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0530 起床 気分快 晴 寿福寺巡行【見て・歩いて・よろこぶもの】⑦後編 謎を秘めた仏様、青面金剛のお寺に着きます。
血圧値 122/82/72 酸素飽和度 99% 体温 35.5℃ 体重 67.6キロ 昨日の続きを書きます。 半兵衛坂を登った高台から路地を入ると、寿福寺というお寺があります。 なかなか雰囲気の良い参道です。 昭和な住宅とか残っているし。 僕の親戚のおばさんのところの菩提寺だったらしく、凄い子供の頃、連れてこられた記憶があるのですが、こんな遠いところに、歩いてきたのかなあ? ちょっと曖昧な思い出です。 でも、この参道の石畳の感じは覚えています。 寿福寺は正式には「新清山観明院壽福寺」といい、元和元年(1615)、大阿闍梨鳳算大和尚によって現在地に創建されたと伝えられていますが、その草創はかなり…
深大寺は「深大寺そば」がご当地グルメとして有名で、参道や門前には「深大寺そば」を提供する飲食店がずらりと軒を連ねています。江戸時代には深大寺城周辺の農家約300軒のうちほとんどが裏作でそばの実を栽培していたと記されています。深大寺そばの歴史については諸説ありますが、江戸時代に浮岳山 昌楽院 深大寺(→東京都調布市深大寺元町5丁目)の庫裏の畑で栽培され、参拝者に蕎麦を供したのが始まりと伝わります。深大寺そば...
光明山 金台院 大蓮寺(→神奈川県川崎市高津区久本2丁目)は、開基は不詳ですが江戸時代前期の1625(寛永2)年11月10日に僧の聞龍が開山したと記される浄土宗寺院です。本山・末寺の制により江戸時代には宝林山 運昌院 泉沢寺(→神奈川県川崎市中原区小田中7丁目)の末寺として檀家の宗旨人別帳(→戸籍原本・租税台帳)を作成するなど幕藩体制の一翼を担いました。大蓮寺は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』...
宿河原八幡宮(→神奈川県川崎市多摩区宿河原3丁目)は、創建年代は不詳ですが江戸時代には宿河原村の鎮守社として親しまれ、「鎮守八幡宮」と呼ばれていました。創建時の社殿は多摩川北岸にあったようですが洪水により流出し、雁三山 正幡院 常照寺(→神奈川県川崎市多摩区宿河原3丁目)の観音堂が建っていた場所に社殿を再建したと記されています。そのため、江戸時代には常照寺が別当寺として宿河原八幡宮(→当時は正八幡宮)の祭祀を...
星霜山 円光院 長福寺(→神奈川県川崎市多摩区宿河原2丁目)は、創建年代や開山・開基者は不詳ですが、江戸時代には浮岳山 昌楽院 深大寺(→東京都調布市深大寺元町5丁目)の末寺として記されている天台宗寺院で、宿河原周辺では唯一(→多摩区全体では5社)の天台宗寺院となります。寺歴は定かではありませんが、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』橘樹郡宿河原村の条には次のように記されています。********...