洞宗寺院です。起厳伝秀は1640(寛永17)年7月6日に死去しているので創建はそれ以前であることが分かります。江戸時代には本山・末寺の制により吉祥山 寿徳寺(→東京都多摩市桜ヶ丘4丁目)の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。境内の地蔵堂に対して幕府より堂領5石5斗の朱印地を拝領しています。地蔵堂には行基(→東大寺の廬舎那...
関戸城跡(→東京都多摩市桜ヶ丘1丁目)は、金比羅宮付近の「天守台」と呼ばれた地域にあった中世の軍事施設跡です。多摩市教育委員会が設置した標柱には「一帯の山を城山」といい「物見台的城塞として敵を察知したり、急変を狼煙(のろし)などで知らせる通信拠点であった」と記されています。「天守台」は江戸時代になってからの呼び名ですが、江戸時代に関戸城はなく、この場所に天守閣が存在したことはありません。1213(建暦3)年の...
山神社(→東京都多摩市桜ケ丘4丁目)は、戦国時代の1557(弘治3)年に吉祥山 寿徳寺の僧守頓坊が、出身地の山城国(→京都府)から取り寄せた岩石を神体として寺域に創建したと伝わります。江戸時代前期の1648(慶安元)に寺方村の鎮守社と幕府に認められ、寿徳寺が別当寺として祭祀を司りました。記録には、1826(文政9)年と1839(天保9)年に寺方村・原関戸村・新田村の3村で屋根の葺き替えと太鼓の張替えを行い、ペリー来航の7年前にあたる1...
吉祥山 寿徳寺(→東京都多摩市桜ケ丘4丁目)は、南北朝時代の1390(明徳元)年に真言宗の僧・念阿によって創建されたと伝わります。1441(嘉吉元)年に念阿が死去したのち廃寺となったようですが、戦国時代に武蔵守護・扇谷上杉氏の被官(もしくは国人領主)といわれる佐伯一助道永が菩提寺として再建し、日舜宗栄を中興開基として曹洞宗に改めたといいます。なお、関戸郷は「松田盛秀判物」から、1555(天文24)年1月までには小田原北条氏の...
寺方大屋敷(→東京都多摩市東寺方)は、吉祥山 寿徳寺の観音堂前に建つ中世の豪族屋敷の跡地です。主などは『多摩市史』にも記録がなく不詳ですが、西側に開けた谷の窪地に位置し、山を背に乞田川と大栗川を活かした中世の豪族館の典型といえます。関戸は戦国時代には小田原北条氏の直轄領となり松田盛秀が代官となり、屋敷跡に建つ吉祥山 寿徳寺は小田原北条氏の家臣で関戸城代を務めた佐伯氏が菩提寺として開基したと伝わります。...
関戸熊野神社(→東京都多摩市関戸5丁目)は、室町時代中期の1489(延徳元)年9月に紀伊国熊野三社(→熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)を勧請したといい、江戸時代後期の1786(天明6)年に名主の相沢源左衛門休郭が願主となり関戸村の鎮守「熊野三社宮」として社殿を建立したと伝わります。江戸時代には隣接していた尼寺の無量山 熊慶寺(ゆうけいじ→廃寺)が別当寺として祭祀を司りました。関戸熊野神社境内にある井戸は熊慶...