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聚海山 正観院 西蔵寺(→神奈川県川崎市宮前区野川)は、奈良時代に聖武天皇の勅命により行基(→東大寺の廬舎那大仏造立に貢献した高僧)が創建したと伝わる威徳山 月光院 影向寺(ようごうじ→神奈川県川崎市宮前区野川)の塔頭十二坊の1つと伝わる天台宗寺院です。創建時の本尊の正観世音菩薩は「余り木観音」と呼ばれ、慈覚大師(→円仁)が、行基が彫った薬師如来と阿弥陀如来の余った木で製作したと記されます。ただ、行基(668年~749年...
御嶽山神社(みたけやまじんじゃ→神奈川県川崎市高津区東野川2丁目)は創建年代等は不詳ですが、「韋駄天社」の名で古くから上野川村と下野川村の鎮守として存在し、幕末期の1851(嘉永3)年に草葺の社殿を新築をしたと伝わります。また、最初の東京オリンピックの翌年にあたる1965(昭和40)年に屋根替えを行ったといいます。御嶽山神社(→当時は韋駄天社)は、江戸時代には聚海山 正観院 西蔵寺(→神奈川県川崎市宮前区野川2丁目)が別当寺...
野川神明社(→神奈川県川崎市宮前区野川)は、創建年代などは不詳ですが、江戸時代には韋駄天社(いだてんしゃ)と称しており、江戸時代には天台宗寺院の聚海山 正観院 西蔵寺(→神奈川県川崎市宮前区野川)が別当寺として祭祀を司っていました。明治時代後期の1908(明治41)年に国の一村一社政策を受けて近くの子神社(ねのじんじゃ)・神明宮・第六天社が合祀され、神明社(野川神明社)となりました。〖祭神〗・天照大神(あまてらすおおみ...