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聚海山 正観院 西蔵寺(→神奈川県川崎市宮前区野川)は、奈良時代に聖武天皇の勅命により行基(→東大寺の廬舎那大仏造立に貢献した高僧)が創建したと伝わる威徳山 月光院 影向寺(ようごうじ→神奈川県川崎市宮前区野川)の塔頭十二坊の1つと伝わる天台宗寺院です。創建時の本尊の正観世音菩薩は「余り木観音」と呼ばれ、慈覚大師(→円仁)が、行基が彫った薬師如来と阿弥陀如来の余った木で製作したと記されます。ただ、行基(668年~749年...
八幡山 宝袋寺(→神奈川県横浜市緑区十日市場町)は廃寺となった慈性寺の跡地にあり、江戸幕府開府前後の慶長年間(→1596年~1615年)に慈雲寺 大林寺(→神奈川県横浜市緑区長津田6丁目)の住職顕堂長察によって創建されたと伝わる曹洞宗寺院です。寺号は、この地で古い巾着袋が堀り出されたことに由来すると記されます。真偽の程は定かでありませんが、本尊の聖観音坐像は運慶(→東大寺南大門の金剛力士像などを彫った鎌倉時代を代表する...
光明山 世尊院(→神奈川県横浜市緑区北八朔町)は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡北八朔村の条に記載がないため創建年代等は不詳ですが、真言宗豊山派寺院の顕弘山 蓮花院 極楽寺(→神奈川県横浜市緑区西八朔町)が管理する極楽寺別院です。本尊は聖観音菩薩で、江戸時代中期の1732(享保17年)に開創した旧小机領三十三所子歳(ねどし)観音霊場25番となっており、12年に1度、子年の春に開帳されま...
貝取山 大福寺(→東京都多摩市貝取1丁目)は、江戸時代前期に僧の起厳伝秀によって開山されたと伝わる曹洞宗寺院です。起厳伝秀は1640(寛永17)年7月6日に死去しているので創建はそれ以前であることが分かります。江戸時代には本山・末寺の制により吉祥山 寿徳寺(→東京都多摩市桜ヶ丘4丁目)の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。境内の地蔵堂に対して幕府より堂領5石5斗の朱印地を拝領しています。地蔵堂には行基(→東大寺の廬舎那...
諏訪山 明王院 円能寺(→神奈川県川崎市高津区諏訪3丁目)は創建の詳細は不詳ですが、中世の頃に龍宿山 金剛院 西明寺(→神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目)の門徒が創建したと伝わる真言宗智山派寺院です。戦国時代には住職不在で、堂宇が大破していたようですが、慶長年間(→1596年~1615年)に良識という僧が定住し、中興したと記されます。本山・末寺の制により江戸時代前期の1668(寛文8)年に西明寺の末寺となり、隣接する諏訪神...
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