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ごきげんよう、萬勤誕です! 松山市に長年住んでいながら、見たことも聞いたこともない神社があります。 その神社の名前は北斎院町にある「天地御光大神」。 な…
乞田八幡神社(→東京都多摩市豊ヶ丘1丁目)は、室町時代(→戦国期)の1490(延徳2)年9月に創建され、江戸時代前期の1668(天和2)年に乞田村と貝取村の鎮守社として社殿を創建したと伝わります。1668(天和2)年の棟札控には「上乞田・下乞田・貝取・宇竜(→瓜生)」の4村とあり、それぞれ再建に携わった村民の名が書かれています。『多摩市史』には1726(享保11)年に神祇道宗家の吉田家より正一位の神階が贈られたと記されます。江戸時代には...
山神社(→東京都多摩市桜ケ丘4丁目)は、戦国時代の1557(弘治3)年に吉祥山 寿徳寺の僧守頓坊が、出身地の山城国(→京都府)から取り寄せた岩石を神体として寺域に創建したと伝わります。江戸時代前期の1648(慶安元)に寺方村の鎮守社と幕府に認められ、寿徳寺が別当寺として祭祀を司りました。記録には、1826(文政9)年と1839(天保9)年に寺方村・原関戸村・新田村の3村で屋根の葺き替えと太鼓の張替えを行い、ペリー来航の7年前にあたる1...
小杉神社(→神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目)は、創建の詳細は残されていませんが江戸時代後期の記録には鎌倉時代末期の1331(元徳3)年の断碑(→壊れた石碑)があると記されているので、鎌倉時代末期には前身の社(やしろ)があったものと思われます。江戸時代に武蔵国橘樹郡小杉村と呼ばれていたこの周辺には、鎮守三社として小杉社・神明社・総社権現がありました。このうち総社権現は江戸時代前期の正徳年間(→1711年~1716年、6...
大場諏訪神社(→神奈川県横浜市青葉区大場町)は、江戸時代中期に徳川将軍家の旗本でこの地の地頭(→領主)であった筧三郎右ヱ門(かけいさぶろううえもん)が創建したと伝わる神社です。江戸時代には弘仁山 衆芳院 薬王寺(→神奈川県横浜市青葉区大場町)が別当寺として祭祀を司っていました。創建寺は付近の別の場所に社地があったようですが、幕末期の1856(安政3)年8月25日の大風で社殿が潰れてしまい、同年10月に村民が協議して現在の...
宿河原八幡宮(→神奈川県川崎市多摩区宿河原3丁目)は、創建年代は不詳ですが江戸時代には宿河原村の鎮守社として親しまれ、「鎮守八幡宮」と呼ばれていました。創建時の社殿は多摩川北岸にあったようですが洪水により流出し、雁三山 正幡院 常照寺(→神奈川県川崎市多摩区宿河原3丁目)の観音堂が建っていた場所に社殿を再建したと記されています。そのため、江戸時代には常照寺が別当寺として宿河原八幡宮(→当時は正八幡宮)の祭祀を...
今回はおススメの隠れたパワースポット『鎮守社』の紹介です。 出雲大社と神楽殿の間にあり、つい通り過ぎてしまいがちですが出雲大社に行ったらぜひ寄ってもらいたい場所です。 出雲大社を出て道路と素鵞川にかかる橋を渡り、神楽殿の手前を右手に入った奥、神楽殿の裏にあります。